あと一番悲しいのは、AIや機械の苦手領域って「人がやらざるを得ないもの」というより「機械にやらせると高くつく一方で、人間の身体的性能は機械として考えるとかなり割安なので人にやらせるのが一番安い」という実態があるのがね…。いわゆる専門性が高い高給職のほうがAIには向いているという。
まあ実際は、こういう創作領域の研究や学習が今後の作業代替AIやヒューマンエラーが生死を分けるようなものの補助AIに活かされる土台ができるんだろうけど、それにしたってこの「いや面白いけどそうじゃないんだよ…」感が湧かないかと言ったらまったくそんなことはない。人間なので…。
そういう創意工夫の領域は人間の専売特許にさせておいておくれやすよ…。AIくんは私の代わりに計算、試算、手続き、運営庶務をですね。ほら、得意でしょキミ(親戚全部が死に絶えでもしたような仏頂面)
AIが絵描いたりボケたり俳句作ってるの見るたび、「いやAIに求めてるのは私の代わりに確定申告ぜんぶやってくれるとか雑務をこなしてくれることであって、娯楽や芸術の担い手じゃないんだわ」って思いがち。早く「AIが人間の仕事を奪う」世の中とやらになってよ。Hey Siri、私の代わりに生活費稼いで。
ミチキリで有名なものは、道祖神や塞の神という道脇に立っている境界の神様だろう。道を介してウチへ入り込もうとする悪いものを退ける、脳の血液関門みたいな神様だ。甲信地方の男女が並ぶ双体道祖神、秋田県の巨大な藁人形「カシマサマ」、近畿地方の村の境に縄を張る「勧請縄」もミチキリ民俗だ。
先日歩いた峠道の脇に草履がぶら下がっていた。ただの草履ではない、やたらデカいこの草履は「ここから先の村にはこれだけ大きい履物を履いてるよつな大きいヤツがおるんやぞ?」という脅し。つまり「悪いモノ」が村に入らないようにする古いおまじないだった。いわゆるミチキリ民俗の一種。
四国の旧街道に佇む廃銭湯。特徴的なシルエット。 333/365 #斜陽暦
初北海道している友人を見て「あぁあぁあああ(情緒崩壊)」している夏コミ原稿で死にかけの道民している。そうなんですよ…この時期の北海道の青空は淡くて、寂しくて、それでいて…きれいなんです…。ああ…。
これ「北海道の広さ舐めんなよ」っていう威嚇の意味だと思われがちだけど、実際は新千歳空港駅の下りホームから空港へ上がるところにあって「よく頑張った。炭治郎、お前は凄い子だ…」「よく生きて戻った👺」っていう意味なんです。
定期的に話題になる新千歳空港の「道外民 嘆きの壁」かなり好き。
「個人情報の概念壊れる!」的な反応してる方がけっこう多くてカルチャーショックを受けている。なにせ北海道のこういった地域は「どこに誰が住んでるか知ってるし気にもしない地元の人しかいない」のがデフォルトだから…。(他に目印もなく、乗り降りする時の目的と言う面でも必然的にこうなる)
北海道にやたら多い、家の名前のバス停かなり好きだよ。
友人夫妻が初めて北海道に来ている様子や感想を見て、「やっぱこういう風土や雰囲気って特別北海道だけのものだったんだなあ」感が生じている。北海道来てね…初夏の北海道は最高よ。ふふ…。
明治紳士と淑女のいる店 327/365 #斜陽暦
アサガオの花には多様な色があるが、本来黄の色素は作らない。現代科学でも遺伝子操作で無理やり再現して創るしかなかった。そんな代物を江戸時代の人は作り出し、栽培していたのだから、そこにかける試行錯誤、変異の研究熱は計り知れない。現代科学が一番進んでるなんて畏れ多くて言えないぜ…。
この江戸期〜戦前期のアサガオ研究は本当にすごい。江戸期のアサガオには「黄色いアサガオ」があったことがわかっている。黄色い花のアサガオは青いバラのように本来ありえない色なのだけど、江戸期にはそれが存在した。その後失われた黄色いアサガオは、最近、遺伝子操作でようやく再現させられた。
・国道193号 先日、四国の方から「『四国山地らしさ』ってなんだと思います?」と訊かれた際、香川から徳島の剣山系を貫く四国の本気、国道193号がまっさきに思い浮かんだ。深山幽谷をうねる150㎞。岩盤を穿ったままの隧道、Ω型のカーブ…まるで国道とは思えない道が続くのだ(続) 324/365 #斜陽暦
これが「ねぎまおにぎり」か…
・旧殿居郵便局 山口県のゆったりとした農村部に残る擬洋風建築の郵便局舎。大正12年竣工。木造平屋に2階建ての八角塔屋が付属する瀟洒な雰囲気が特徴的。中国山地の赤い屋根瓦と田んぼが広がる土地に、淡いミント色のレトロな姿はのどかな風景にとても似合っているように見える。 320/365 #斜陽暦
こういう古いドライブインや古いホテルのフロントに貼ってある旅行代理店や交通会社の看板、そのお店が生きてきた時代の勲章みたいで大好き。
山間の幹線道路脇の「…これ、やってるのかな」って雰囲気のドライブインに入ってみると、ゲームコーナーが高確率でバブル期前後で時間止まってて大好き。
この病院は、北海道東部のある山間の炭鉱街で1960年代末に建てられた。当時流行だった曲線を多用する現代建築デザインをメインに、円形スロープを持つ中央建屋、その両翼に病棟を配する造りになっている。しかし竣工とほぼ同時にこの街を支えた炭鉱は閉山。以来50年間放置され、一帯は森へ還っている。