本ノ猪(@honnoinosisi555)さんの人気ツイート(新しい順)

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「コミュニケイションの得意な人は、常に「元気で明るい」人ではありません。常に「元気で明るい」状態は人間として不自然です。常に「元気で明るい」という呪縛が「コミュニケイションは苦手だ」という意識を持つ人を大量に作っている」(鴻上尚史『コミュニケイションのレッスン』大和書房、P91)
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「現代人は寛容さを失ったとする説には矛盾が多すぎます。そこで私はこう考えました。むかしの人は寛容だったのではなく、鈍感だっただけなのだと。鈍感だったから自分が傷つくこともあまりなかったし、他人を傷つけても平気だったのだ、と説明したほうが腑に落ちます。」『みんなの道徳解体新書』P28
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「戦争はいつも力ある者には味方するけれども、一番弱い力の無い者が犠牲になってしまうの。そういう弱い人のために、政治とか国とか地球とかはなくちゃいけない。こんな当たり前のこと、どうして最近は無視されているのだろう」(愛川欽也・述、『明るい話は深く、重い話は軽く』光文社、P66)
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いつの時代でも目にする光景。 「こいつが惡かったんだ!」 (参照:麻生豊・画、1946年。『近代日本漫画百選』岩波書店、P217)
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11月13日は、『宝島』『ジキル博士とハイド氏』で知られる、作家・スティーヴンソンの誕生日。 「充實した、怠らない靑春は、充ち足りた、自由な老年の前奏曲にほかならない。愚鈍な若者は必ず人を退屈させる老人となる。」(岩田良吉訳『若い人々のために 他十一篇』岩波書店、P83)
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「自分の不注意を後悔するのは立派なことです。でも後悔も度がすぎると逆効果になることがあります。罪の意識が強くなりすぎて、動きがとれなくなり、「しようがない。どうせうまくいかないんだ」と思ってしまいかねません。」(笹野洋子訳『いいことは、いつくるかな?』講談社、P148)
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11月12日はミヒャエル・エンデの誕生日。 「どの人間も、他の人間の考えていることを感じる、一種の能力とでもいえばいいのか、そんな能力を持っていると思うのです。ただ、わたしたちの教育が、人生の最初の日から、学校でもどこでも、実はその能力を破壊しようとする」(『ものがたりの余白』P200)
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「皮膚は、「真皮」と呼ばれる内層と、外側の「表皮」から成る。表皮の最も外側の表面は「角質層」と呼ばれ、すべて死んだ細胞でできている。ヒトを美しく見せるすべてが死んでいるという事実には、奇妙な感慨を覚える。」(桐谷知未訳『人体大全』新潮社、P31) #皮膚の日
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11月11日は、作家・ドストエフスキーの誕生日。 「人間というものは、もともとシステムとか抽象的結論にはたいへん弱いもので、自分の論理を正当化するためなら、故意に真実をゆがめて、見ざる、聞かざるをきめこむことも辞さないものなのだ。」(『地下室の手記』新潮文庫、P42~43)
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11月11日は俳優・沢村貞子の誕生日。 「どうしても、仲よくなれない、と思うならー仲よくしなくてもいい、と思う。ただー仲悪くしないように……すくなくとも、他の人間たちの生き方に、決して踏みこまないように……ただ、それだけの心づかいをのぞむのは、無理なのだろうか」(『老いの楽しみ』P56)
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「よい友人、よい友情に恵まれるには、自分にその値打ちがなければならぬ。類は友を呼ぶ、で、いいかげんな人間にはいいかげんな友人しか集まってこない。よい友人に恵まれるには、自分が誠実で、その友情を育てようとする、熱意がなくてはならない」(田辺聖子『上機嫌な言葉 366日』文春文庫、P90)
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「会社や学校に属さずにずっと生活していると、自由が平気な人と、自由を不自由に感じる人がいるっていうことが分かってきます。「自由」ということは何でもできるということではないんです。自己を律して生きていかないといけないということなんです」(大槻ケンヂ『サブカルで食う』角川文庫、P142)
