本ノ猪(@honnoinosisi555)さんの人気ツイート(新しい順)

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2月26日は、歴史学者・藤原彰の命日。 「戦死よりも戦病死の方が多い。それが一局面の特殊な状況でなく、戦場の全体にわたって発生したことが、この戦争(アジア太平洋戦争:引用者注)の特徴であり、そこに何よりも日本軍の特質をみることができる。」(『餓死した英霊たち』ちくま学芸文庫、P10)
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「すべての行為に差別感情がこびりついていることを認めない限り、自分は差別していないという確信に陥っている限り、自分は「正しい」と居直る限り、人は差別感情と真剣に向き合うことはないであろう。いかなる「聖域」もない。」(中島義道『差別感情の哲学』講談社学術文庫、P210)
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「傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりもつらいものだと、おまえの心に言ってやるがよい。夢を追求している時は、心は決して傷つかない。それは、追求の一瞬一瞬が神との出会いであり、永遠との出会いだからだ」(パウロ・コエーリョ『アルケミスト 夢を旅した少年』角川文庫、P154)
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「あらゆる戦争は,起こすのは簡単だが,やめるのは極めてむずかしい.戦争の始めと終わりは, 同じ人間の手中にあるわけではない. 始める方は, どんな臆病者にもできるが, やめる方は, 勝利者がやめたいと思う時だけだ.」(柳沼重剛編『ギリシア・ローマ名言集』岩波書店、P134)
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2月24日は、文学者ドナルド・キーンの命日。 「日本人自身がよく嘆いている日本人の島国根性は、家族をモデルにして日本人が組み立てた階層性の一つの所産である。そこには、階層の外にいる誰かを扱う方法を示した規定はないと言っていい。」(『『ニューヨーク・タイムズ』のドナルド・キーン』P69)
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「本を買うということは、その本を「未来に読む」というひとつの約束のようなものを買うことだった。借りてきた本には期限がある。そうなると、そこにあるはずの「未来」が、あまりに短くてがっかりしてしまう。一方、自分のものにした本には、限りない「未来」が含まれていた」(『金曜日の本』P71)
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「よく「ご苦労さま」は目下に、「お疲れさま」は目上に使う、と言われます。これはべつに伝統的な区別ではなく、1990年代から見られる主張です。伝言ゲーム的に広まった面もあり、特に根拠はありません。歴史的には、「ご苦労さま」は昔から目上にも使われていました」(『日本語はこわくない』P46)
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「役に立つかどうかという「功利主義」的な尺度で測るかぎり, この世界は「余計者」で溢れている. 有用か無用か. 有能か無能か. 人間を測るこの判断基準は, 生きるに値するか否かという尺度と紙一重のものである.」(齋藤純一『公共性』岩波書店、Pⅵ)
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宮武外骨の著者プロフィールを見ると心が落ち着く。
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「世界の猫の呼び方」 「猫(イエネコ)の世界共通の呼び方(学名)は「Felis silvestris catus(フェリス・シルヴェストリス・カトゥス)」です。」 (参照:服部幸監修『ニャンでかな?』P114) #猫の日
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「「赤ちゃんだった頃の写真を  全員首から下げないといけない  日」を作ったら、その日は  みんなちょっとだけやさしい  気持ちになれるんじゃ  ないでしょうか。」 (ヨシタケシンスケ『ヨチヨチ父 とまどう日々』赤ちゃんとママ社、P60)
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「知識が多量にありしかもそれらが有機的に組織されている人は、他者から見ればものをよく知っていると思われるかもしれませんが、すぐ疑問にぶち当たることが可能ですから本人は疑問や知らないことを多く抱えており、とてもものをよく知っているとは思っていない」(『知ってるつもり』光文社、P130)
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漫画家の松本零士さん死去。ご冥福をお祈りします。 「普段の会話や現在広く普及しているSNSでの発言も、まず最初に、受け取る側はどう感じるか、傷つきはしないか、という想像力をフルに働かせることが大切なのです。」(『君たちは夢をどうかなえるか』P27)
