哲学者コウ・メダユー(@koume_philo)さんの人気ツイート(いいね順)

@dayukoume 破壊と創造を司る神シヴァ神は、世界を破壊し、再びゼロから世界を創造するのだという。なんということだろう。本作で小梅氏が行ったことはまさしくシヴァ神の所業ではないか!先日、冥界神ハデスである事を明かした小梅氏であるが、一転、自身がインド神話に於いてはシヴァ神である事を明かしたのだ。
まいチクは決して、媒体による制限を受けない。発表する場が無くなったとしても、小梅氏は叫び続ける。何故、叫ぶのか、その叫びは、誰のための叫びなのか、誰にも聞かれない叫びに意味はあるのか…小梅氏はそれらを問題としない。コウメ太夫は、生の一切を叫び続ける、「絶叫機械」に他ならないのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
時に、「コウメ太夫はまいチクに哲学的な意図など込めていない!」という声が聞こえてきますが、「哲学と倫理学だけは出来た」と小梅氏自身が述べています。 この発言は、小梅氏の作品に哲学的意図が込められている事を十分に証明するものと言えるでしょう。 twitter.com/hondashizumaru…
カオスや無秩序を志向する小梅氏の作品と、志向性を持たずに作品を産出するコウメAI太夫の作品の差異とは一体なんだろうか。その回路に差異はあれど、出力の結果に本質的な差異はあるのだろうか。意味論的正確さが求められる作品ならともかく、まいチクの場合、一体何がAIと小梅氏を分つのだろうか。
「上位互換」として示されるものが「ずぶ濡れ臭い逆さま」であった。この逆説的な論法に覚えはないだろうか。そう、坂口安吾の『堕落論』だ。坂口は、道徳的観念に縛られない「堕落」こそを称揚する。『堕落論』に影響を受けた小梅氏は、「ずぶ濡れ」で「逆さま」なあり方こそを上位互換とするのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
本日投稿したnoteがなんと、コウメ太夫氏本人にリツイートを頂きました。 ありがとうございます。 twitter.com/koume_philo/st…
なぜ、ボ〜ナス20円を貰ったことが臨死体験になるのか。20円はボ〜ナスとしては安すぎる。しかし明治時代ころの貨幣価値ならボ〜ナスとして十分だ。過去の存在になること…それはまさしく臨死体験ではないか。「死」とは、過去の存在になることにほかならないのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
こちらのツイートは私のものではありません。 念のため周知しておきます。
本日4月20日は小梅氏の誕生日です。 おめでとうございます。
誰もいない森で木が倒れたらその音は存在するのか…同様に、高度な思考は、文字や音声を通じて初めて存在が認められるのではないか?文字言語を持たぬ人々や、非人間達の思考は歴史に埋もれている。小梅氏は、歴史に埋もれた思考を再発見する…それは当然、3億年前のゾウリムシと「同じ」思考なのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
「思想が強い」ことは、「弱い」ことよりも遥かにマシだ……しかし、現代の観客は、映画を社会から切り離し、無味無臭なものとして鑑賞したがる。映画マリオをめぐる言説はそれを明らかにした。小梅氏の作品は常に政治的意図を含み、思想が「強い」作品であるが故に、ブ〜イングを受けるのだ。問題作。 twitter.com/dayukoume/stat…
「親子関係」は、古今東西に存在する問題である。その関係は、親から子への贈与だけでなく、子から親への「返礼」を必要とする。母に「笑顔」をプレゼントした小梅氏だが、経済的な援助を必要とする母親は、非物質的な物の贈与しか行わない小梅氏を「畜生」と罵ってしまったのだ。問題作。 twitter.com/dayukoume/stat…
@dayukoume アーレントは、動物が有する野生的なあり方をゾーエとした。例えば人間の性行為や排泄はこれに当たるが、公的には敬遠されている。一方、亀の排卵は神秘的なものとして語られている。ヒトのゾーエのみが秘匿される現状を憂慮した小梅氏は、野糞と亀の排卵が本質に於いて同一であると指摘したのだ。
