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@dayukoume 入退場は同時に起こらない!確かに、“時間が一方的に流れるならば”…そう言える。実は小梅氏は時間の対称性を考えているのだ。A地点とB地点の間に立った瞬間、小梅氏は、「対称的な時間」の元、AからBへの入場とBからAへの退場の二つの状態にあると言えるのだ。小梅氏の時間概念が明らかになった傑作。
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どうやら、大阪大学コウメ太夫研究会が立ち上がったようです。「まいチク」研究がより深く行われる事が期待できます。応援しています。 twitter.com/OU_Koume/statu…
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@dayukoume ユクスキュルが提唱した環世界論では、生物毎に異なる時間を生きているとされる…そこではより小さな生き物は短い時間をより長く感じるのだという。小梅氏は一日が五分の世界で生きているが、五分を一日相当と捉える為には必然として鼠より小さくなる必要がある。環世界論的に時間概念を論じた傑作。
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@dayukoume 『神と髪』を著した神学者カール・レーフラーによると、日本語の「髪」の語源は「神」であり、その有機性に我々日本人はアニミズムの精神を見出したのだという。さて、永久脱毛を行ってしまった小梅氏はその死を嘆く。「髪は死んだ」…レーフラーの一節を小梅氏は見事に描いてみせたのだ。傑作。
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九州大学でもコウメ太夫研究会が発足したようです。
次々とコウメ太夫研究会が発足し、益々小梅学研究が深まる事に期待が持てます。
頑張ってください。 twitter.com/QU_Koume/statu…
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@dayukoume 『象徴交換と死』を著したボードリヤールは、「死の象徴交換」によって大量消費社会に反旗を翻す事が出来ると説いた。自身の死を覚悟したまいチク…これはハイデガーの議論にも通ずる…により、本来性に目覚めた小梅氏は、死を疎外する現代のシステムに反旗を翻し、真のチクショウを説くのだ。傑作。
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@dayukoume 多くの人は今作を一笑に付すが、よくよく考えると人間の身体の約60%は水分で構成されており、湿度90%というのはそれを上回る。「万物は水である」としたギリシャの哲学者タレースの言を踏まえ、外気と体内に共に含まれる水分という共通項に着目した小梅氏は、水分の相互浸透を唱えるのだ。迷信的駄作。
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@dayukoume プルードンは「財産とは盗みである」とし、所有概念を批判した。強盗は一般に悪だが、1億円の占有者もまた強盗であり、悪である。その悪は、生命維持に牛乳を必要とするゴジラの命すら奪う。プルードンの影響を受けた小梅氏は、収奪者たるゴジラ達が実は盗まれた側なのだと逆説的に描いてみせたのだ。
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@dayukoume 「虹と二時」この音韻的同一性から時計を見た小梅氏…「もしや、今は二時では…!?」ここで二時なら、ユング的シンクロニシティの概念、共時性が示されていた筈だ。だが、実際には三時だった。この非共時性が示された瞬間、小梅氏の哲学が暗に前提していたユングの概念が崩壊したのだ。歴史的作品。
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@dayukoume 『おっぱいバレー』では、学生らが「おっぱいを見る」事を目的に奮闘する…だが、小梅氏は、その目的に「女性の」という限定詞が暗に前提されている事を批判する。男/女の脱構築を試みる小梅氏は、Eカップのおっさんという“巨乳”を登場させ、自身が女形である事も含め、男/女の境界を掻き回すのだ。
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@dayukoume 何故、抜け毛が「流れ星」とされるのか。哲学史に於いては、人間と宇宙との類比的関係から、人間は大宇宙に対し、ミクロコスモス(小宇宙)と捉えられてきた。そう、小梅氏は人間を小宇宙と捉えているのだ。小宇宙から抜け出た毛は…当然流れ星となる。大胆にも小梅氏は人間の中に一つの宇宙を見るのだ。
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@dayukoume 代謝を繰り返す我々の身体は、物質的観点からは、「生まれた時の身体」と「現在の身体」が全く異なる。では、同一性はどのように保持され、どこから「顔」が「顔」でなくなるのだろう。自身の顔にタイム風呂敷を被せた小梅氏は、レンタカーになった顔を示し、「これは“顔”なのか?」と我々に問うのだ。
