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@dayukoume 「味覚」は、哲学史に於いて長らく低次の感覚とされてきた。一般に「何かを知る」というと、視覚や聴覚により「知る」のだが、小梅氏は視覚/聴覚優位の価値観を斥ける。🍎(視覚に拠る推定)を食した小梅氏は、それをミカンだと“味覚に依り”断定し、真なる世界を把握する為に味覚を用いよ!と説くのだ。
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@dayukoume 「コウメダユウ」の六文字が多様に分割されると同時に、「白塗り」や「破綻」といった言葉も分節化され示されている。小梅氏は、「最強のコウメ太夫」は、「コウメ太夫(固有名)」「白塗り」「破綻」という諸要素に依り成立すると述べ、要素集合(合体)により、個人は同定(identify)されると述べたのだ。
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@dayukoume 楽曲『イイ波のってん⭐️NIGHT』では、「イイ波」という概念が提示されるが、これは柳田國男が見出した概念の「ハレ」に相当する。現代的な「ハレ」である「イイ波」を歌い上げる楽曲に対し、小梅氏は数々の不条理を謳い上げ、厭世主義の立場から、不条理な現実から目を逸らすな!と警鐘を鳴らすのだ。
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@dayukoume 主体がコブラである事は上の句で既に示されたにも関わらず、下の句では「コブラであった」事実が驚嘆を伴い述懐される。小梅氏は、「吉岡里帆性」をコブラに付与していた。ハイデガー的〈als構造〉の元、コブラを吉岡里帆〈として〉了解した小梅氏だが、噛まれた際にその誤謬に気付いたのだ。駄作。
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@dayukoume またしてもナンセンスな作品であるが、トリケラトプスと元カノの共通項は、どちらも過去の存在である事だ。ベルクソン的な「持続としての時間」に於いて、現在に過去を巻き込んだ小梅氏は、元カノやトリケラトプスらの存在を重層的な時間意識の中、創造したのだ。駄作。
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@dayukoume Christmasのmasの意味は礼拝である。さて、これに即すとチクショマスは「畜生-mas」となり、畜生(生物)一般に感謝し祈願を行う儀と解釈できる。「クリスマス」の西洋中心性とその儀礼の持つ宗教性に憤った小梅氏は、代替案として「チクショマス」を提案し、全ての生きとし生けるものに感謝するのだ。
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@dayukoume そもそも、小梅氏の父は既に逝去しているのでここでのパパは小梅氏の父では無い。では、何者か。実は、“パパ”は、キリスト教的な「父なる神」を指しているのだ。小梅氏は、自身の行動はパパ(神)に強請られ、決定してしまう!と神学的決定論を肯定しつつも、その原理を畜生!と非難するのだ。挑戦作。
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@dayukoume 我々は、「食」を享受する事により生存が可能になるが、「食」の享受は、本来的に不確実性を伴う行為である。本来であればその摂取が不確実な「食」を、さも当然の様に享受している事態を年の瀬に気付いた小梅氏は、そばを生命線たる命綱に例え、一年を過ごせたのは食のお陰なのだ!と感激したのだ。
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@dayukoume 何故、お雑煮では無くお雑巾だったのか。お雑煮には通常、「餅」が入るが、この「餅」は多くの命を奪う事で有名だ。「餅」が死を想起させる事から、「自己の死」を抑圧し、無意識的に避けた小梅氏は、ラカンの述べる「換喩」の働きにより、雑煮との言語的連関から、雑巾を無意識的に食したのだ。傑作。
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@dayukoume 餅を見ただけで小梅氏はヒステリーを起こしている。先程注釈を加えた作品(お雑煮だと思ったらお雑巾でした)を踏まえても、小梅氏が餅(に潜む死)に対する恐怖を大いに抱いている事が分かる。日常に自己の死の可能性を見る小梅氏は、キューブラー=ロスの述べる死の受容プロセスを着実に歩むのだ。傑作。
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@dayukoume 先日も述べたが小梅氏にとって「お餅」は死の象徴であり、欲望の対象でありながらも消費が不可能な存在である。ラカン的に言えば、欲望の不可能性から、父性隠喩として「ライオンのちんちん」が想像的にファルスの領域に現れたのである(🦁は父性)。小梅氏は見事に🦁の男性器を食してみせたのだ。駄作。
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@dayukoume 甲羅は亀の身体の一部であり、剥がれた場合亀は死に至る。そう、今作の亀は死んでいるのだ。「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」という一節があるが、小梅氏は「死して甲羅を遺した亀」を例に上げ、死に向かう有限な存在者としての我々人間も何かを残さねばならぬ!と力強く説くのだ。傑作。
