本ノ猪(@honnoinosisi555)さんの人気ツイート(いいね順)

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「困難な状態にある人ほど多くの依存先をつくらなければならないのに、なぜか「家族」や「施設」に押し込められてしまう。それは「自己責任」の変形だろう。自分で責任が取れないなら家族が責任を取れ、所属先が責任を取れ。日本とは、悲しいかなそういう国でもある。」『ただ、そこにいる人たち』P218
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「人の評価と自分の価値の本質はまったく別ものであることを知っていないと、自由に生きていくことはできませんし、他の人の評価に左右されているようでは自分のしたいことができず、自分のしていることや自分の価値を自分では決められないことになります。」(岸見一郎『哲学人生問答』講談社、P149)
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8月12日は、「日航機墜落事故」(1985年)が発生した日。 「坂本九は、一か月のうち三分の一は、飛行機に乗っている人でしたが、国内の移動には、絶対、日本航空を使わなかったのです。いつも、必ず、全日空を利用していました。」(柏木由紀子『上を向いて歩こう』P13)
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荒木先生の語る「ネッシー」。 「「謎」といえば、僕の若い頃はネッシーが代表的な謎だったんですが、「ネッシー、いないよな」という考えに落ちついたときに、漠然と「この世の終わりかな」と思いました。」(荒木飛呂彦「至高の悪としてのDIOの存在」『kotoba』2020年春号、P21)
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「クリスマスを絶対に楽しめない唯一の女性。それはサンタクロースの夫人であろう。とんでもない男といっしょになっちゃった。だから、時には亭主にこうも言いたくなるだろう。「買いおきの材料がなくなったので、きょうの夕食はトナカイのステーキにしたわよ」」(星新一『進化した猿たち』P224)
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「道徳と倫理との違いとは、単純明快、強制と自由との違いである。「してはいけないからしない」、これは道徳であり、「したくないからしない」、これが倫理である。「罰せられるからしない」、これは道徳であり、「嫌だからしない」、これが倫理である。」(池田晶子『言葉を生きる』筑摩書房、P22)
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「ぼくの趣味は読書ではなく買書だとは度々言ってきました。ところが買書も一種の読書ではないかと思うのです。読むだけが読書ではなく料金を払って所有することでその本のイメージを買ったのです。買うという行為を通さなければ、読書の入口に到達したことにならないのです」(『言葉を離れる』P71)
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「元気なふりをしたり、気を遣ったり、疲れたりするから、僕は極力ひとりでいたいんだ。たまにさびしくなるけど、僕はひとりが好きなんだ。こんなふうに寝ころんで、天井を見上げる。物の影がのびて、動物に見える。」(銀色夏生『ひとりが好きなあなたへ』幻冬舎文庫、P53)
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「政府とは、ていさいのいい一種の義賊なんだな。しかも、おっそろしく能率の悪い義賊さ。大がかりに国民から金を巻きあげる。その親分がまずごっそりと取り、残りを、かわいそうな連中に分けてやれと子分に命じて渡す。上から下へ子分どもの手をへるうちに、みるみる少なくなる」(『マイ国家』P314)
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「誰にも迷惑をかけないで本気で生きていくことはできません。もし、やろうとしたら、真剣なことは何もできなくなります。「人に迷惑をかけない」生き方を目指すのではなく、「あなたと人が幸せになる」生き方を目指すのです。」(鴻上尚史『「空気」を読んでも従わない』岩波書店、P158)
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「現代人は寛容さを失ったとする説には矛盾が多すぎます。そこで私はこう考えました。むかしの人は寛容だったのではなく、鈍感だっただけなのだと。鈍感だったから自分が傷つくこともあまりなかったし、他人を傷つけても平気だったのだ、と説明したほうが腑に落ちます。」『みんなの道徳解体新書』P28
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「もう、学生時代には戻りたくない。画一化された"学校"という組織の中で生きる時間は非常に苦痛である。学生の頃は「そういうもんだ」と思って過ごしてきたが、そういうもんの外に出た今、意味のない抑圧が多すぎると痛感する。」(さくらももこ『もものかんづめ』集英社文庫、P231)
