本ノ猪(@honnoinosisi555)さんの人気ツイート(リツイート順)

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「もしあなたが嫉妬されたとしたら、話し合いなど無駄です。どのように振る舞っても相手は曲解し、憎しみを増大させるでしょう。いくらフレンドリーな笑顔を浮かべても、「勝ち誇ったような笑顔を浮かべて馬鹿にした」などと、とんでもない解釈をされるのがオチです」(『こころの違和感 診察室』P97)
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「ストーリーをすでに知っている作品は、読む気がしないという人がいる。その気持ちが分からない。芝居や落語というものは、ストーリーを知ったうえで楽しむものである。小説だってさして変わらない。常に新しいものを追いかけるはがりが読書ではない。」(黒田龍之助『物語を忘れた外国語』P23)
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「自分でコントロールできそうにないことを、夜中にまで考えなくていい。陽の高いうちにうんと悩んで、せめてまぶたを閉じる夜くらいは、とんちんかんな夢みたいなことを思い浮かべて、心の荷物を軽くしよう。悩み事に心身を占領されないようにしよう。」(『ただしい暮らし、なんてなかった。』P27)
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「言葉に責任を持たない人は、人間としてもっとも基本的ななにかを欠いています。どれほど資産や地位があっても、どれほど能力があっても、人間のあり方として失格な人をそれ以上頼ることはできません。そんな人と対話しようとしても失敗するのは目に見えています。」(『対話の技法』笠間書院、P75)
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「我々の自己責任の語り方に顕著な特徴の一つは、個人の行動には関心を向けても、一連の結果の総体を生み出した広範な構造的変化には無関心、というものである。貧困者をめぐる議論は見る間に、それがどんな点で当然の報いと言えるのかについての長広舌になってしまう。」(『自己責任の時代』P175)
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「ほんとうに悲しいときは言葉にできないぐらい悲しいといいます。ですから、小説の中で「悲しい」と書いてしまうと、ほんとうの悲しみは描ききれない。言葉が壁になって、その先に心をはばたかせることができなくなるのです。それはほんとうに悲しくないことなのです」(小川洋子『物語の役割』P65)
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「絶えずだれかと会っていないと落ち着かない人も、不必要にSNSでやりとりしている人も、用もないのに癖のようにインターネットで検索している人も、本人ははっきりと意識していないかもしれないが、自意識を麻痺させようとしているのだ。」(榎本博明『「さみしさ」の力』ちくまプリマー新書、P61)
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「ほどよく距離があるとき、人は不思議とやさしくなれるものです。誰かと関わるとき、その対象との距離感をはかりながら、もっと近づきたいと押しすぎたり、自分なんてと引きすぎたり、ときに間違い、修正しながら人間関係を織りなしていく。」(『ほどよく距離を置きなさい』サンマーク出版、P1)
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「人が生きるために、群れは必要だ。強制や糾弾のない、許し合える、ゆるやかで温かい絆の群れが。人が一人になることも了解してくれる、離れていくことも認めてくれる、けど、いつでも迎えてくれる、そんな「いい加減」の群れ。」(梨木香歩『僕は、そして僕たちはどう生きるか』岩波現代文庫、P259)
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「本人の気持ちひとつで、その外面的な噓の人格が内面化されて本物の人格になってしまうことも多々あるし、そこにこそ、人間の自発性、すなわち自由の問題の核心があるとも考えられる。偽善がほんとうの善になることもありうる。」(佐藤忠男『見ることと見られること』岩波現代文庫、P244)
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小学校時代、よく担任の先生が言っていた言葉。「怒り(いかり)」と「理解(りかい)」は裏表。小学生時代は「逆さに読んだだけじゃん」と思っていたが、今ではなんとなく腑に落ちている。
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「たとえば道徳の授業では、「共感」する能力が強調されますが、それは「やさしい気持ちで人に接すればいい」という話ではないのです。ちゃんと「知識」をもったうえでないと、他者に対して想像力を働かせることはできないし、「やさしく」することもできません」(『心の病気ってなんだろう?』P284)
