本ノ猪(@honnoinosisi555)さんの人気ツイート(いいね順)

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「どちらの立場が正しいのかも考えず「なにもせずに正しい人」になろうとすると「どちらの側にも問題がある」と言いがちになります。やりとりの順番などに気をつけて、どちらが正しいのかを考えよう。」(森山至貴『10代から知っておきたい あなたを閉じこめる「ずるい言葉」』WAVE出版、P29)
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「知識が多量にありしかもそれらが有機的に組織されている人は、他者から見ればものをよく知っていると思われるかもしれませんが、すぐ疑問にぶち当たることが可能ですから本人は疑問や知らないことを多く抱えており、とてもものをよく知っているとは思っていない」(『知ってるつもり』光文社、P130)
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「自殺すると言う人は本当は自殺しないーーこれはかなり広く信じられている誤解です。」「自殺した人の八割から九割は実際に行動に及ぶ前に何らかのサインを他人に送ったり、自殺するという意思をはっきりと言葉に出して誰かに伝えているのです。」(高橋祥友『自殺の心理学』講談社現代新書、P5)
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時々思い出してしまうツイート。 「文系の先生は我々と違って実験をしなくていいので、大量に時間がある。」 こういう偏見は後を絶たない。
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「歴史の流れ、社会の動き、政治経済の問題、そういうものを知ろうともしないで、全部失った後でしまった、こんなはずじゃなかったと言っても、もう遅い。あとの祭りです。」(かこさとし『未来のだるまちゃんへ』文春文庫、P18)
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「戦争の真の恐ろしさは、殺人、飢え、破壊、死が発生するからではない。全員がいつのまにか画一化された思考になり、当然のことと行動に移すことにある。戦争体験を語りつぐことのむずかしさは、そこにある。みなが正気じゃなかったのだ。」(星新一『きまぐれエトセトラ』角川文庫、P172)
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「傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりもつらいものだと、おまえの心に言ってやるがよい。夢を追求している時は、心は決して傷つかない。それは、追求の一瞬一瞬が神との出会いであり、永遠との出会いだからだ」(パウロ・コエーリョ『アルケミスト 夢を旅した少年』角川文庫、P154)
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「一度ある人を立派な人だと思ってしまうと、その人が立派なことをしている場面にだけ注意が向けられる。反対に別の人をダメなやつだと思うと、その人がダメなことをしている場面に注意が向けられがちになる。」(鈴木宏昭『認知バイアス 心に潜むふしぎな働き』講談社、P87)
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「誰かの発言や芸を「面白くない」「つまらない」と一言で切ってしまえば、それで終わりですが、「わからない」という受け止め方だと将来に繫がる。つまり、将来わかる時がくるかもしれない可能性が残される。」(家近良樹『歴史を知る楽しみ 史料から日本史を読みなおす』ちくまプリマー新書、P156)
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江戸時代の「入墨刑」。入墨の入れ方は地域によって異なる。 (参照:名和弓雄『拷問刑罰史【改訂第二版】』雄山閣、P191)
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「味方でなければ敵だ、賛成でなければ反対だ、と受け取る人がいるが、そうではない。味方でも敵でもない、賛成でも反対でもない、ニュートラルな立場がある。「好きじゃない」というのは、「嫌いだ」とは明らかに違う。」(森博嗣『追懐のコヨーテ』講談社文庫、P203)
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「すべての行為に差別感情がこびりついていることを認めない限り、自分は差別していないという確信に陥っている限り、自分は「正しい」と居直る限り、人は差別感情と真剣に向き合うことはないであろう。いかなる「聖域」もない。」(中島義道『差別感情の哲学』講談社学術文庫、P210)
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「ほんとうに悲しいときは言葉にできないぐらい悲しいといいます。ですから、小説の中で「悲しい」と書いてしまうと、ほんとうの悲しみは描ききれない。言葉が壁になって、その先に心をはばたかせることができなくなるのです。それはほんとうに悲しくないことなのです」(小川洋子『物語の役割』P65)