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「「多様性が大事」と思っていても、じつは人間の脳は「たくさんある状態」が苦手です。そして、「個性が大事」と思っていても、「バラバラにあるもの」が苦手です。人間は、目の前にあるものを、「できるだけ揃えたい」と思ってしまうのです。」(稲垣栄洋『はずれ者が進化をつくる』筑摩書房、P42)
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「人生は受容であって、戦いではない。  戦うだとか、最前線だとか、  戦争のことばで、語ることはよそう。  たとえ愚かにしか、生きられなくても、  愚かな賢者のように、生きようと思わない。」 (長田弘『世界はうつくしいと』みすず書房、P64)
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「じつは猫は日中ほとんど寝て過ごすので、快適な環境さえあれば、飼い主さんがいなくてもあまり気にしていません(睡眠時間は14~16時間といわれています)。そもそも猫には「人間に飼われている」という認識が希薄なのです。」(藤井康一『家ねこ大全285』KADOKAWA、P54)
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「ぼくはせめて、小説『火垂るの墓』にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になって、その無残な骨と皮の死にざまを、くやむ気持が強く、小説中の清太に、その想いを託したのだ、ぼくはあんなにやさしくはなかった」(野坂昭如『アメリカひじき・火垂るの墓』新潮文庫、P270)
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「ナショナリズムに酔うこと自体がわるいというのではない。酔うことによって、たとえば、酔わない人、酔えない人を「なんだこいつは」と白い目で見始めることがおそろしいのである。」(小田実・文、『東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典』講談社文芸文庫、P388)
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「人生とは不思議なものだ。一生懸命働いているのに、なぜか充実感より、空虚さの方が強いときがある。また反対に、失敗続きで、貧乏で、明日がまったく見えないのに、空虚さは感じず、自分の生を強烈に感じて充実しているときもある。」(綿矢りさ『憤死』河出文庫、P165)
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「日本では、既婚女性の就業率が上昇すると、家族の絆が弱まり、家族メンバーが孤独化し、ウエルビーイングが低下すると考えられる傾向がある。しかし、この考え方は、家族の親密性のためには専業主婦が必要という前提に基づいている。」(宮坂靖子編著『ケアと家族愛を問う』青弓社、P239)
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「本人の気持ちひとつで、その外面的な噓の人格が内面化されて本物の人格になってしまうことも多々あるし、そこにこそ、人間の自発性、すなわち自由の問題の核心があるとも考えられる。偽善がほんとうの善になることもありうる。」(佐藤忠男『見ることと見られること』岩波現代文庫、P244)
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「従来の考え方では、障害は個人に属していました。ところが、新しい考えでは、障害の原因は社会の側にあるとされた。見えないことが障害なのではなく、見えないから何かができなくなる、そのことが障害だと言うわけです。」(伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』光文社新書、P211)
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政府や社会問題に対して批判を行ったときに、「なにもそこまで言わなくても。大袈裟だねー」と水を差してくる人がいる。だが、「大袈裟」とは言えなくなった段階で批判をはじめても、それはもう手遅れである。
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肝に銘じたい。
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「職業に貴賤はなく、どんな仕事でも偉い、偉くないということはない。無職であっても、人の価値が下がるわけではない。同様に、金持ちが貧乏人よりも偉いわけではない。どんなに仕事で成功しても、人間として偉くなれるわけではない。」(森博嗣『「やりがいのある仕事」という幻想』朝日新書、P42)
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「ひどい理不尽に対してされるがままでいるしかない、無力でみじめな者は、この耐えがたい、生きがたい体験の意味を、それでも「生きうる」、さらには「生きるに値する」ものへと変造しがちである。」(内藤朝雄『いじめの構造』講談社現代新書、P115) amzn.to/3NagilL