平野紫耀は緊張しない? 知ってる。 見てたら、わかるよ。 大丈夫。 見てるから。 twitter.com/aidatoji/statu…
毎回、観客として試されてるような気がするんだよ。 で、どうなのよ。 と言われてる気がするんだよ。 だから、気が抜けないんだよ。 耽溺するわけにはいかないんだよ。 だから、見て、言語化して、こうやって、tweetする。 平野紫耀は、ヘンだ。 ヘンだよ。 twitter.com/aidatoji/statu…
わたし、あれ、好き。 twitter.com/h066on/status/…
クロサギには毎回、【演技的課題】が用意されている。 フィギュアスケーター、平野紫耀が、この【課題】にどのように取り組んでいるか。 そこを見つめると、おたのしみは増す。 言うまでもなく、平野紫耀は、常に【自由演技】である。
激しい泣きに見えるがそうではない。 叫んでいるような泣きに映るがそうではない。 すっきりできない泣き。 カタルシスのない泣き。 それを平野紫耀は果敢にひたむきに提示している。 不完全燃焼の泣きを、おそれずに表現している。 泣いても何も解決しないことを涙が知ってしまっているのである。 twitter.com/aidatoji/statu…
凄みが空転する。 いや凄みとは空転するためにあるのではないか。 ミキモトとの対峙と対話がプレリュードとなり、あの雨の中の泣きがクライマックスとなる。 もっと泣きたい、だが、泣けない。 そんな魂の不発としての、空の号泣。 枯れた泣き。擦れた泣き。 自分に酔う泣きではない。 新しい涙だ。 twitter.com/aidatoji/statu…
平野紫耀の表現には、挑発がある。 だが、それは、ありきたりの強がりでも、よくある自己主張でもない。 だから、こちらも、集中して見つめるしかなくなってしまう。 確信犯。 twitter.com/aidatoji/statu…
決め台詞のとき、顔を揺らすという技は普通使わない。 啖呵を切るとき、役者は大抵、漫画のように静止する。 だが平野紫耀は、顔を絶妙に揺らしながら、やる。 驚きと違和感。 これは相手に対する威嚇でもあるし、視聴者への挑戦でもある。 しかもアップ。 揺れることで、近寄ってくる映像効果がある。 twitter.com/aidatoji/statu…
クロサギを観るためだけのおれがもうひとり欲しい。
詐欺をしてるとき、相手の話を聴いてるような聴いてないような、相手を見てるような見てないような、顔してる。 役者の実力は台詞を口にしていないときに出る。 あれは詐欺師の顔であると同時に、主人公の(かなしいだけではない)もうひとつの顔。 遠くを感じているようなときもありロマンティック。 twitter.com/aidatoji/statu…
円卓(の上のガラス)、回しすぎだろ。 回しているうちにどんどんのってきてスピードアップしていくんだけど、好奇心で夢中のまなざしと、幼さの残る口元は一定で乱れることがないのが、非凡。 それをガツンと止められたあとの表情の変化と目線の落とし方は、動物的反射神経。 開始早々、これだもの。 twitter.com/aidatoji/statu…
やっぱ、もう一回観るわ。
負けることは恥ではない。 おそれることが恥なのだ。 そんなことばがある。 平野紫耀の表現には、おそれがない。 にんげんの弱さ、情けなさ、どうにもならなさを、おそれることなく独自に表現する。 守りに入らない。どう思われるか、ではなく、今このときの己をただ差し出す。 平野紫耀は勝者だ。 twitter.com/aidatoji/statu…
クロサギ。第5話。 あんなふうに人が泣くところを初めて見た。 全く新しい情けなさ。 最新の人間の弱さ。 今そこにある頼りなさ。 平野紫耀は最前線の表現をたったひとりで切り拓き、わたしたちの本質にダイヴする。 躊躇わず、その身を捧げる。 芸術を、観客を、信じる勇者だ。 あとでゆっくり書く。
偏見とは、長いものに巻かれる、ということ。 アイドルは演技は下手、と言っておけばいい、と思っているひとは、長いものに巻かれているだけのこと。 みんながそう言ってるから、の【みんな】の奴隷です。 自分の目で見ることを放棄した、意気地なしです。
わたしの主戦場は映画ですので、もちろん映画俳優としての平野紫耀にも大きな興味はあります。 が、クロサギを観れば観るほど、クロサギの平野紫耀に集中したい、との想いが強くなりました。 ご理解いただければ幸いです。 twitter.com/aidatoji/statu…
紅白は、クロサギ最終回の翌週ですよね。そのときにキンプリの彼に出逢えたら、自分的には佳きタイミングかなと思っております。 twitter.com/aidatoji/statu…
繰り返しになりますが、いまのところ平野紫耀の過去作を参照するつもりはありません。 わたしの批評は、過去作を参照せず、目の前にあるものだけと対峙するスタイルなんです。twitterは文章ではない。が、批評のレッスンではある。 わたし、クロサギで満足しているんですよ。他のものを混ぜたくない。
凄いものは、凄いんです。 自分の推しだけが凄いと思っていては、文化は継続しません。 推し以外の才能に目を向けてください。 そうでないと、わたしも、あまり、tweetしている意味がなくなります。 もう一度言いますが、わたしは凄いものしか、tweetしません。 よろしくお願いします。 twitter.com/aidatoji/statu…
たまたまフォロワーさんが多いので、あえて言いますが、三浦春馬さんがお好きなひとに「平野紫耀」の凄さを知ってほしいし、平野紫耀さんがお好きなひとに「三浦春馬」の凄さを知ってほしい。 わたしは、凄いものしか、おすすめしません。あらゆるしがらみを拒否して生きてきました。 twitter.com/aidatoji/statu…
「好き」だけに価値が与えられると、結局、分断しか起こらない。 自分自身の「好き」に自閉してしまう。 わたしがtweetする目標は、三浦春馬にせよ平野紫耀にせよ、彼らに興味のないひとに、彼らの「凄さ」に気づいてほしいから。 この想いは、全く届かないので、ときどき絶望的な気持ちになります。 twitter.com/aidatoji/statu…
きのう飲んだともだちは、横浜流星のよさに気づいた、と話していた。 よかった。 平野紫耀のクロサギも観てくれ、と言っておいた。
円盤化されたら、クロサギ同時鑑賞会やりましょう。みなさんセレクト2エピソード、相田セレクト2エピソードくらいで。 いまんとこ、4話ぜんぶやりたいくらいですが!!!! twitter.com/miki60209787/s…
普通は、凄い表現って、死角があるもんなんですよ。突っ走る才能は、死角を生じさせる。それも魅力なのだが。 で、死角のない表現は大抵、つまらん。優等生的なつまらなさ。 なのに平野は、凄いのに死角がない。 努力家とか、天才とか、そうした凡庸な語句では全く太刀打ちできない異種の出現。 twitter.com/rqx_wd/status/…
わたしの主戦場は映画。 100年前の映画も観てますが、100年間、映画を観てきたわけではない。そもそも100年も生きてない。 なので、100年にひとりの逸材、などという無責任な発言はできない。 が、この20年、様々なひとの演技表現を、プロとして見つめてきた。 20年、ってすごく重い数字なんですが。