Rootport💰🍹🍑(@rootport)さんの人気ツイート(古い順)

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最近の世の中では「男性性」は暴力や幼稚さと結びつけられがちで、まるで悪いモノであるかのように扱われがちだ。しかし当然ながら「男らしい人」が全員悪人であるわけがない。それこそ強烈な偏見だ。谷垣ニシパは、男性性の〝善なる側面〟を描いたキャラだと見做せる……かもしれない。
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「男らしい人」が、即座に全員「悪人」になるわけがない。男らしい善人もいれば、男らしい悪人もいる。「男らしさ」と「善悪」とは別レイヤーのものとして、野田先生の頭の中では整理されているのかもしれない。この部分の交通整理も、とても妥当で良識的なものだと俺には思える。
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それから、幅広い年齢層の「男のあり方」を描いている点も『ゴールデンカムイ』の美点の一つだ。オソマやチカパシのような子供・少年/杉本たちのような青年/鶴見たちのような大人/そして土方や長倉、都丹庵士のような老年。
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『ゴールデンカムイ』は全体的に〝男子校のノリ〟や〝男子運動部のノリ〟だ……という感想をよく見かけるのだけど、それはただ下ネタが多いってだけじゃない。年上の男性がメンターとなって年下の男性を導くという、むせかえるようなブロマンスが繰り返し描かれている。それも最高にカッコよく。
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たとえばこういうシーンね。こんなカッコいい爺さんに「ついて来い!」なんて言われたら、誰でもついて行っちゃうよ。 (※画像出典:『ゴールデンカムイ』第26巻)
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「ちなみにアシリパを主人公として読むと、ディケンズ『二都物語』のような〝強くて優しい男たちに囲まれて旅するワタシ〟という少女マンガのテンプレみたいなお話としても読めます」 「マジでジャンル不問の全部載せマンガだな」 「足りないのはエロマンガ要素くらい?」 「姉畑支遁編…」 「あっ…」
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ポリコレの概念は、ポジティブ・チェック(※加点式)で使えば創作の表現の幅を広げる素晴らしいものです。反面、ネガティブ・チェック(※減点式)で使うと表現を委縮させます。 『ゴールデンカムイ』をポジティブ・チェックで見た場合、「男性のジェンダー」と「少数民族」という二本柱で+百億点。
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ネガティブ・チェックで『ゴールデンカムイ』を見れば、ポリコレ的にアウトとされる描写が山ほどあります。第1話の時点でロシア人を「露助」と呼んでいるし、ホモネタで笑いを取ることに眉をひそめる読者も多いはず。とはいえ、そもそもネガティブ・チェック自体をやめたほうがいいと思います。
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アシリパの年齢は(※おそらく飲酒描写を可能にするために)明示されていませんが、少なくとも外見は「子供」という設定が良いですよね。〝強くて優しい男たちに囲まれて旅するワタシ〟という少女マンガ的な読み方をするためには、その男たちがヒロインを性的に求めないことが重要です。
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現実の世界では、男たちは女を庇護する見返りとして、セックスを要求することが珍しくない。ハーレクインや少女マンガによくある「対価としてのセックスを求めずに一方的に奉仕してくれる強くて優しい男たち」は、恐らく女性読者の夢想する理想の男性キャラクターなのでしょう。
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しかし、もしもアシリパの外見年齢が18歳以上の「大人の女」だったら、それに性的な眼差しを向けない男たちがかえって不自然に見えるはずです。「こいつらはガチの同性愛者か?それともインポテンツか?」という印象になってしまうはず。アシリパが「子供」だからこそ、リアリティが生まれている。
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『ゴールデンカムイ』の杉元とアシリパは、疑似兄妹的な関係が魅力だと思います。人間と戦うときは杉元がアシリパを守り、森の中でサバイバルするときは立場が逆転する……という関係性が、なんていうか、その、萌えますよね。
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「①現実世界に幻滅して希望を失いかけている(または失った)年上の男が→②無垢な少女と出会うことで→③生きる力を与えられる」というのが、おじロリというジャンルの基本。杉元とアシリパの場合、森の中でのサバイバル術という分かりやすい形で「生きる力」を与えられます。ヒンナヒンナ。
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「生物学科では何年かに1人はいるんです。創造論者を論破する!と息巻いて、キリスト教系の新興宗教の〝先生〟の話を聞きに行ってしまう学生が」 「論破できるんですか?」 「あちらは進化論争を何十年も続けているわけで、学生よりも何枚も上手です。大抵はそのまま帰ってきませんね」 「Oh…」
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Q. 東大生でもカルト宗教にハマるなんて、東大生ってバカなんですね。 A. いわゆる「例外の過大視」です。たとえばフィリピンで1万人以上を買春した校長先生がいたとして、「すべての校長先生は買春が好きだ」とは言えません。
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一般人「科学は現代における宗教の一つなんじゃありませんか?」 面倒くさいオタクぼく「今ッ!科学哲学のッ!!話をしましたね!?!?ぼくの前で!!!!」
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地方から出てきた人に「道を訊こうとしてもガン無視するなんて東京の人たちは冷たすぎる」って言われるけど、駅前で話しかけてくるやつ=99.999%の確率でカルト宗教の勧誘……っていう事情があるんです。申し訳ない。
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「手相占いの勉強していて」「聖書に興味ありませんか」「絵画に興味ありませんか」「私とデートしませんか」etc、etc、etc... ったく、現代のソドムとゴモラで暮らすのもラクじゃないぜ。
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99.999%がカルト宗教は言い過ぎたわ。約5割がカルト宗教、残りの約5割がキャッチセールスand/or夜職の勧誘。
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(そういえば高校生の頃に原宿で「役者に興味ありませんか」って声かけられたことあるんだよな) (宗教勧誘だと思って無視したけど) (もしもあれが本当に芸能界のスカウトで、俺がついて行っていたら、また違う人生になっていたのかもしれない)
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『トップガン・マーヴェリック』は、一昔前のおじさん向け映画のテンプレみたいに「最近の若者はなっとらん!」と主人公がキレるシーンがないんだよな。頭は堅いが経験豊かなベテランと、ヘラヘラしているがIT技術には強い若者……みたいなクリシェにも頼っていない。
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時代も地域も問わず、ヒトは一定の年齢を超えると「最近の若者はなっとらん!」と感じる生き物だと思うのだけど、現代の観客は「頭ごなしに若者を叱るのはみっともない/年上たるもの若者を導く存在でなければならない」と感じるようになったのかもしれない。
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「〝トップガン〟に集まるのはエリートパイロットだ」という設定のおかげなのか、『マーヴェリック』に登場する若者たちはみんな優秀なんですよね。同年代だった頃の主人公よりも優等生に見える。だから「可愛い」と感じるし、「しっかり正しい道へと導かなければ!」と感じさせられる。
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『マーヴェリック』は(いい意味で)おじさんの願望充足型の作品で、おじさんが気持ちよくなれる要素だけで構成されている。優秀で可愛らしい若者たちも、おじさんを気持ちよくさせる仕掛けの一つなのかもしれない。あの映画を見て「こんな部下が欲しい!」って感じた管理職のおじさんは多かったはず。
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「ドラマとは〝Conflict〟である」という原則から考えると、学園モノでは教師VS生徒の対立を軸にドラマが作られがち。でも、おじさんをイラつかせるような若者を登場させると、おじさんは気持ちよくなれない。なので、『マーヴェリック』では主人公と若者たちとの対立が控え目だったのかも。