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海外に行くことは、自文化中心主義を逃れ、文化相対主義のまなざしを養うことになる。確かにそれは、人生観を涵養する事になるが、その変化を30度だとかいった数字に還元する事は出来るだろうか。小梅氏はインドに行く事で、あらゆるものを数字に還元する態度を反省し、イン度という表現を用いたのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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全部同じでは、と言いたくなるが少し考えよう。「親指が痛い」という出来事は、全て同じに見えて、通時的に生起し続けている出来事だ。つまり、ある瞬間の親指の痛さと、異なる瞬間の痛さは、異なる出来事なのだ。小梅氏は、意識の流れの中において生起し続ける痛みそれぞれをランクインさせたのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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我々は大抵、「カンフ〜でアチョ〜」する時の「アチョ〜」がどのような身体技術によって行われているかを知らない。同様に、我々は「レンジでチン」の「チン」の内実を詳しくは知らない。小梅氏は、簡略化された技術であれ、達人の技術知であれ、技術は大抵ブラックボックス的である事を示したのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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我々は皆ありえないと思う。これは、小梅氏なりの我々の常識の相対化の試みだ。西洋的な時間概念は、蓄積される、単線的な時間感覚である。小梅氏は、このある種ヘーゲル主義的な時間感覚を、500円玉の「蓄積」が起きず、むしろ「80円」が出るという事態で「ずらし」、我々の時間概念を解体するのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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打ち上げは一見科学的な目的のみによって行われるように思われるが、それは対外的な政治闘争であったりもする(宇宙開発競争)。打ち上げは、社会的な諸関係によっても生じる…科学知識の社会学(SSK)を踏まえた小梅氏は、自身が打ち上げに社会的な意味を生じさせる「燃料」となっている事を述べたのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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周央サンゴさんに認知されていたようです。ありがとうございます。 twitter.com/Suo_Sango/stat…
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カントは、人間を「手段としてのみ扱う」ことを批判し、互いの人間性を尊重し、目的として尊重しあう事が重要であると説いた。助手席に彼女を乗せた小梅氏はふと、彼女を耳かきの手段として扱っていた事に気付く。小梅氏は彼女の人間性を尊重していない事に気付き、己を「畜生」であると恥じたのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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ママ友たちのランチに行ったら、「私ばっかり」だったという。「私以外私じゃないの」という曲が存在するが、小梅氏の主張はその逆で、「私以外も私である」という西洋近代の「自我」を溶解させるものである。間主観的なママ友ランチを通じて小梅氏は、西洋近代の図式を転覆させるのだ。駄作。 twitter.com/dayukoume/stat…
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ニーチェの「永劫回帰」を踏まえた作品。ニーチェによれば、我々は同じ人生を何度も繰り返す……それは、全く同じ人生を、である。決して「より良い」人生を生きることはできないのだ。小梅氏は、永劫回帰がチクショー!な経験であることを述べつつも、それを引き受け、「超人」となるのだ。傑作。 twitter.com/dayukoume/stat…
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資本主義の原理を寓話的に描いた作品。資本主義社会では、市場原理によって時に売れない店や企業が淘汰されていく。どれだけ情に訴えかけたとしても、市場のリソースは無限ではないのだ。小梅氏は、市場競争に敗れゆくカレ〜店が情に訴えかける様をありありと描き、その不条理さを畜生と嘆くのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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「時間を忘れる」という一節が「記憶をなくす」と対応関係にある。時間の蓄積がなければ記憶はなく、時間感覚の喪失は即ち記憶能力の喪失に繋がる。これは、「酔い」についての記述ではないか。小梅氏は非-時間的な経験を「楽しい」という記述のみによって示し、客観的な行為との差異を論じるのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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「白塗りを落としたら顔がなくなった」。これはゴッフマンの『行為と演技』の内容を踏まえれば簡単に理解ができる。ゴッフマンによれば、「自己」は、社会において求められた役割たる仮面(ペルソナ)によって形成される。白塗りを落とした途端、「コウメ太夫」という顔=自己は融解していくのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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「コウメ太夫」を「派手な着物」で置き換えるような修辞法は換喩(メトニミー)である。最後に「ノーギャラチクショー!」と述べているように、小梅氏にとって、派手な着物を着た人物は全員「コウメ太夫」ということになる。「コウメ太夫」は、メトニミーを通じ、個を超え増殖し続けていくのだ。問題作。 twitter.com/dayukoume/stat…
