276
@dayukoume バウマンは現代社会を「液状化社会」とし、その流動性と不安定さを指摘した。さて、この「液状化社会」の前提として「個人のアトム化」が挙げられるが、小梅氏はこの点を強調し、現代を液状ではなく、「粉状」化社会だと述べる。小梅氏は、個人が容易に吹き飛んでしまう現代社会の脆さを描いたのだ。
277
@dayukoume 某金融会社の「むじんくん」は、機械による自動契約機である。さて、トマス・モアは「羊が人間を喰う」と述べ、農民の仕事が奪われる様を描いた。この一節を念頭に置いた小梅氏は、「むじんくん」を権力の象徴たるライオンに喩え、人々の仕事が権力者により機械に置換され奪われる危険性を訴えたのだ。
278
@dayukoume 狂乱した小梅氏は、そこで墓石に手をぶつけ、「痛み」を知覚する。そう、小梅氏は、「痛み」こそを生きている証左とし、改めて“生”を自覚したのであった。生を自覚し、自身を見失う事無く、力強く生きよ!と説く傑作。
279
@dayukoume そもそも、何故お墓の前でスリラーダンスをしたのだろう。14世紀から15世紀にかけて、ヨーロッパでは死の恐怖を前に人々が踊り続ける「死の舞踏」という意匠が流行した。墓参りの折、我々が皆、“死”の運命から逃れられぬ事実に改めて気付いた小梅氏は、発狂し、死の舞踏としてスリラーを舞ったのだ。
280
@dayukoume 嘗てのアメリカの黒人差別は凄まじいものであった。まっくろ黒助と黒人を揶揄する差別主義者と、黒人を見世物にする白人に「テレビに出ない!」と抗議する黒人達の当時の様子を鮮やかに描いた小梅氏は、差別の歴史を振り返り、「汝の隣人を愛せ」とするキリスト教の隣人問題へ立ち返れ!と説いたのだ。
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@dayukoume 太陽に水をかける。その行為に果たして意味はあるのだろうか。こうして、人生の行為に“意味”を見出そうとしていくと、日々の行為もまた無意味に思えてくるではないか。『シーシュポスの神話』にて人生の“不条理”を描いた哲学者カミュの影響を受けた小梅氏は、人生の無意味さを受け入れよと説いたのだ。
282
@dayukoume 50センチの乳首とは如何なる事だろうか。実は小梅氏は、身体改造により乳首を拡張し、一般的には生活の場で用いられない乳首を「道具」としたのだ。小梅氏は、身体を拡張・改造し、本来道具に依存する行為を身体のみで行わんとする、「身体=道具」という新たな価値観を大胆にも示したのだ。挑戦作。
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@dayukoume 自販機の飲料は場所により値段が異なる。これは、事物の価値はその場所により、相対的に変わり得る事を経済的側面から示していると言える。事物の価値を価格に還元し、場所により変えるその恣意性に怒った小梅氏は、モノの価値は場所に拠らぬ普遍的なものなのだ!と普遍主義の立場から激怒したのだ。
284
@dayukoume 「不思議の国のアリス症候群」と呼ばれる病をご存知だろうか。これは、知覚された外界が、巨大に見えたり、自分自身が小さくなった錯覚が生じる病である。小梅氏は、ユクスキュルの環世界論を援用しながら、小さくなった我々にとって、🍦が螺旋階段である事を示し、アリス症候群の考察を行なったのだ。
285
@dayukoume 博物館に保存される物品は恐らく、「価値がある」とされる物品である。神秘主義思想に傾倒し、未来視の能力を手に入れた小梅氏は、「一万年後の価値観」から棄てられる自身のミイラを見て嘆き、博物館の仕事は、相対的な価値観から、凡ゆるモノを保存する事ではないか!?と博物学に疑義を呈したのだ。
286
@dayukoume ダーウィンに影響を受けたスペンサーが提唱した「適者生存」の概念を援用した一作。スペンサーは、生物個体が「生存闘争」を行うとし、そこに進化の原動力を見た。わかめ研究家でもある小梅氏は、「わかめは、他のわかめを“喰らう”」と比喩的に述べ、わかめの生存競争を見事に描き出したのだ。傑作。
287
@dayukoume 驚嘆の記号である「!」は、エクリチュールの領域にのみ現れる。それに対し元来宗教的シンボルであった卍は、今やデリダの述べる反覆可能性により、「まじ卍」としてパロールに於いて驚嘆を示す。小梅氏は、機械音声などでは表現し難い「!」を、卍によって話し言葉の領域で表現できると指摘したのだ。
288
@dayukoume うまい棒は、一般に10円である。すると、小梅氏が無一文であるのが分かるが、実は小梅氏はここで、「ミニマリズム」を実践していたのだ。「最小限」に生きる為に、金銭の断捨離を実践した小梅氏であったが、うまい棒すら買えない事実に気付き、価値が貨幣に一元化される貨幣制度を大胆に非難したのだ。
289