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「私は、「私は差別なんてしない」などといった「自分は違う」的な発言をする(一見したところ意識が高いように見える)人こそ、危険であると思っています。誰もが「差別」と受け止められる発言をしてしまう可能性があり、誰もが危機意識を持つべきなのです。」(『いまを生きるカント倫理学』P201)
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「差別は自己価値の底上げを本質としています。自分の価値に自信がない人間が、他人の価値を引きずりおろし、価値のない人間として見下すことで、自分のほうが上だ、自分のほうが価値がある、と思いたがっているのです。」(山竹伸二『ひとはなぜ「認められたい」のか』ちくま新書、P234)
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「人から受けた恩は別の人間に返しな。でないと世間が狭くなるよ」 「厚意とか思いやりなんてのは、一対一でやり取りするようなもんじゃないんだよ。それじゃあお中元やお歳暮と一緒じゃないか」 (中山七里『護られなかった者たちへ』宝島社文庫、P262)
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「皮膚は、「真皮」と呼ばれる内層と、外側の「表皮」から成る。表皮の最も外側の表面は「角質層」と呼ばれ、すべて死んだ細胞でできている。ヒトを美しく見せるすべてが死んでいるという事実には、奇妙な感慨を覚える。」(桐谷知未訳『人体大全』新潮社、P31) #皮膚の日
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1月2日は、20歳で自死した大学生・高野悦子の誕生日。 「人間は完全なる存在ではないのだ。不完全さをいつも背負っている。人間の存在価値は完全であることにあるのではなく、不完全でありその不完全さを克服しようとするところにあるのだ。人間は未熟なのである。」(『二十歳の原点』新潮文庫、P7)
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「全般的に言って、朝はなんとなく本を読むのに向かない。朝の読書は人にとって時間の無理な使い方のような気がする。だんだんと日中になっていって初めて、本を読む能力がゆっくりと育っていき、ふつう夜になって最高になる」「読書人は夜行性の動物に属する」(『いろいろな人たち』平凡社、P120)
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「インターネットで検索すれば、自分と同じ年齢なのにすごい人がいくらでも見つかる時代になった。ここで、そうはなれない自分に疲れるのである。生まれたときに自由のチケットを一方的に渡してきて、それを死ぬまでに使い切ることを要求する社会が嫌になるのだ。」(『〈普遍性〉をつくる哲学』P274)
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「「赤ちゃんだった頃の写真を  全員首から下げないといけない  日」を作ったら、その日は  みんなちょっとだけやさしい  気持ちになれるんじゃ  ないでしょうか。」 (ヨシタケシンスケ『ヨチヨチ父 とまどう日々』赤ちゃんとママ社、P60)
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「人と人が別れるとき、「サヨナラ」というものだと私たちは思っている。しかしよく考えてみると「サヨナラ」といって別れることが出来る別れは倖せな別れだ。戦争の頃、私たちは戦争に行く人に向かって「サヨナラ」ということが出来なかった」(佐藤愛子・文、『少女たちの戦争』中央公論新社、P27)
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「先延ばしは、人生の最大の損失なのだ。先延ばしは、次から次に、日々を奪い去っていく。それは、未来を担保にして、今このときを奪い取るのだ。生きるうえでの最大の障害は期待である。期待は明日にすがりつき、今日を滅ぼすからだ」(セネカ『人生の短さについて 他2篇』光文社古典新訳文庫、P45)
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「昔は正倉院の倉の構造が、宝物の保存に特殊な働きをしているという説があった。」「しかしこれはよくできた噓だった。そもそも中倉の部分は、校倉でなく、板壁であるし、千年以上を経た古木が簡単に伸び縮みするというのもおかしい。」(東野治之『正倉院』岩波新書、P146)
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「もう、学生時代には戻りたくない。画一化された"学校"という組織の中で生きる時間は非常に苦痛である。学生の頃は「そういうもんだ」と思って過ごしてきたが、そういうもんの外に出た今、意味のない抑圧が多すぎると痛感する。」(さくらももこ『もものかんづめ』集英社文庫、P231)