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「人をすぐ上下とか、上手下手とかに種類わけして、どっちが偉いとか考えるという、そういう考えてもしようがないことを考えないようにしたい。比べて、自分のほうが劣っていると分かったからといって、どうしようもありません。」(大村はま『日本の教師に伝えたいこと』ちくま学芸文庫、P95)
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「幸福な状況は他者が与えることができても、幸福であるかどうかは本人に依存する。逆境にあっても幸福を作り出す人もいれば、幸福な環境の中でも不幸を作り出してしまう人がいる。大部分の不幸はその人自身の作品である。自分の人生は自分しか作れない。」(『「自分には価値がない」の心理学』P98)
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11月10日は、詩人・長田弘の誕生日。 「現実生活の友人はその人が生きているということが前提ですが、本は死んだ人すべてのなかから、自由に自分で、友人を見つけることができる。何千年もの昔に友人を求めることもできる。読むとは、そうした友人と遊ぶということです。」(『読書からはじまる』P17)
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この本を売った人たちは、無事に「うまくいっている人の考え方」を身につけたんだろうか。 ブックオフの本棚を眺めていると、こんなことを考えがち。
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「「働く」ということは、「働いて得た結果」を目的とする行為であるが、我が国ではむしろ、「働く」ことそれ自体を尊び、それを道徳的なものとする風があり、従って「一生懸命努力する」ことがそれ自体のものとして極めて抽象的に目的とされてきたのである。」(別役実『思いちがい辞典』P67)
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「考えてみれば、世間を維持しているのが強者です。いや、世間の甘い汁を吸って生きているのが強者であって、その甘い汁を吸っている連中の集合体を名づけて"世間"と呼んでいるわけですから、世間イコール強者なんです。だから、世間は強者を叩かない。」(『「狂い」のすすめ』集英社新書、P16)
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「ぼくはせめて、小説『火垂るの墓』にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になって、その無残な骨と皮の死にざまを、くやむ気持が強く、小説中の清太に、その想いを託したのだ、ぼくはあんなにやさしくはなかった」(野坂昭如『アメリカひじき・火垂るの墓』新潮文庫、P270)
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「おそらくはメディアの影響でしょうか、権力者に「お友達感覚」をもち、その人間性に過剰な思い入れを抱いてしまう。そして、権力者のすることに問題があれば批判するという当たり前の行為を「悪口」と感じてしまう。」(藤本一勇訳『茶色の朝』大月書店、P44)
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「善良な弱い人間は、みすてられている。組合とか圧力団体を作り、しゃにむに叫んで要求するやつらばかりが利益をえている。このたぐいがみな悪人というわけではないが、それにくらべて、孤立した善人はあわれなものだよ。善良であるがゆえに、集団を作れない。」(星新一『なりそこない王子』P164)
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「一見男性に有利とされるイデオロギーが、実際は男性自身を自縛していることが、ようやく指摘され始めている。フーコーが明らかにしたように、近代における男性の主体化は、近代資本主義価値体系への男性の従属化であった。」(大越愛子『フェミニズム入門』ちくま新書、P25)
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「「病む」に関係した言葉に「うらやむ」があります。この場合の「うら」は心の意味です。あまり、人をうらやましがってばかりいると、自分にもいいことはありません。気をつけましょう。」(川嶋優『ちびまる子ちゃんの慣用句教室』集英社、P68)
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「「自立」ということがよく言われるが、これは「独立」のことではない。独立=非依存で生きられるひとはいない。「自立」はあくまで「相互依存」という人生の取り消しえない条件下で、ある限定された文脈で、はじめて口にできることであり、すべきことである」(『普通をだれも教えてくれない』P187)
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「人々にまじって生活しながら、しかも孤独でいる。これが、創造にとって最適な状況である。このような状況は都会にはあるけれども村とか小さな町にはない。創造的状況の他の構成要素は、きまりきったこと、刺激のなさ、さらに少々の退屈と嫌悪などである」(エリック・ホッファー『波止場日記』P117)