本ノ猪(@honnoinosisi555)さんの人気ツイート(いいね順)

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Tシャツに目がいく著者紹介。
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「読書とは、突き詰めていくと、孤独の喜びだと思う。人は誰しも孤独だし、人は独りでは生きていけない。矛盾しているけれど、どちらも本当である。書物というのは、この矛盾がそのまま形になったメディアだと思う。読書という行為は孤独を強いるけれども、独りではなしえない。」(『小説以外』P179)
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7月23日は、物理学者・益川敏英の命日。 「お金の出そうな分野でしか人が仕事をしない。あるいはお金になりそうな発明や特許に人が集中する。こうした商業主義に流される科学研究は、国策としての軍事研究にも利用されやすいという一面も忘れてはなりません。」(『科学者は戦争で何をしたか』P89)
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7月31日は、民俗学者・柳田國男の誕生日。 「書物で学問をしようとする者は、よっぽど用心せぬとたちまち概念の虜になってしまう。殊に我々常民の先祖は随分よく苦しみ、また痛切なるいろいろの実験をしたが自身ではそれを書残しておいてくれなかった。」(『都市と農村』岩波書店、P15)
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「差別は自己価値の底上げを本質としています。自分の価値に自信がない人間が、他人の価値を引きずりおろし、価値のない人間として見下すことで、自分のほうが上だ、自分のほうが価値がある、と思いたがっているのです。」(山竹伸二『ひとはなぜ「認められたい」のか』ちくま新書、P234)
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サメとイルカを、海面の上から見分ける方法。尾ビレに注目。 (参照:沼口麻子『ほぼ命がけサメ図鑑』講談社、P63)
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「ほんとうに悲しいときは言葉にできないぐらい悲しいといいます。ですから、小説の中で「悲しい」と書いてしまうと、ほんとうの悲しみは描ききれない。言葉が壁になって、その先に心をはばたかせることができなくなるのです。それはほんとうに悲しくないことなのです」(小川洋子『物語の役割』P65)
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「(幽霊の)登場する季節は、日本が夏であるのは、怪談が夏の消暑のための寄席話であったためであるが、同じような理由で、ヨーロッパでは冬に設定されることが多い。これは冬の長夜の炉端話として語られたためだろう。」(指昭博『キリスト教と死』中公新書、P59)
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「誰かを誹謗中傷することによって「勝った」気になろうとしていることを自覚したなら、まず自分自身の不安から生じた言動ではないかと疑ってみるべきである。自分と相手のスキルの違いを慎重に見比べた結果として誹謗中傷が飛び出してくることは滅多にない。」(『個性という幻想』講談社、P272)
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「「自立」ということがよく言われるが、これは「独立」のことではない。独立=非依存で生きられるひとはいない。「自立」はあくまで「相互依存」という人生の取り消しえない条件下で、ある限定された文脈で、はじめて口にできることであり、すべきことである」(『普通をだれも教えてくれない』P187)
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台湾のホームレスとその支援者の活動を追った一冊『私がホームレスだったころ』(白水社)を読んでいたら、台湾の公園の椅子に横になって休めないよう障害物が加えられている現状が示されていた。日本では「排除アート」と呼ばれる「環境型権力」だが、これは決して日本だけの問題ではない。
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「加齢臭や女子力ということばがなかった時代には、体臭を気にする男性も、自分磨きを意識する女性も決して多くはありませんでした。しかし、社会記号として概念がつくられた途端、男性用の体臭ケア用品が売れ、女性の魅力を磨く講座に人が集まるようになりました。」(『欲望する「ことば」』P12)
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「摂取カロリーは実際にどれだけ食べるかよりも、腸がどれだけ吸収するかで決まる。その吸収量は手伝ってくれる微生物がどれだけいるかに左右される。消費カロリーについても同様で、運動で使うエネルギーだけで決まるものではない。」(矢野真千子訳『あなたの体は9割が細菌』河出文庫、P108)
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「完全に「他者のため」という動機だけで良心が生じるわけではない。他者に承認されたい、他者と共に生きたい、という「自己のため」の動機も当然あるだろうし、あっていいと私は思う。そうでなければ、自己犠牲を美徳と考えるような偏った義務論になりかねない」(『共感の正体』河出書房新社、P188)
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百貨店の隠語の例。 (参照:国立国語研究所編『日本語の大疑問』幻冬舎新書、P60)
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「私は、「私は差別なんてしない」などといった「自分は違う」的な発言をする(一見したところ意識が高いように見える)人こそ、危険であると思っています。誰もが「差別」と受け止められる発言をしてしまう可能性があり、誰もが危機意識を持つべきなのです。」(『いまを生きるカント倫理学』P201)
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「こんや きみが ねる とき  なにか とても おおきい こと  かんがえるんだ。  その おおきい かんがえが  きみの あたまを おおきくするだろう。」 (アーノルド・ローベル著、三木卓訳『かえるの哲学』P64)
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「学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。」「勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。」(太宰治『パンドラの匣』P19)
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「「生理は病気ではないが, 生理痛は病気である」つまり生理痛は他人と痛みの程度を比べるものではなく, 本人が生活上困っていたら治療対象であると考えていただきたい。」(高尾美穂・文、『月経の人類学 女子生徒の「生理」と開発支援』世界思想社、P93)
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「死者はいつも生者のダシに使われている。死者はそれにも抗議できない。たとえば、戦死者は、日本のために、あるいは天皇のためにすすんで死んだのか、恨みをもって死んだのか。それはわれわれにはわからない。あるいは、どうとでもいえるのです。」(柄谷行人『倫理21』平凡社、P133)
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「知識が多量にありしかもそれらが有機的に組織されている人は、他者から見ればものをよく知っていると思われるかもしれませんが、すぐ疑問にぶち当たることが可能ですから本人は疑問や知らないことを多く抱えており、とてもものをよく知っているとは思っていない」(『知ってるつもり』光文社、P130)
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「ほんとうに悲しいときは言葉にできないぐらい悲しいといいます。ですから、小説の中で「悲しい」と書いてしまうと、ほんとうの悲しみは描ききれない。言葉が壁になって、その先に心をはばたかせることができなくなるのです。それはほんとうに悲しくないことなのです」(小川洋子『物語の役割』P65)
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「女が死ぬ。ストーリーのために死ぬ。女がレイプされる。ストーリーのためにレイプされる。我々はそれを見ながら大きくなる。もう別に何も思わないし、感じない。そもそもたいして気にしたこともないかもしれない。大きくなった我々は、その日、映画館から出る。」(松田青子『女が死ぬ』P70)
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5月6日は、漫画家・三浦建太郎の命日。 「人は同じ過ちを繰り返す様に見えるけれど 因果は決して円環ではない 螺旋なのです」(『ベルセルク』26巻、白泉社より)
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「謙虚とは、人のまえで、己れを無にするとか低く見せることでは絶対にない。むしろ自分の責任において、己れを主張することだ。そう断言します。謙虚とは権力とか他人に対してではなく、自分自身に対してこそ、そうあらねばならないことなのです。」(岡本太郎『孤独がきみを強くする』興陽館、P82)