本ノ猪(@honnoinosisi555)さんの人気ツイート(古い順)

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「確信に満ちている人と話をすることくらい、退屈であほらしい事ない。好きにすれば、あんたの思うように、一人でやればいい。確信に満ちている人は、確信しているもの以外のことを、吟味したり、迷ったりすると困るらしいのである。」(『佐野洋子』良品計画、P48)
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「わたしは不幸だ。そう思うとき、根底にはいつも比較がある。比較は不幸のモトだ。それも当然だ。人は比較によって幸不幸を判断するからだ。比較には二種類ある。他人との比較と、過去の自分との比較である。」(土屋賢二『日々是口実』文春文庫、P194)
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「謙虚とは、人のまえで、己れを無にするとか低く見せることでは絶対にない。むしろ自分の責任において、己れを主張することだ。そう断言します。謙虚とは権力とか他人に対してではなく、自分自身に対してこそ、そうあらねばならないことなのです。」(岡本太郎『孤独がきみを強くする』興陽館、P82)
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「常に「正解」を当てさせることや、結果がよければすべてが正当化されることを、学校や家庭が「模範」として示しているかぎり、ものごとの背後にあるものを考えようとしたり、ものごとを一面的にながめないようにすることは永久に学べないでしょう。」(『「わかる」ということの意味[新版]』P211)
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「批判って、難癖をつけるとか、文句ばかり言う、ということとは違います。正しい批判精神を失った社会は、暴走していきます。批判することは、もっとよくなるはずと、理想を持っているからできること。社会を愛する気持ちと反対のものではない」(『ほんとうのリーダーのみつけかた 増補版』P33)
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8月15日は、終戦の日。 玉音放送と演出。 「写っているのは確かに私だ。しかし、忘れてしまいたい写真だった」「なぜ涙を流す格好をするのか理解できないまま、言いなりになってしまった」(「「歴史的瞬間」作為だった」『北海道新聞』1995年10月8日付。参照:佐藤卓己『八月十五日の神話』P30)
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「死者はいつも生者のダシに使われている。死者はそれにも抗議できない。たとえば、戦死者は、日本のために、あるいは天皇のためにすすんで死んだのか、恨みをもって死んだのか。それはわれわれにはわからない。あるいは、どうとでもいえるのです。」(柄谷行人『倫理21』平凡社、P133)
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8月15日は、作家・さくらももこの命日。 「人生って夢やイメージではなく、毎日毎日が続いてゆくものであり、人間が一日にできる事といったらホントにちょっとだけだし、ちょっとだけしかできない事を、楽しんだり味わったりしてゆく気持ちを若い頃から忘れないでいて欲しい」(『ひとりずもう』P220)
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8月15日は、政治学者・丸山眞男の命日。 「民主主義というものは、人民が本来制度の自己目的化ーー物神化ーーを不断に警戒し、制度の現実の働き方を絶えず監視し批判する姿勢によって、はじめて生きたものとなり得るのです。」(『日本の思想』岩波新書、P173)
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「現実には、先の戦争で命を落とした日本軍人の半分以上が、敵と「戦って死んだ」のではなく、最後の戦いをする前に、戦争指導部の戦略ミスや兵站準備の不手際で「飢えて死んだ」のですが、靖国神社を参拝する首相や閣僚の口からは、餓死という言葉は絶対に出てきません。」(『未完の敗戦』P149)
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「現在の日本でも、教育勅語には「いいことも書いてある」から学校で教材として使っても問題はない、と主張する人がいます。けれども、教育勅語の大きな特徴は、それを読む子どもが批判的思考で内容を考えることを一切許さないことでした」(山崎雅弘『未完の敗戦』P108) amzn.to/3dAlbZa
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「自分でコントロールできそうにないことを、夜中にまで考えなくていい。陽の高いうちにうんと悩んで、せめてまぶたを閉じる夜くらいは、とんちんかんな夢みたいなことを思い浮かべて、心の荷物を軽くしよう。悩み事に心身を占領されないようにしよう。」(『ただしい暮らし、なんてなかった。』P27)