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2月20日は、小説家・小林多喜二の命日。 画像は、1925年に行われた「小樽拓銀行員新年会」の様子。後列の右から二番目にいるのが多喜二。「左翼の闘士」の一般的なイメージとは異なり、口を大きくあけ満面の笑みを見せている。(参照:『治安体制の現代史と小林多喜二』本の泉社、P141)
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「差別には、同化と排除の二つがあります。一つは「自分たちと同じようになれ」。もう一つは、「同じようになれないなら、どこかへ行け」というものです。いずれも社会環境を定数と見なすアプローチで、多様性を阻害するという意味では同じです」(熊谷晋一郎・文『わたしの身体はままならない』P35)
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2月19日は、詩人・峠三吉の誕生日。 「ちちをかえせ ははをかえせ  としよりをかえせ  こどもをかえせ  わたしをかえせ わたしにつながる  にんげんをかえせ  にんげんの にんげんのよのあるかぎり  くずれぬへいわを  へいわをかえせ」 (『原爆詩集』岩波文庫、P9)
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「日露戦争のときは、従軍記者への統制がさらに強まって、外国人記者から厳しい非難を浴びた。軍の「公報」をそのまま掲載した新聞記事しか読まされず前線の苦戦ぶりを知らなかった国民は、無賠償講和に憤って日比谷焼打事件などをひきおこした。」(石井寛治『日本の産業革命』講談社学術文庫、P281)
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「常に「正解」を当てさせることや、結果がよければすべてが正当化されることを、学校や家庭が「模範」として示しているかぎり、ものごとの背後にあるものを考えようとしたり、ものごとを一面的にながめないようにすることは永久に学べないでしょう。」(『「わかる」ということの意味[新版]』P211)
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「後から新しいことを知って考えを改めるのは決して恥ずかしいことではなく、むしろ望ましい態度だと思うのですが、多くの人は、いちど表明した意見を変えることは「恥」や「負け」だと思うようです。」(山口裕之『「みんな違ってみんないい」のか?』ちくまプリマー新書、P207)
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「自分が嫌いだったものを、子供には好きになってほしい、というのも、虫が良すぎる。自分ができなかったことを子供には実現してもらいたい、と考えるような親の言うことを聞く子供はいない。たとえいたとしても、大した大人にならない子供である。」(森博嗣『勉強の価値』幻冬舎新書、P90)
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2月17日は、作家・坂口安吾の命日。 「人生においては、詩を愛すよりも、現実を愛すことから始めなければならぬ。もとより現実は常に人を裏ぎるものである。しかし、現実の幸福を幸福とし、不幸を不幸とする、即物的な態度はともかく厳粛なものだ。」(『堕落論・日本文化私観』岩波文庫、P326)
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2月17日は、詩人・茨木のり子の命日。 「ぱさぱさに乾いてゆく心を  ひとのせいにはするな  みずから水やりを怠っておいて  気難かしくなってきたのを  友人のせいにはするな  しなやかさを失ったのはどちらなのか」 (谷川俊太郎選『茨木のり子詩集』岩波文庫、P171)
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「ミルクティーを作るさい、ティーカップに注ぐのはミルクが先か紅茶が先か、イギリスでは昔から論争になっていました。しかし、2003年にイギリス王立化学会は、「ミルクが先のほうがおいしい」とこの論争に終止符を打ちました」(中村宜督『食品でひく 機能性成分の事典』女子栄養大学出版部、P284)
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「ホンネという我欲の主張が正しい行動なわけじゃないんだ。「私はホンネで生きている」なんて、かなり甘い台詞だよな。その人の周りでは、多くの人がホンネを抑えて見守っているんだよ、きっと。」(田村隆一・述、『言葉なんかおぼえるんじゃなかった』ちくま文庫、P75)
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「皮肉な名言がある。「人類を愛するのはたやすいが、隣人を愛するのは難しい」。確かにアフリカの貧しい子どもたちに涙を流す人間が、隣家の子どもが騒ぐと「うるさい」と怒鳴り込んでくるのを知ると、本当にその通りだな、と思う。」(川本三郎『映画の木洩れ日』キネマ旬報社、P454)