226
平野紫耀は緊張しない?
知ってる。
見てたら、わかるよ。
大丈夫。
見てるから。 twitter.com/aidatoji/statu…
227
毎回、観客として試されてるような気がするんだよ。
で、どうなのよ。
と言われてる気がするんだよ。
だから、気が抜けないんだよ。
耽溺するわけにはいかないんだよ。
だから、見て、言語化して、こうやって、tweetする。
平野紫耀は、ヘンだ。
ヘンだよ。 twitter.com/aidatoji/statu…
228
わたし、あれ、好き。 twitter.com/h066on/status/…
229
クロサギには毎回、【演技的課題】が用意されている。
フィギュアスケーター、平野紫耀が、この【課題】にどのように取り組んでいるか。
そこを見つめると、おたのしみは増す。
言うまでもなく、平野紫耀は、常に【自由演技】である。
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激しい泣きに見えるがそうではない。
叫んでいるような泣きに映るがそうではない。
すっきりできない泣き。
カタルシスのない泣き。
それを平野紫耀は果敢にひたむきに提示している。
不完全燃焼の泣きを、おそれずに表現している。
泣いても何も解決しないことを涙が知ってしまっているのである。 twitter.com/aidatoji/statu…
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凄みが空転する。
いや凄みとは空転するためにあるのではないか。
ミキモトとの対峙と対話がプレリュードとなり、あの雨の中の泣きがクライマックスとなる。
もっと泣きたい、だが、泣けない。
そんな魂の不発としての、空の号泣。
枯れた泣き。擦れた泣き。
自分に酔う泣きではない。
新しい涙だ。 twitter.com/aidatoji/statu…
232
平野紫耀の表現には、挑発がある。
だが、それは、ありきたりの強がりでも、よくある自己主張でもない。
だから、こちらも、集中して見つめるしかなくなってしまう。
確信犯。 twitter.com/aidatoji/statu…
233
決め台詞のとき、顔を揺らすという技は普通使わない。
啖呵を切るとき、役者は大抵、漫画のように静止する。
だが平野紫耀は、顔を絶妙に揺らしながら、やる。
驚きと違和感。
これは相手に対する威嚇でもあるし、視聴者への挑戦でもある。
しかもアップ。
揺れることで、近寄ってくる映像効果がある。 twitter.com/aidatoji/statu…
234
クロサギを観るためだけのおれがもうひとり欲しい。
235
詐欺をしてるとき、相手の話を聴いてるような聴いてないような、相手を見てるような見てないような、顔してる。
役者の実力は台詞を口にしていないときに出る。
あれは詐欺師の顔であると同時に、主人公の(かなしいだけではない)もうひとつの顔。
遠くを感じているようなときもありロマンティック。 twitter.com/aidatoji/statu…
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円卓(の上のガラス)、回しすぎだろ。
回しているうちにどんどんのってきてスピードアップしていくんだけど、好奇心で夢中のまなざしと、幼さの残る口元は一定で乱れることがないのが、非凡。
それをガツンと止められたあとの表情の変化と目線の落とし方は、動物的反射神経。
開始早々、これだもの。 twitter.com/aidatoji/statu…
237
やっぱ、もう一回観るわ。
238
負けることは恥ではない。
おそれることが恥なのだ。
そんなことばがある。
平野紫耀の表現には、おそれがない。
にんげんの弱さ、情けなさ、どうにもならなさを、おそれることなく独自に表現する。
守りに入らない。どう思われるか、ではなく、今このときの己をただ差し出す。
平野紫耀は勝者だ。 twitter.com/aidatoji/statu…
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クロサギ。第5話。
あんなふうに人が泣くところを初めて見た。
全く新しい情けなさ。
最新の人間の弱さ。
今そこにある頼りなさ。
平野紫耀は最前線の表現をたったひとりで切り拓き、わたしたちの本質にダイヴする。
躊躇わず、その身を捧げる。
芸術を、観客を、信じる勇者だ。
あとでゆっくり書く。
240
偏見とは、長いものに巻かれる、ということ。
アイドルは演技は下手、と言っておけばいい、と思っているひとは、長いものに巻かれているだけのこと。
みんながそう言ってるから、の【みんな】の奴隷です。
自分の目で見ることを放棄した、意気地なしです。
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わたしの主戦場は映画ですので、もちろん映画俳優としての平野紫耀にも大きな興味はあります。
が、クロサギを観れば観るほど、クロサギの平野紫耀に集中したい、との想いが強くなりました。
ご理解いただければ幸いです。 twitter.com/aidatoji/statu…
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紅白は、クロサギ最終回の翌週ですよね。そのときにキンプリの彼に出逢えたら、自分的には佳きタイミングかなと思っております。 twitter.com/aidatoji/statu…
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繰り返しになりますが、いまのところ平野紫耀の過去作を参照するつもりはありません。
わたしの批評は、過去作を参照せず、目の前にあるものだけと対峙するスタイルなんです。twitterは文章ではない。が、批評のレッスンではある。
わたし、クロサギで満足しているんですよ。他のものを混ぜたくない。
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凄いものは、凄いんです。
自分の推しだけが凄いと思っていては、文化は継続しません。
推し以外の才能に目を向けてください。
そうでないと、わたしも、あまり、tweetしている意味がなくなります。
もう一度言いますが、わたしは凄いものしか、tweetしません。
よろしくお願いします。 twitter.com/aidatoji/statu…
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たまたまフォロワーさんが多いので、あえて言いますが、三浦春馬さんがお好きなひとに「平野紫耀」の凄さを知ってほしいし、平野紫耀さんがお好きなひとに「三浦春馬」の凄さを知ってほしい。
わたしは、凄いものしか、おすすめしません。あらゆるしがらみを拒否して生きてきました。 twitter.com/aidatoji/statu…
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「好き」だけに価値が与えられると、結局、分断しか起こらない。
自分自身の「好き」に自閉してしまう。
わたしがtweetする目標は、三浦春馬にせよ平野紫耀にせよ、彼らに興味のないひとに、彼らの「凄さ」に気づいてほしいから。
この想いは、全く届かないので、ときどき絶望的な気持ちになります。 twitter.com/aidatoji/statu…
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きのう飲んだともだちは、横浜流星のよさに気づいた、と話していた。
よかった。
平野紫耀のクロサギも観てくれ、と言っておいた。
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円盤化されたら、クロサギ同時鑑賞会やりましょう。みなさんセレクト2エピソード、相田セレクト2エピソードくらいで。
いまんとこ、4話ぜんぶやりたいくらいですが!!!! twitter.com/miki60209787/s…
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普通は、凄い表現って、死角があるもんなんですよ。突っ走る才能は、死角を生じさせる。それも魅力なのだが。
で、死角のない表現は大抵、つまらん。優等生的なつまらなさ。
なのに平野は、凄いのに死角がない。
努力家とか、天才とか、そうした凡庸な語句では全く太刀打ちできない異種の出現。 twitter.com/rqx_wd/status/…
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わたしの主戦場は映画。
100年前の映画も観てますが、100年間、映画を観てきたわけではない。そもそも100年も生きてない。
なので、100年にひとりの逸材、などという無責任な発言はできない。
が、この20年、様々なひとの演技表現を、プロとして見つめてきた。
20年、ってすごく重い数字なんですが。