@dayukoume ここでのゾウは、象ではない。そう、“像”である。ド・ブロスは、動物やモノそのものを、偶像として崇拝する未開民族を観察し、その崇拝をフェティシズム(呪物崇拝)と定義した。バッタそのものを、神たる“像”として信仰していた小梅氏だったが、その妄信に気付き、畜生を信仰していた事態を嘆いたのだ。
290
@dayukoume なんと小梅氏は、W杯をナショナルアイデンティティの強化装置であると指摘する。確かに、日本代表の応援経験を通じ、我々は「日本国民」である一体感を感じるであろう。小梅氏は、W杯を肯定しつつ、他国を蔑視する行き過ぎた民族主義(ブラックホール)に陥らぬよう我々に警鐘を鳴らしたのだ。大問題作。
291
@dayukoume ヘーゲルは「ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ」と述べた。これは、哲学(梟)は、過ぎ去った時代を事後的に概括する事しか出来ぬ、という意である。埠頭(現世たる此岸)で哲学し、船(次の時代の比喩)を待つ小梅氏。だが、哲学は次の時代を哲学する事は出来ない。小梅氏は、黄昏に飛び立ち、溺死したのだ。
292
@dayukoume そもそも、イエローカ〜ド三枚なら、赤青黄色の信号機とは色の並びが異なる筈である。小梅氏はここで、「逆転クオリア」の問題を提示する。小梅氏は、三枚の「イエロー」の内二枚が、“他者にとって”の青や赤である可能性を示唆し、黄色のみで、「交通の信号機」が成立するのだ!と述べたのだ。挑戦作。
293
@dayukoume フロイトが提唱したエディプスコンプレックスの概念を念頭に置くと、小梅氏の息子が、父である小梅氏の殺害を試みている事が明らかになる。北斗神拳に目覚めた小梅氏の息子は、「タタタタタタタタ」と秘孔を突き、小梅氏を殺害する事に成功したのだ。遺作。
294
@dayukoume フーコーは、近代以降、医学が目前の個人を病気の苦悩から解放するのではなく、「死ぬ病人」を統計的に減らすことを目的としているのだと分析した。W杯を麻酔代わりに視聴させられた小梅氏は、麻酔の経費を削減する医師を畜生!と非難し、改めてフーコーの述べる生命政治の構造を明らかにしたのだ。
295
@dayukoume シュルレアリストであるブルトンは、フロイトの自由連想法に着想を得て、無意識の世界を描き出す「自動筆記」を提唱した。さて、連想という言葉や、支離滅裂な内容、その特徴の一つである主語の喪失などからして、今作が自動筆記の作品である事は自明である。小梅氏は見事に超現実を描いたのだ。駄作。
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@dayukoume 言語は何処から生じたのだろう。ミュラーはドンドン説を唱え、自然界の音にその起源を見出した他、エイヤコーラ説では、人々の掛け声が言語と化したとされる。小梅氏はワールドカップ開幕に際し、スルスル(ドンドン説)や、てやんでい(エイヤコーラ説)等を検証し、世界の言語の普遍的起源を探ったのだ。
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@dayukoume シンガーらは、『大型類人猿の権利宣言』を著し、人類の権利を類人猿らに拡張する試みを為した。此れに感銘を受けチンパン高校の先生になった小梅氏であったが、🐵らが🍌を神と見做す物神礼拝を行い、🍌から王権を授かったとする王権神授説を唱える現状に「🐵は所詮畜生だ!」と憤ったのだ。問題作。
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@dayukoume 🍒と爆弾という二語から、楽曲「さくらんぼキッス〜爆発だも〜ん〜」が示されている事は明白である。さて、クザーヌスは、完全に厳密な調和が見出せる曲は無いとした。クザーヌスの音楽論を理想視する小梅氏は、電波ソングを一例に出し、世界の楽曲は全て“歯抜け”(不完全)であると論じたのだ。問題作。
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@dayukoume ユクスキュルは、時間や空間は動物主体により、主観的に知覚されているとし、相対的な時間空間論である環世界論を唱えた。確かに、客観的には、全ての生物は同じ時間を生きるが、その「長さ」の知覚はそれぞれであろう。24時間を30秒の長さとして知覚した小梅氏は、環世界論を実証してみせたのだ。
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@dayukoume そも、アパートは集合住宅であり、部屋が無い事は有り得ない。そう、この物件は激安故、防音設備が無いのだ。小梅氏は、この住宅では他者に常に配慮する必要がある以上、最早私的な個々の部屋は無いと述べ、哲学者ルフェーブルの述べる「表象の空間」として、“一つの空間”と化していると指摘したのだ。