哲学者コウ・メダユー(@koume_philo)さんの人気ツイート(いいね順)

問題ないようです。
小梅氏からアンサーがありました。小梅氏の日々の叫びは、発表する場がなくとも永遠に続くのだと。 まさか小梅氏に泣かされる日がくるとは思っていませんでした。 twitter.com/koume_philo/st…
最近の作品は少々心配になります。 夏バテでしょうか。
我々は皆ありえないと思う。これは、小梅氏なりの我々の常識の相対化の試みだ。西洋的な時間概念は、蓄積される、単線的な時間感覚である。小梅氏は、このある種ヘーゲル主義的な時間感覚を、500円玉の「蓄積」が起きず、むしろ「80円」が出るという事態で「ずらし」、我々の時間概念を解体するのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
本日(4/1)、『コウメ太夫と学ぶ 哲学・現代思想用語入門』を畜生社さんから出版することとなりました。 哲学の重要な50の用語だけでなく、非常に複雑な「現代」を考えるための現代思想の重要キーワード50を「まいにちチクショー」を一例にあげながら解説している一冊です。 ぜひお買い求めください。
打ち上げは一見科学的な目的のみによって行われるように思われるが、それは対外的な政治闘争であったりもする(宇宙開発競争)。打ち上げは、社会的な諸関係によっても生じる…科学知識の社会学(SSK)を踏まえた小梅氏は、自身が打ち上げに社会的な意味を生じさせる「燃料」となっている事を述べたのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
ママ友たちのランチに行ったら、「私ばっかり」だったという。「私以外私じゃないの」という曲が存在するが、小梅氏の主張はその逆で、「私以外も私である」という西洋近代の「自我」を溶解させるものである。間主観的なママ友ランチを通じて小梅氏は、西洋近代の図式を転覆させるのだ。駄作。 twitter.com/dayukoume/stat…
春といえばなんだろう。桜やそれを見る花見、或いは卒業シーズン…色々なものが思い浮かぶが、小梅氏は「パイプ椅子」と春の訪れを関連付ける。確かに、よくよく考えてみればパイプ椅子は、卒業式や入学式などの式典に必須だ。小梅氏は、春の行事を支える立役者としてパイプ椅子に注目してみせるのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
フロムは『自由からの逃走』を著し、民衆が責任を負うべき「自由」を獲得した結果、人々がその「自由」から逃走し、全体主義に傾倒してしまったことを示した。逆説的だが、「自由」は「責任」を生じさせる。小梅氏は、「自由」が、責任により人々を束縛している現実を逆説的に描いてみせたのだ。傑作。 twitter.com/dayukoume/stat…
本日、4/1日。ついに小梅氏との共同制作にて『コウメ太夫と学ぶ まいにち哲学365日』が畜生堂さんから出版されることとなりました。 まいにちのちょっとした「チクショー」な出来事を考えていきながら、自然と哲学的思考が身につくレッスンとなっています。 是非本屋でお買い求めください。
全部同じでは、と言いたくなるが少し考えよう。「親指が痛い」という出来事は、全て同じに見えて、通時的に生起し続けている出来事だ。つまり、ある瞬間の親指の痛さと、異なる瞬間の痛さは、異なる出来事なのだ。小梅氏は、意識の流れの中において生起し続ける痛みそれぞれをランクインさせたのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
フーコーによれば解剖学的臨床医学への転換は19世紀ころに生じたという。解剖という近代科学的な行為は、常に主体である人間を特権化しており、解剖の対象は動物や死体などの客体だった。小梅氏はそれを逆転させ、畜生によって小梅氏自身が客体として生体解剖される様子を生々しく描いてみせたのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
海外に行くことは、自文化中心主義を逃れ、文化相対主義のまなざしを養うことになる。確かにそれは、人生観を涵養する事になるが、その変化を30度だとかいった数字に還元する事は出来るだろうか。小梅氏はインドに行く事で、あらゆるものを数字に還元する態度を反省し、イン度という表現を用いたのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
本日、哲学者コウ・メダユーと、コウメ太夫氏の共著である『存在と虚像』が出版される事となりました。 今まで体系的に論じられる事の無かった小梅氏の思想が、明白に結実した作品となっています。 是非書店でお買い求め下さい。
@dayukoume マス・メディア上に現れる主体は、マス・メディア的イデオロギーにより初めて可能になり、そぐわぬ者には圧力が加えられる。アルチュセールのイデオロギー論を援用し、〈テレビイデオロギー〉の分析を行った小梅氏は、そこに存在する“実力主義イデオロギー”を発見し、それを畜生と非難したのだ。駄作。
秩序の逸脱者としての変態。パラレルワ〜ルドの「私」は、「あり得たかもしれない他の可能性」だ。男女の越境を行うこの世界の小梅氏はクィア的だが、他世界の小梅氏もまた、他のあり方での秩序の攪乱を行っていた。小梅氏は自身の哲学のため、どの世界でも一貫して、逸脱者として振る舞うのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
「はい、いいえ」といった質問を繰り返す事で、事物を他の事物から区別し、定義する事が出来るのだろうか。否。小梅氏は否定する。「真に事物を区別するに必要なのは否定のみだ。」小梅氏は、Aという事物については、「いいえいいえいいえ…」と「notA」を次々に列挙し、 定義すべしと説くのだ。傑作。
@dayukoume エクリチュールの領域に現れる「文字化け」だが、その意図された意味内容は多くの場合書き手にしか分からない。…否、小梅氏は“何も意図していない”のではないか?対象性を全く持たぬ本作は、マレーヴィチ的絶対象そのものであり、エーコの言を借りれば「開かれた」テクストと言えるのでないか。傑作。
店員さんが半額シ〜ルを小梅氏に貼る…つまり「人間を経済的な価値に還元する」ことに他ならない。現代の我々は教育に費用が費やされ、「人材」として産み出される。給与の高低にはその人間の経済的価値が反映されることがあるだろう。小梅氏は、「人」を経済的指標に還元する現代社会を風刺するのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
Twitterの崩壊は即ち、まいにちチクショーの終わりを指します。
若手起業家が増加するなど、昨今では最早「社長」という存在は「高年齢の男性」に限られなくなっている。若いスーツ姿の人を一目見て「新入社員」かと思ったが、実際は「社長」であったという経験をした小梅氏は、自身がステレオタイプのエイジズムに囚われていた事を悟ったのだ。駄作。 twitter.com/dayukoume/stat…
@dayukoume うまい棒は、一般に10円である。すると、小梅氏が無一文であるのが分かるが、実は小梅氏はここで、「ミニマリズム」を実践していたのだ。「最小限」に生きる為に、金銭の断捨離を実践した小梅氏であったが、うまい棒すら買えない事実に気付き、価値が貨幣に一元化される貨幣制度を大胆に非難したのだ。
「存在の概念がない世界」という思考実験を踏まえた作品。「白という概念が無い世界」において、小梅氏が、世界外から「白という概念」をもたらした時、一体何が起きるのか。受容か、排除か、狂乱か。全き異質さは、クトゥルフ的「宇宙的恐怖」を世界に齎し、チクショー❗️と絶叫する事態が生じるのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…
道具は、一定の程度であれば、「便利なもの」という範疇に過ぎないが、それが過度に社会において採用され始めると、道具に対しての我々人間の隷属がはじまるのだとイリイチは指摘した。イリイチの思想に影響を受けた小梅氏は、現代社会においてスマホと人間の主客転倒が生じていることを指摘するのだ。 twitter.com/dayukoume/stat…