対人コミュニケーションの得意不得意に関するものに限らず、このような「みんなと違うことをやってると変な目で見られてしまう」ということを意識させる記事、もしくは教育環境は、端的にまとめると「誰にとっても悪影響」なのでやめましょう。 twitter.com/jijicom/status…
つらすぎるな、この社会。
誠実な振る舞いが報われない。差別やヘイトの対象にされ気にせざるを得ない生き方を強いられる。娯楽のみならず生命維持のための衣食住にすらアクセスできない者がいる。嘘や誤魔化しでズルく生きる者のみが得をする。そんな状況を「気にせずに済む」者だけが、今日もなにも知らないまま生きている。
たしかに「気にせずに済む」のは幸せなことだけど、それは「知らないままでいる」ことでもあるし、そうやって「知らないうちに」自分の生活も破綻させられる未来がすぐそこにあるということ、気がつくのなら早いほうがいい。
あと、差別やヘイトを故意に発したり、嘘や誤魔化しでズルく生きることに快楽を感じてしまうのは、それはそれである種のSOSの発露だと思うので、誠実に生きようとする者を巻き添えにして自滅するのではなく、素直に助けを求めたほうがいいです。
生きてほしい、と願うことがどれだけ自分勝手で時に暴力的なことか、わかっていてもそうせざるを得ないときがある。そんなことは日々、文字通り毎日起きていることだけど、いまは特にそれを強く思うし、表明しておかないといけないと思う。私はまだあなたに会えていない。まだ生きていてほしい。
お店をやっていていつも思うことは、SNSで見かけるあなたやウェブストアで買ってくれているあなたと、いつかどこかで直接言葉を交わしてみたい、そしてその関係性が可能な限り長く続けばいい、ということです。もちろん、ふだんお店に来ている(けど名前すら知らない)あなたのことも。生きてほしい。
ここからは「いま別のことを少しでも考えられる人」に向けての投稿です。これ以降、該当の話題を外で気軽に言及するのはやめましょう。自身が当事者であることを表明せずに生活をしている人は、あなたのまわりにたくさんいます。かれらの心身の疲弊をこれ以上増やさないようにしましょう。
当事者であることを簡単にカミングアウトできると思わないでください。友人だろうと家族だろうと、とにかくどれだけあなたと親しくて距離が近かろうと、マイノリティであることを知らせることは簡単なことではありません。「言ってくれればよかったのに」なんて絶対に言ってはいけません。
当事者であることを隠して生きている場合、このような大きな出来事があった翌日に仕事や学校を体調不良で休むことは難しくなります。「当事者であることを推測されるのではないか」と考えるからです。
つまり、あなたの目の前でいま何事もないように該当の話題に相槌を打っている人は、当事者であることが周囲に悟られないように必死に「ふつう」を振る舞っている人なのかもしれない、ということです。
少しでも不審な振る舞い、情緒の揺れ動きが大きい振る舞いをしてしまえば悟られてしまうし、かといってマジョリティであるあなたの言動に合わせて「ふつう」に反応することは、自身に対して嘘をつくことになる。そういう状況を作らないためにも、不用意にその話題を出さないようにしましょう。