私の地元には通称「ヨクタカレのボケツ」という場所がある。緩やかな岬の岩礁地帯で灯台もなく、海中にアワビとナマコが大量にいるので密漁者が絶えないのだが実際は潮流が速く岩礁が複雑で体が挟まれて動けなくなり溺死する人が昔からよくいた。なので強欲を意味する方言「ヨクタカレ」の名がついた。
・神様になった猫 動物が神や神の使いとされる話は昔から多いが、長野県内には猫を神様として祀る石碑が点在している。養蚕農家が多かったこの地域では、作物を食い荒らすネズミを捕る猫が重宝された。それがいつしか神様とされ、石仏のように道路や神社の脇に置かれるようになったという(続) #猫の日
四国某所で見かけたカバーのようなものがついた街灯。街灯自体はよくある形だがライト部分に金属製の円筒状カバーが付いている。これを見かけてから5年が経つが、周りはおろか日本全国ふらついても1つとして同じものを見たことがない。なんのためについているのか、一体これはなんなのか…求む情報。
これは実際そう。北海道松前でも古い墓石の一部や普段見えない部分にクルスっぽいのが刻んである墓がいくつかあって、江戸期に隠れキリシタンがいた土地柄からキリシタン遺物だと騒がれたことがあったんだけど、地元大の研究者が調査して「墓の石材を接合させるための合わせ印」とわかったことがある。
辛いことがあったら太宰の『悶々日記』を読むと元気が出るのでおすすめです。内容例 ○月○日:郵便受箱に蛇を投げ入れていった人がある。憤怒。日に二十度、我が家の郵便受箱を覗き込む売れない作家を嘲っている人の為せる仕業にちがいない。 ○月○日:苦悩を売物にするな、と知人よりの書簡あり。
旧制弘前高校(弘前大学の前身)時代、当時20歳前後の太宰治の写真を見たんだけど、「めんどくさい陰キャ大学生」感が滲み出ていてかなり親近感が湧いている。これは「生まれてすみません」言うし、金借りて返さないし、女の子と自殺しますわ…(ド偏見)
北海道に複数ある地名 ・もんべつ(大きな町や都市が同音なので危険度高) ・さっくる(アイヌ語で「夏の道」の意。大字小字クラスで多い) ・るべしべ(道に沿って下る川の意。たまに見る) ・えさし(道南江差とオホーツク枝幸を間違えると死ぬ) ・しべつ(士別と標津を間違うと死ぬ)
ところで荘園の名残の「庄」や「不入権」の音を残した地名があるなら、「不輸権」の音を残した地名もあるんじゃないだろうか?(湯川中間子論的発想) 「ふゆ」「ふう」「ふい」みたいな音が付く地名は要注意かもしれない(適当に言ってるので本気にしないでくり)
かように、日本各地の謎な地名、変な地名の現地に行って由来を調べたり、実際に住んでいる人の話を聴いたりもしています。例として、こちらをどうぞ。四国山地の謎の地名・京都です。 【四国、京都集落】 ――山の上にも都のさぶらふぞ fantia.jp/posts/448288
補足すると地図の右端にある「六月デン」は漢字で書くと「六月殿」らしい。すぐ近くに「五月殿」、その隣の土地は「御用田(ごようでん)」と読むかつて寺社や偉い人が耕作する土地だったことを指す地名もあったりで、奇祭「花祭」の印象が強い奥三河はやはりいろいろ埋もれた何かがありそう…。
にしても、なんで昭和期までは「ブニウド」できちんと音や意味合いが残っていたのに、今の住所地名では「ブニヨド」になっているのだろう。史料に採録された表記と行政が管理していた住所表記が違ったのだろうか(各務原の「かかみがはら」と「かがみはら」みたいなやつ)
