本ノ猪(@honnoinosisi555)さんの人気ツイート(いいね順)

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「私たちは、幸福であるとき、その幸福をあまり感じない。不幸になったとき、私たちは、初めて、自分に幸福が失われていることを痛感し、深く傷つく。幸福は、たいていの場合、不幸を介して、その姿を浮かび上がらせてくる失われた桃源郷である。」(渡邊二郎『増補 自己を見つめる』左右社、P240)
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7月26日は、作家・小松左京の命日。 「いつかは「現実」が、「報道」をおいこして、インクの香りのする新聞紙や、ラジオ、テレビの受信器の背後から、こちら側へ、せまってくる時がくる。ーーその時、惨劇はもはや人ごとではなく、あなた自身のものになるのだ。」(『復活の日』角川文庫、P206)
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12月4日は、医師・中村哲の命日。 「今大人たちが唱える「改革」や「進歩」の実態は、宙に縄をかけてそれをよじ登ろうとする魔術師に似ている。だまされてはいけない。「王様は裸だ」と叫んだ者は、見栄や先入観、利害関係から自由な子供であった。それを次世代に期待する。」(『天、共に在り』P246)
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「憎しみに立ち向かうただひとつの方法は、憎む者たちに欠けている姿勢をとることだ。つまり、正確に観察すること、差異を明確にし、自分を疑うのを決してやめないこと。こういった姿勢によって、憎しみは次第にひとつひとつの要素に解体されていく。」(カロリン・エムケ『憎しみに抗って』P15)
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8月8日は、民俗学者・柳田國男の命日。 「書物で学問をしようとする者は、よっぽど用心せぬとたちまち概念の虜になってしまう。殊に我々常民の先祖は随分よく苦しみ、また痛切なるいろいろの実験をしたが自身ではそれを書残しておいてくれなかった。」(『都市と農村』岩波書店、P15)
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「道徳と倫理との違いとは、単純明快、強制と自由との違いである。「してはいけないからしない」、これは道徳であり、「したくないからしない」、これが倫理である。「罰せられるからしない」、これは道徳であり、「嫌だからしない」、これが倫理である。」(池田晶子『言葉を生きる』筑摩書房、P22)
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「学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。」「勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。」(太宰治『パンドラの匣』P19)
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現代の妖怪・通貨。 「これを馬鹿にすると貧乏というザンコクな復讐をうける、といって精神安定剤の代わりに貯めると、いくら貯めても精神が安定するという効能はないから、一生このドレイとなることがある。」(『水木しげるのニッポン幸福哀歌』角川文庫、P269)
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8月5日は、岩波茂雄により「岩波書店」が創業された日。 1918年4月時(開業年は1913年)の岩波書店の様子。 (参照:植田康夫・紅野謙介・十重田裕一編『岩波茂雄文集1 1898-1935年』岩波書店、Pⅶ)
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「もう、学生時代には戻りたくない。画一化された"学校"という組織の中で生きる時間は非常に苦痛である。学生の頃は「そういうもんだ」と思って過ごしてきたが、そういうもんの外に出た今、意味のない抑圧が多すぎると痛感する。」(さくらももこ『もものかんづめ』集英社文庫、P231)
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「たとえば道徳の授業では、「共感」する能力が強調されますが、それは「やさしい気持ちで人に接すればいい」という話ではないのです。ちゃんと「知識」をもったうえでないと、他者に対して想像力を働かせることはできないし、「やさしく」することもできません」(『心の病気ってなんだろう?』P284)
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「人々にまじって生活しながら、しかも孤独でいる。これが、創造にとって最適な状況である。このような状況は都会にはあるけれども村とか小さな町にはない。創造的状況の他の構成要素は、きまりきったこと、刺激のなさ、さらに少々の退屈と嫌悪などである」(エリック・ホッファー『波止場日記』P117)