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@dayukoume 遊戯王カ〜ドに於いて主要な物は「モンスターカード」である。そう、小梅氏の息子は父である小梅氏を同様に“モンスター”と捉えているのだ。フロイトによる症例報告の一つ、ハンス少年の例では少年が父への敵意と恐怖を馬に投影していた。小梅氏の息子は、遊戯王モンスタ〜に父の歪な姿を投影するのだ。
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@dayukoume 窶ェ繧ィ繧ッ繝ェ繝√Η繝シ繝ォ縺ョ鬆伜沺縺ォ迴セ繧後k縲梧枚蟄怜喧縺代?阪□縺後?√◎縺ョ諢丞峙縺輔l縺滓э蜻ウ蜀?ョケ縺ッ螟壹¥縺ョ蝣エ蜷域嶌縺肴焔縺ォ縺励°蛻?°繧峨↑縺??や?ヲ蜷ヲ縲∝ー乗「?ー上?窶應ス輔b諢丞峙縺励※縺?↑縺??昴?縺ァ縺ッ縺ェ縺?°?溷ッセ雎。諤ァ繧貞?縺乗戟縺溘〓譛ャ
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@dayukoume エクリチュールの領域に現れる「文字化け」だが、その意図された意味内容は多くの場合書き手にしか分からない。…否、小梅氏は“何も意図していない”のではないか?対象性を全く持たぬ本作は、マレーヴィチ的絶対象そのものであり、エーコの言を借りれば「開かれた」テクストと言えるのでないか。傑作。
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@dayukoume “私”を解体する「死」…そも、「私は死んだ」などという文章はナンセンスではないか。然り、だが、だとしても!小梅氏は幾度となく象徴的な死を繰り返すのだ。当に“清水の舞台から飛び降りる”が如く、決死の覚悟で自身の死をテクスト上で繰り返す氏は、死者を疎外する現代社会に反旗を翻すのだ。傑作。
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@dayukoume 贈答関係が結ばれている父と息子。ベイブレードの贈与に対する、氏の息子の返答は顔の蹂躙であった。父子の贈答関係の持続は、父による支配を肯定するものとして、エディプス的抵抗を試みる小梅氏の息子は、レヴィナスの“顔”概念に着想を得て、小梅氏の顔をエディプス的葛藤の場と見立てるのだ。傑作。
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@dayukoume レヴィナスは、愛撫行為を食人の疑似行為とした。フェラチオなどはまさにその例で、疑似的に男性器を“食す”のだ。性器がバナナやアイスなどに喩えられるのはこの原理に因る。さて、小梅氏は、床に寝ている男性の、“朝の男性器”を“タケノコ”と喩えている。小梅氏が何をしたか言うまでもない。駄作。
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@dayukoume 「バヴ〜バヴ〜」とは何か。爪の垢と赤ちゃんをかけている事が分かったとしても、結局その意味は分からない。バヴ〜バヴ〜は、私的言語をナンセンスとしたウィトゲンシュタインの議論に於ける「感覚S」と同様、ナンセンスな私的言語だが、小梅氏は、ナンセンスな言葉の詩的効果を敢えて模索するのだ。
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@soshina3 @tikuporadio 粗品氏は、小梅氏の作品を「訳がわからん」と切り捨てている。然り。この作品は、訳がわからない…ナンセンスな作品だ。「胃がバヴ〜バヴ〜」という小梅氏が提示した“私的シニフィアン”に対し、そのシニフィエの領域は無かもしれない。だが、その無の領域を模索する事を小梅氏は求めているのでないか。
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@dayukoume そう、小梅氏は哲学者として、「私」の存在論的様式を確認するビッグチャ〜ンスを手にしたのだ。通常、入れ替わりが起きたとしても、“私”は常に“私”の筈だ。だが、“私”の領域に他者が滑り込み、「霜降り明星粗品さん」という三人称の元、「私」という一人称から解き放たれたらどうなるのだろう。傑作。
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@dayukoume ポケモンに於ける進化は、ダーウィン的な、機械論的進化論に基づくものではない。寧ろラマルク的な、目的論的な進化だ。さて、ここでのライチは、チイラの実を指すのではないか。すると、中華まんは「いかりまんじゅう」を指す。小梅氏は、攻撃性を開花させたライチュウの様子を描き出したのだ。駄作。
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@dayukoume わたパチは、製造中止された過去の存在である。そんな過去の存在…亡霊が登場する作品は、デリダの概念を援用すれば憑在論的な作品である。過去の存在たるわたパチが、現在時制の元現れる無時間的作品を描いた小梅氏は、口内炎の痛みを伴いながら、“パチッ”とわたパチが喪われた現実を畜生と嘆くのだ。