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「自由とは、じつは獲得しようとするものであって、あたえられるものじゃない。自由をあたえられていると思い、自由を謳歌している気分になっているとき、その人々は本当は自由じゃない。」(巖谷國士『シュルレアリスムとは何か』ちくま学芸文庫、P230)
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人の価値を「生産性」という指標で計測するようなことはあってはならない。
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「今の日本では、一番弱いものに重荷を押しつけ、「あんなものを背負いやがって、あいつはばかだ」と蔑視し差別する。子どもや老人の世話を女に押しつけ、重荷のために身動きがとれないと訴えられると、無能だとばかにする。」(山中恒『昔ガヨカッタハズガナイ』KKベストセラーズ、P129)
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「会社からすれば、いじめのおかげで、社員から不満の矛先を向けられる恐れが減る。加害者が自分の職場ストレスを発散するために無自覚に行っていたいじめが、会社にとっては、過酷な職場の「統治」に役立っていたというわけだ。」(坂倉昇平『大人のいじめ』講談社現代新書、P90)
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古本まつりからの帰りにブックオフに立ち寄ることを、友人たちは「別腹」と呼んでいる。
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「日本では人権が思いやりや他者への配慮という一人ひとりの意識や道徳の問題と捉えられているが、国際的に人権とは一人ひとりに与えられた権利であると同時に、国に課せられた義務と理解されている。」(谷口洋幸・文、『クィア・スタディーズをひらく 2 結婚, 家族, 労働』晃洋書房、P37)
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「解決すること、答えを早く出すこと、それだけが能力ではない。解決しなくても、訳が分からなくても、持ちこたえていく。消極的(ネガティブ)に見えても、実際には、この人生態度には大きなパワーが秘められています。」(帚木蓬生『ネガティブ・ケイパビリティ』朝日選書、P200~201)
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「職業に貴賤はなく、どんな仕事でも偉い、偉くないということはない。無職であっても、人の価値が下がるわけではない。同様に、金持ちが貧乏人よりも偉いわけではない。どんなに仕事で成功しても、人間として偉くなれるわけではない。」(森博嗣『「やりがいのある仕事」という幻想』朝日新書、P42)
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「「生理は病気ではないが, 生理痛は病気である」つまり生理痛は他人と痛みの程度を比べるものではなく, 本人が生活上困っていたら治療対象であると考えていただきたい。」(高尾美穂・文、『月経の人類学 女子生徒の「生理」と開発支援』世界思想社、P93)
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「民主主義教育を受けたはずなのに、私たち日本人は、西洋流の個人主義的な、周りが反対であろうと、一人ひとりが自立して考え、ちゃんと意見を述べたうえで、議論をして深めていく、ということは全然できていません。」(高畑勲『君が戦争を欲しないならば』岩波書店、P54)
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「ほんとの自立というのは、他人との協力、依存関係を成功させることのように思われます。なにがなんでも自分一人で生きるなどというのは不可能ですし、強引にそうしようとしたら、知らず知らず他人を犠牲にしてしまうし、自分も辛くなるにちがいありません」(『新編 若い父母へのメッセージ』P18)
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「日本人は独裁者なき全体主義者なんですが、一度誰かをやっつけていいんだ、コテンパンに叩いていいんだということになると、どいつもこいつもがモラリストのような顔をしてぶったたくので、見ているとおかしくてしようがない。」(開高健・文、ジョージ・オーウェル『動物農場』ちくま文庫、P150)
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「馬鹿は百人寄つても馬鹿なり。味方が大勢なる故、己れの方が智慧ありと思ふは、了見違ひなり。牛は牛伴れ、馬は馬連れと申す。味方の多きは、時としてその馬鹿なるを証明しつつあることあり。これほど片腹痛きことなし。」(夏目漱石著、三好行雄編『漱石文明論集』岩波書店、P290)