そして、ひょろわーさんから「これ答えなんじゃない?」というツイーヨを教えてもらって「マジかよ!?」ってなった。私がここに行ったのは2022年、このツイは2019年…何事も先達はいらっしゃるものである。しかもこの人、机上でいろんな地図見ただけで考察してて凄いわ…。 twitter.com/boziimillionho…
500年以上も昔の土地制度に由来する名前が今も残ってるというわけなのだった。地名と方言は昔の言葉を残しやすいとよく聞くけれど、これほどその実力を実感する瞬間はそうない。驚きである。足助氏や鈴木氏が聞いたら「うわ…オレらの名残…残りすぎ」と思うかもしれないわね。 謎のブニヨド・おわり
歴博で調べてみると、ブニヨドがある足助付近は鎌倉時代末に足助庄として成立し、八条院や昭慶門院、皇室の土地であった。その影響だろうか、この地にいた足助氏は南朝方に付き、室町期に没落した。その後は足助鈴木氏が足助庄を支配し、江戸時代を迎えるころに荘園として解体されたという。
ちなみに、静岡県袋井市には「不入斗(ふにゅうと)」、福岡県那珂川市には「不入道(ふにゅうどう」という地名がある。また東海地方や関東地方には「不入斗」と書いて「いりやまず」と読む地名がいくつかある。これらも同じく不入権がある土地、「不入土」が由来と考えられているそうだ。
不輸不入権は、その後戦国末まで長きにわたって日本の国土や土地の支配者細分化の根幹を支える制度になった。つまり「ブニヨド」は不入権を得た荘園、「不入土(ふにゅうど)」に由来すると考えられるのだよ!!!
荘園は当初朝廷やその任命官が管理したが、中央の権力が弱まわると、荘園にかかる租税を朝廷へ納めなくていい権利や、朝廷が派遣した今でいう警察兼税務調査官的な役人を荘園内へ立ち入らせない権利を得る者が現れた。これを「不輸不入権(ふゆふにゅうのけん)」と言う。
ここで「荘園」について説明する。めちゃくちゃざっくり言うと日本の平安期の律令制崩壊から戦国末期までの中世日本で続いた農地とその地域の支配制度のことだ。要は主に農地を含む不動産とその支配権を指し、現代風に言えば「村単位の巨大な私有地」と「その地域の支配・被支配関係」的なものである。
そして、さらに読み進めるとブニヨドのすぐ裏手に「不入土」と書いて同じく「フニヨド」と読む地区があることを知り、別の地図で確認すると「ブニョウド」と読むこともわかって「これだ!」と舞い上がることになった。ブニヨドの正体は「不入土」! つまりこの地名、中世日本の荘園制度が由来だわ!
これだけでは悔しい。帰宅後、とりあえず昔の史料を読み漁ることにした。明治~昭和期にまとめられた村史や地誌を探してみる。すると「ブニヨド」は漢字で書くと「部入土」になること、また昔は「ブニウド」と読んでいたことがわかった(なんでそう訛ったんだよ)
周りの地形を改めて観察する。だが本当に沢沿いの田んぼと大きな岩があるのみでブニヨドの音になりそうな自然物はない。強いて言えば、川の「淀み」や川の流れの音から「トドロ」という地名が発生しやすいことにつながるか?と思う程度だった。こうして私のブニヨド訪問は無念に終わった…かに見えた。
女性によれば今このブニヨドに住んでいるのは自分たちの家だけで、周りの人に訊かれたこともないし由来なんて考えたこともなかったという。だが家の表札には「ブニヨド」の地名が書いていると言い、貴重に感じた。田舎によくいる地元の歴史に詳しいお年寄りにも頼ってみたがやはりわからないとのこと。
家の呼鈴を押すと年配の女性が出てきた。「旅の人間ですが、つかのことをお訊きします。ブニヨドって何ですか?由来はありますか?」と単刀直入に問うがやはりというのか「わからない」と返された。家の奥から更にひと世代上のお年寄りも出てきたがそれでも「わからん。ブニヨドはブニヨドや」と言う。