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「英国で黒人やアイルランド人をもっとも激しく差別したのは、実はワーキング・クラスの人びとだった。というように、戦後の日本でも、貧しい人びとの歪んだ憂さ晴らしの矛先が下層の「日本人に見えない者」に向けられたのは容易に想像がつく。」(『オンガクハ、セイジデアル』ちくま文庫、P209)
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手塚治虫が語る「漫画を描くうえで、絶対にしてはいけないこと」。 一、戦争や災害の犠牲者をからかうようなこと。 一、特定の職業を見くだすようなこと。 一、民族や、国民、そして大衆をばかにするようなこと。 (『マンガの描き方』光文社、P235)
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「かたづけは肉体労働です。本当に大変な作業です。その上、「選ぶ」というステップでは、最大出力で脳を使います。とても疲れます。ですから、必ず体調の良いときに始めてください。」(杉田明子・佐藤剛史『中高生のための「かたづけ」の本』岩波ジュニア新書、P70) amzn.to/3DJkIy8
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「普通の人々が、民族差別(レイシズム)に由来する流言につき動かされて、虐殺に手をそめた過去をもつ都市。」「そこで今、かつてと同様に「朝鮮人を皆殺しにしろ」という叫びがまかり通っている。」(加藤直樹『九月、東京の路上で』ころから、P7) amzn.to/3KxmWTf
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「若いということは、自分にも他人にも残酷である。若いがゆえの経験の浅さと自意識の過剰とが、自分の位置のとりかたを往々にして誤らせる。傲慢さと背中あわせの劣等感に常に揺れ動いていて自分を制御するのがなかなか難しい。」(河野裕子『わたしはここよ』白水社、P40)
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「わたしのすきなひとが しあわせであるといい わたしをすきなひとが しあわせであるといい わたしのきらいなひとが しあわせであるといい わたしをきらいなひとが しあわせであるといい きれいごとのはんぶんくらいが そっくりそのまま しんじつであるといい」 (『えーえんとくちから』P152~153)
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「会社や学校に属さずにずっと生活していると、自由が平気な人と、自由を不自由に感じる人がいるっていうことが分かってきます。「自由」ということは何でもできるということではないんです。自己を律して生きていかないといけないということなんです」(大槻ケンヂ『サブカルで食う』角川文庫、P142)
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10月28日は「速記記念日」。 速記文字を眺めるのは、なかなか興味深い。 (参照:安田敏朗『「国語」ってなんだろう』清水書院、P63)
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「「親ガチャ」と形容されるほどに、子どもの運命は、どの家に生まれるかという条件に左右されるようになっている。そうしたペアレントクラシーの実態に対して、新自由主義と呼ばれる教育政策が「火に油を注ぐ」形で作用してしまっているということである。」(『ペアレントクラシー』朝日新書、P49)
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「自分、というものがない人は、自らの意志で物事を決めるのが恐いわけで、だから人の意見を聞きたい。そしてその結果を人のせいにしたい。勇気がある人というのは、そう考えると「自分がある人」をさすのかもしれない。」(山本文緒『日々是作文』文藝春秋、P179)
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「すぐれた人は、あえて世の中の苦しみに目を向けるわ。愚かな人は、自分が苦しいときをのぞけば人々の苦しみに気づかない。心が貧しい人、邪悪な人、運に見放された人は、行く先々で苦しみを周囲に押しつけ、まき散らす。」(サローヤン『ヒューマン・コメディ』光文社古典新訳文庫、P224)
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絵本作家のあいはらひろゆきさん死去。ご冥福をお祈りします。 「「そんなくだらないことやめて、勉強しなさい!」  よく聞くセリフです。  でも、子ども時代の一生懸命さに、  「いい一生懸命」と「やっちゃいけない一生懸命」なんてないんです。」 (『くまのがっこうの子育て』P60)
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「したくないことは無理してまでするな。命じられたからとか叱られるというのではやるな。それより自分のしたいことをやりたまえ。人間の生きていく原動力は、そうした憧れと面白さと達成感からこそ生まれてくるものだ。」(毛利子来『生きにくさの抜け道』岩波書店、P38)