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@dayukoume 前澤社長の100万円プレゼント企画は、100名と与えられる人数が限定されている。確かに抽選というと公平な様に思われるが、その過程は我々には公表されておらず、ブラックボックス的である。こうした事を踏まえた小梅氏は、真に平等なプレゼント企画を実施し、前澤社長を大胆にも批判したのだ。挑戦作。
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@dayukoume 話題となったセンター試験の設問は、野菜らに足や顔がある事から、非動物に魂を認める立場を取っていると言える。だが、小梅氏は疑問を呈する。「彼らが魂を持つ動物であるならば、生殖行為はどうするのだ?」と。小梅氏は、はぎゅう〜っと脳を絞り、生殖可能なムキムキ羽タマキンを生み出したのだ。
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@dayukoume アガンベンは、『裸性』を著し、アダムとイブは原初、裸であるのに“裸”である事を知らず、彼らは「剥き出しの裸」では無く、神の恩寵たる「光の衣服」を纏っているのだとした。さて小梅氏は、活火山突入に際し、原初的な「光の衣服」としての「裸」を“纏い”、大胆にも火山に突入してみせたのだ。遺作。
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@dayukoume 小梅氏の「スベった回数」が有限であるなら計測可能な筈だが、ここでは計測不能とされる…即ち“無限”である。さてクザーヌスは、神は“無限”であるとし、無限こそが「神へ通じる道」なのだとした。クザーヌスの議論を踏まえた小梅氏は、無限に滑る事により、"無限”を体現し、神との合一を果たしたのだ。
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@dayukoume ラカンによれば、赤ちゃんをあやす母親は、赤ん坊にとって、その時絶対的な“他者”とされるのだという。すると、地球をあやす小梅氏は、地球にとっての絶対的他者となる…これは即ち、神と言って差し支え無い。先日、無限との合一を果たし、現人神と化した小梅氏は、自身の神話を自ら綴ってみせたのだ。
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@dayukoume ちなみに、新作ではない。
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@dayukoume フロイトによれば、固有名詞を思い出せない場合、その固有名詞に関わる要素を抑圧してしまい、思い違いをするのだという。愛媛の“媛”に何らかのトラウマを抱えていた小梅氏は、愛媛と愛知を取り違えてしまったのだ。(媛は姫とほぼ同義。離婚した小梅氏にとっては姫[=妻]は抑圧の対象である。)
駄作。
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@dayukoume エロ本充実コンビニの近くに引っ越した小梅氏の目的は当然性欲である。さて、ヴィルヘルム・ライヒは、マルクス主義と精神分析を結びつけ、プロレタリアートの性的欲求不満が政治的萎縮を引き起こすと主張した。ライヒの議論を踏まえた小梅氏は、大胆にもエロ本販売停止に反対するのだ。大問題作。
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死を刻印された器~コウメ太夫論序説|谷頭 和希|note(ノート) note.mu/improtanigashi…
素晴らしい小論です。小梅氏のテクスト読解に於ける「死」というモティーフについて私自身再考の必要を感じました。
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@dayukoume 「4K=コウメ4回」と示されながらも、「8K=コウメ9回」となっている。何故か。「クワス算」を提唱したクリプキは、規則に従う事の困難を示した。そう、「4K=コウメ4回」という命題は、「4より大きな数」について何の規則も示していない。小梅氏は8の場合+1する規則を示し、規則問題を提起したのだ。
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@dayukoume 哲学的困難は何から生じるのだろう。ウィトゲンシュタインは、「文法的錯誤」をその原因と見做し、哲学の課題をその治療とした。「小梅氏が寒い」と、「最強寒波が寒い」は文法形式は全く同じ「xが寒い」だが、意味は全く違う。この混同が文法的錯誤だ。小梅氏は敢えて文法的錯誤を犯してみせたのだ。
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@dayukoume 鏡像段階説を唱えたラカンは、幼児は生後6〜18ヶ月の間に、鏡に映る自己の像を認識し、自己像を“自己”として同定するとした。さて、窓は確かに鏡ではないが、鏡の役割を果たす。実は幼児である小梅氏は、鏡像段階を経て、窓に映る白が雪ではなく、自身である事に気付き、自我を形成したのだ。処女作。
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@dayukoume 多様に「変身」できるメタモンは、アリストテレス的に「全ての可能態」を持つと言える。ポケセンを訪れた小梅氏は、「我々は人間という現実態を持つが、死後我々の身体が他の生物になる可能性もあるではないか!」と悟り、我々は可能態に於いて様々に変化し得る“メタモン”なのだと比喩的に述べたのだ。