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「よく「ご苦労さま」は目下に、「お疲れさま」は目上に使う、と言われます。これはべつに伝統的な区別ではなく、1990年代から見られる主張です。伝言ゲーム的に広まった面もあり、特に根拠はありません。歴史的には、「ご苦労さま」は昔から目上にも使われていました」(『日本語はこわくない』P46)
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「事件で問われたのは、差別観を膨らませて犯行に及んだ彼ただ1人ではない。障害の有無や程度で学ぶ場所、暮らす場所、活動する場所を厳然として分ける社会のありようがあり、その「分ける社会」を形作っている私たち一人一人も問われている」(神奈川新聞取材班『やまゆり園事件』幻冬舎文庫、P390)
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「疲れのために、わたしがなぜこうして工場の中に身をおいているのかという本当の理由をつい忘れてしまうことがある。こういう生活がもたらすもっともつよい誘惑に、わたしもまた、ほとんどうちかつことができないようになった。それは、もはや考えることをしないという誘惑である。」『工場日記』P58
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「●文庫本は何冊まで積めるか?」 明らかになった新潮文庫の強度。 (参照:堀井憲一郎『文庫本は何冊積んだら倒れるか』本の雑誌社、P14)
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「先延ばしは、人生の最大の損失なのだ。先延ばしは、次から次に、日々を奪い去っていく。それは、未来を担保にして、今このときを奪い取るのだ。生きるうえでの最大の障害は期待である。期待は明日にすがりつき、今日を滅ぼすからだ。」(セネカ『人生の短さについて 他2篇』光文社、P45)
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「わたしが本を読むのが好きなのは、楽しみであるのと同時に、「孤独」であることを肯定してくれるから。本を読んでいる限り、他人はわたしを放っておいてくれる。結果的にわたしの「孤独」は尊重される。」(中江有里・文、『誰かと暮らすということ』角川文庫、P214)
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「批判って、難癖をつけるとか、文句ばかり言う、ということとは違います。正しい批判精神を失った社会は、暴走していきます。批判することは、もっとよくなるはずと、理想を持っているからできること。社会を愛する気持ちと反対のものではない」(『ほんとうのリーダーのみつけかた 増補版』P33)
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「自殺すると言う人は本当は自殺しないーーこれはかなり広く信じられている誤解です。」「自殺した人の八割から九割は実際に行動に及ぶ前に何らかのサインを他人に送ったり、自殺するという意思をはっきりと言葉に出して誰かに伝えているのです。」(高橋祥友『自殺の心理学』講談社現代新書、P5)
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「強調しておこう。いじめの被害者は悪くない。たとえ、被害者自身がいじめを招くような行動をしていたとしても、である。たとえば、どんなに嫌な人であっても、私たちはその人を傷つけることはできない。」(和久田学『学校を変える いじめの科学』日本評論社、P44)
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「少しでも「変だな」と感じたら、その自分の感性を大事にしましょう。そういう時は、「自分の理解が足りないため」などと思わず、なぜ違和感を覚えたのか、一度相手と少し距離を置いて、じっくり考えてみてください。」(江川紹子『「カルト」はすぐ隣に』岩波ジュニア新書、P208)
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「多数決原理は、個人的選好と外的選好を区別できません。これはきわめて重要な事実です。つまり、多数決に従うかぎり、差別的偏見を持った人が多ければ、差別は永遠に解消されないのです。」(永井均『倫理とは何か』ちくま学芸文庫、P216)
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「他者をカテゴリーにおいて呼ぶのではなく、名で呼ぶこと、それが他者を他者として迎え入れるということである。他者に対しておのれを劈くということである。」「分類するとは、その存在を交換可能なものとみなすことである。」(鷲田清一『「聴く」ことの力』ちくま学芸文庫、P231)
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漫画家・さくらももこさんが「帝王切開」を決めた理由。 「ここはお互い楽にいこうじゃないか。子供が何のストレスも危険も負わずにこの世に出てこられるのなら私はお腹のひとつやふたつ切っても一向にかまわない。傷が残る事など何でもない。」(『そういうふうにできている』新潮文庫、P103)