本ノ猪(@honnoinosisi555)さんの人気ツイート(新しい順)

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ある科目を「役立つ/役立たない」の二分法で語りたがる人は、"誰にとって"そうなのかを示さず、曖昧にすることが多い。大概は、発言者一人の人生経験を指標にして、役立つか役立たないかを語っているにすぎない。これに対しては「あなたはそうだったんですねー」という感想しかでてこない。
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「女性が男性と同じ程度の怒りの感情を表現するとき、その怒りはたいてい、その女性の不安定な心の印として解釈されてしまう。一般的に女性は感情的であると信じられており、この固定観念こそが女性たちの感情を妥当でないものとするのに利用されているのである」(『管理される心』世界思想社、P198)
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「会社や学校に属さずにずっと生活していると、自由が平気な人と、自由を不自由に感じる人がいるっていうことが分かってきます。「自由」ということは何でもできるということではないんです。自己を律して生きていかないといけないということなんです」(大槻ケンヂ『サブカルで食う』角川文庫、P142)
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「かわいそうな他者をわざわざ選ぶひと、なんらかの障害をもった他者に近づくひとは珍しくない。これらは、ヒューマニズムあふれる自己犠牲的選択に見えるが、「かけがえのなさ」が非対称的であれば、そこから容易に共依存という対象支配が生まれる。」(信田さよ子『共依存 新装版』朝日文庫、P160)
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「絶えずだれかと会っていないと落ち着かない人も、不必要にSNSでやりとりしている人も、用もないのに癖のようにインターネットで検索している人も、本人ははっきりと意識していないかもしれないが、自意識を麻痺させようとしているのだ。」(榎本博明『「さみしさ」の力』ちくまプリマー新書、P61)
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「しばしば誤解されていますが、人に依存することは決して悪いことではないのです。ところが、依存症になる人はそれができません。人には誰にも頼らずに、アルコールや薬物という「物」だけで自身の苦境を支えようとしてしまうのです。」(松本俊彦『薬物依存症』ちくま新書、P322)
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「幸福な状況は他者が与えることができても、幸福であるかどうかは本人に依存する。逆境にあっても幸福を作り出す人もいれば、幸福な環境の中でも不幸を作り出してしまう人がいる。大部分の不幸はその人自身の作品である。自分の人生は自分しか作れない。」(『「自分には価値がない」の心理学』P98)
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反ナチ運動を指導した牧師マルティン・ニーメラーの詩。
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「不利な集団からの訴えだけでは、なかなか社会全体の変化につながらないのが現実です。なぜなら、恵まれた集団に所属する人たちは現状維持によって利益が得られているため、変化の必要性を感じにくく、変えたくないと思っているかもしれないからです。」(村山綾『「心のクセ」に気づくには』P204)
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「人間らしい善意はだれにでもあり、全体として断罪される可能性の高い集団にも、善意の人はいる。境界線は集団を越えて引かれるのだ。したがって、いっぽうは天使で、もういっぽうは悪魔だった、などという単純化はつつしむべきだ」(ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧 新版』みすず書房、P144)
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「最近、政治が使っている社会的孤立って、社会の側が排除しているという話をあまり使わず、孤立しているかわいそうな人がいるから支援しようみたいな話ばかりですね。そもそも政治も含めて、制度がそれこそ排除的ですよ。」(桜井啓太・文、『子育て罰』光文社新書、P222)
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「絶望しないことだ。おまえが絶望しないことにも、絶望しないことだ。もうすべてがおしまいになったように見えても、それでもまだ新しい力が押しよせてくるものだ。それこそ、おまえが生きている、ということなのだ。」(辻瑆編訳『カフカ 実存と人生』白水社、P165)
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「愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。そのなかに「落ちる」ものではなく、「みずから踏みこむ」ものである。愛の能動的な性格を、わかりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも与えることであり、もらうことではない、と言うことができよう。」(フロム『愛するということ』P41)
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障害者の生きづらさの要因を、個々人の「身心の障害」に帰するのではなく、「所謂「健常者」用につくられた社会」に求める視点は重要である。つまり障害者は、他者によって「障害者にされた人たち」という一面を持っているということである。(この視点を社会学では「障害の社会モデル」と呼ぶ。)
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「一国の政権がやたら「わが国らしさを取り戻せ」などと精神論で愛国を語るときには、その裏側で、形あるものが海外の金持ちにばんばん売られているという現実がある。」(ブレイディみかこ『ヨーロッパ・コーリング・リターンズ』岩波現代文庫、P52)
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「日本人には「人間」の足場がない。従って、私たちの考え方には、何一つとしてしんがない。いつも外側の強力なものに畏服しているだけである。軍部が勢いを得れば軍部に、軍部が倒れて、別の勢力がはいって来れば別の勢力に、ただ無自覚に畏服しているだけである。」(田村泰次郎『肉体の門』P237)
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「都市においては、ほとんどすべての空間が私物化されており、そこにいつづけることは難しい。一見、オープンのように見える地下街や商店街やビルの軒下であっても、そこに長時間いれば警備員がやってきて追い出される。」(阿部彩『弱者の居場所がない社会』講談社現代新書、P118)
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「知性は、それを身につければ世界がよりクリスタルクリアに見えてくるというものではありません。むしろ世界を理解するときの補助線、あるいは参照軸が増殖し、世界の複雑性はますますつのっていきます。世界の理解はますます煩雑になってくるのです」(鷲田清一『濃霧の中の方向感覚』晶文社、P26)
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「いちばん困っている人たちを掬い上げて、底上げしていかないと、世の中全体はよくならない。なのにだめな奴は切り捨てろという人がいて、他人の痛みについて想像できず、気持ちに余裕のない人が多くなってきた。」(群ようこ『老いとお金』角川文庫、P165)
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上岡龍太郎さん死去。ご冥福をお祈りします。 「伝統芸能以外で舞台に立っている人というのはおそらくものすごく不安な気持ちで舞台に立っていると思う。伝統芸の人はそれこそ落語だ、浪曲だ、講談だ、と思うから舞台にドンといてられるんですけどね」(『話芸の達人』青土社、P218)
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ジョジョ立ちする聖徳太子。 (参照:荒木飛呂彦・画、『集英社版 学習まんが日本の歴史2』)
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「論破を得意としている人は、何の意味があるんですか、という問いかけを好む。意味の有無を自分勝手に判断しながら、それを基準値にして、ほら、意味ないですよねと繰り返す。そんな彼らの多くは、なぜかニヤニヤしている。」(武田砂鉄『今日拾った言葉たち』暮しの手帖社、P228)
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6月1日は、俳優マリリン・モンローの誕生日。 「マリリンを特徴づける、吐息を漏らすような妖艶な話し方も、吃音が関係していた可能性がある。息を吐きながら話せばどもらない。若いときにセラピストにそうアドバイスを受け、試してみたら確かにどもらなかった。」(近藤雄生『吃音』新潮文庫、P18)
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「他人に注意する者は、それが正しい要求であると信じていればいるほど、覚悟しなければならない。自分はいまたいそう傲慢な行為に出ているのだから、無傷で相手を動かすことができるというおめでたい期待などしてはならないこと、を」(中島義道『カイン 自分の「弱さ」に悩むきみへ』新潮社、P94)
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以前、家にある梅原猛の本を写真におさめたら、撮影失敗して、光の具合でライトセーバーを装備してしまった。 #見た人も何か今は撮れない写真をあげる