小梅氏は男なのか、女なのか。男/女の二元論の超越、男⇆女を往来する小梅氏のスキゾ的性格は、ジェンダーを固定的に考える旧来のジェンダー観と真っ向から対立する。小梅氏が、「男なのか、女なのか」という問題に明確な答えが出せないことは、流動的なジェンダーという複雑な問題の一端を示すのだ。
『ウルトラマン』においては、突如市街地が戦場になることがある。そんななか、怪獣を倒すウルトラマンは一見ヒーローのように見えるが、作中において踏み潰される一般人の存在は不可視化されている(三人称の死)。小梅氏は、三人称の死を一人称の死に引き寄せることで、その死を重く受け止めるのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
近年、サウナで「整う」ことが文化的に流行の兆しを見せているが、ここでの「整い」は当然「私」の肉体と精神の「整い」以上のものではない。小梅氏は、あくまで「整い」は私的な体験であって、その上で外的な志向性の発露へと繋げよと説くのだ。駄作。 twitter.com/dayukoume/stat…
初めて辞書を手にしたばかりの幼き頃、「男根」などの言葉を引き、純粋に喜んでいた…そんな経験はないだろうか。国語辞典を購入し、卑猥な単語を引いた小梅氏は悟る。「国語辞典は子どもにとって、その他の単語の付録の付いたエロ本では無いか…?」と。童心に帰らせてくれる作品。 twitter.com/dayukoume/stat…
「コウメ太夫」トレンド入り スッキリラスト出演でネタ不発「軽く放送事故」「理解できない境地」(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース news.yahoo.co.jp/articles/a2af8…
「砂山のパラドックス」は、人間の言語が曖昧であることを示す思考実験だ。それに対して小梅氏は、「1日1円」を実質無料と定義するならば、「100万円」もまた無料でないか、と実験を行う。そして、100万日=約2700年の悠久の時を生きた小梅氏は、自身の死にすら気付かぬままその実践を終えたのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
エロ漫画の如き表現であるがよく考えてみよう。「性」に対し、本能を解き放つ行為が「おかしくなっちゃう」事であるならば、我々の「動物的本能」は“おかしな“ものなのだろうか。小梅氏の哲学は一貫している。性行為をせずとも我々は“おかしい“のだとし、小梅氏は我々の中の動物性を強調するのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
「白塗りを落としたら顔がなくなった」。これはゴッフマンの『行為と演技』の内容を踏まえれば簡単に理解ができる。ゴッフマンによれば、「自己」は、社会において求められた役割たる仮面(ペルソナ)によって形成される。白塗りを落とした途端、「コウメ太夫」という顔=自己は融解していくのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
@dayukoume ユクスキュルは、時間や空間は動物主体により、主観的に知覚されているとし、相対的な時間空間論である環世界論を唱えた。確かに、客観的には、全ての生物は同じ時間を生きるが、その「長さ」の知覚はそれぞれであろう。24時間を30秒の長さとして知覚した小梅氏は、環世界論を実証してみせたのだ。
その起源が如何なるものであれ、「バレンタイン」は、現代日本においては男/女という性規範に基づいた年中行事と化している。「コウメ太夫」は男/女の二項対立を混乱させ、解体する…小梅氏は、旧態依然とした「男/女」の二項の破壊者として収監されることとなってしまったのだ。傑作。 twitter.com/dayukoume/stat…
「死んだふり」という仮死状態への移行…秩序の超越としての仮死を行う小梅氏。更にそこでクマによる獣姦及び死姦が行われる。秩序の撹乱として、「タブー」を破ることによって、我々は秩序を再構成する。小梅氏とクマの性行は、秩序の攪乱と再形成という、ダイナミズムの実践なのだ。傑作。 twitter.com/dayukoume/stat…
今までは「ある特定の場所に引っ越ししたら、特定の場所が潰れました〜」という形式だったが、「◯◯に」の◯◯を、場所ではなく時間を代入する事でカテゴリー錯誤を起こし、「夜が潰れる」という奇妙な文章を生み出している。もしかすると、今までの引っ越しは伏線だったのかもしれない。革新的傑作。 twitter.com/dayukoume/stat…