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朝ごはんにおいては「ご飯派」と「パン派」の二項対立が構築されている。しかし、この二項対立は「日本」の食文化を中心化することによって成立しているとも言える。小梅氏はこれを日本中心的として批判し、「ニョキニョキペンギン派」という第三項を提示するのだ。駄作。 twitter.com/nickthatime/st…
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レヴィ=ストロースが分析したヒダツァ族のタカ狩では、「人間が同時に狩人でもあり獲物でもある」ようなパラドックスめいた方法での狩りが行われる。マグロ漁船でフィールドワークを行った小梅氏は、マグロ漁船の漁師たちがヒダツァ族と同様に、自らを餌とし、マグロを捕獲している事を報告したのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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このままでは #まいにちチクショー が途切れてしまいます。
大変です、今年最後の日に投稿がありません。
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チャペックによる造語「ロボット」の語源はチェコ語で労働を意味する言葉である。かつて、労働者の代理表象であったロボット。今の我々は罪悪感なしに当然のようにルンバをこき使うが、その時の振る舞いはまさに醜悪な資本家そのものだ。小梅氏はルンバによる反逆をプロレタリア文学として著したのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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今作が何を表しているかは、「奥さん」の語源を考えればわかる。かつて、武家などの屋敷の奥まったところを「奥」と呼び、前に出ることが少ない女性配偶者を「奥さん」と呼んだ。小梅氏は、旧来のイエ制度に由来する「奥さん」という言葉が現代に相応しくないとし、「手前さん」を用いよ!と説くのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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ヴィヴェイロス・デ・カストロの議論を踏まえた作品。人間が血とよぶ物はジャガーにとってはビールであり、我々にとって腐肉にわく虫であるものはハゲワシにとっては焼き魚であり...というように、世界は多様なパースペクティブから成り立つ。小梅氏は、「イナゴ」として人間を食すのだ。猟奇的作品。 twitter.com/dayukoume/stat…
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「食」という行為の生々しさは、ポケモンにおいて隠蔽され続けている。今作ではサンドイッチの具材に卵を用いることが出来るが、ポケモンにおいて食される卵は「何の」卵なのか。疑問を持った小梅氏は、ポケモンが食品としての卵たるピ〜タンを産む様を描写し、その欺瞞を指摘するのだ。問題作。 twitter.com/dayukoume/stat…
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小梅氏からアンサーがありました。小梅氏の日々の叫びは、発表する場がなくとも永遠に続くのだと。
まさか小梅氏に泣かされる日がくるとは思っていませんでした。 twitter.com/koume_philo/st…
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まいチクは決して、媒体による制限を受けない。発表する場が無くなったとしても、小梅氏は叫び続ける。何故、叫ぶのか、その叫びは、誰のための叫びなのか、誰にも聞かれない叫びに意味はあるのか…小梅氏はそれらを問題としない。コウメ太夫は、生の一切を叫び続ける、「絶叫機械」に他ならないのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
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Twitterの崩壊は即ち、まいにちチクショーの終わりを指します。
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誰もいない森で木が倒れたらその音は存在するのか…同様に、高度な思考は、文字や音声を通じて初めて存在が認められるのではないか?文字言語を持たぬ人々や、非人間達の思考は歴史に埋もれている。小梅氏は、歴史に埋もれた思考を再発見する…それは当然、3億年前のゾウリムシと「同じ」思考なのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…