公務員数削減! →国立大学法人化で一気に名目上の公務員数が減る →その機に乗じて国の干渉増大&天下り先確保 →大反対の中、附帯決議とともに強行採決 →附帯決議完全無視され運営費交付金の減額と干渉増大 →日本の研究力低下 →有馬元文相「国立大学法人化は失敗だった」 そらみんな怒るよな。
この数ヶ月の間、大学院進学を検討している少なくない人数の学部生と話したが、日本で安定した研究者ポストが確実に減っているという情報を敏感に察知してて、研究者としての将来性に不安を感じて躊躇する人がかなり増えている印象。 「博士離れ」浮き彫り: 日本経済新聞 nikkei.com/article/DGXZQO…
ここ最近、将来の進路について高校生から大学院生まで多様な若者と話をする機会が何度かあったが、時代のせいか、どの分野に進むのが有利か、将来伸びる分野はどこか、ということを気にする人が多い印象がした。自分が何をしたいのかをもっと優先したほうがいいんじゃないか、とは言っておいたが…
選択と集中、選択された現場周辺をうろうろしていたが、具体的なことは死んでも言えないが、じゃぶじゃぶと資金が流入してくると必要もないのに使わなければならないという精神性が醸成され、大いなる資金の無駄遣いが見られることだけは言っておかなければなるまい。
もうだいぶ前の微笑ましいレベルで言えば、10日間で日本と米国を2往復させられたことがある。日本に戻ってくる必要は全くなかったのだが、その理由は純粋に「研究資金を使い切るため」。時間と金の無駄以外のなにものでもないが、これよりずっと深刻なレベルの無駄遣いが現在も日本中で進行している。
メディアや一般の方と話すと、ブラックホールは何でも吸い込んでしまう恐怖の天体というイメージが強く、近くの天体はすぐに全部吸い込まれると思われているが、実際にはブラックホール周りを楕円運動するだけで、その近日点がブラックホール半径以下にならないと吸い込まれないのでほぼあり得ない。
ブラックホールに近づいてきた天体が、らせんを描いてブラックホールに落ちていくという誤ったイメージもよく見られる。宇宙空間でロケットの燃料が切れるとそれ以上進めなくなってしまうというイメージと合わせ、摩擦力にまみれた日常感覚はなかなか払拭しにくい。
長いので後で視聴する。 最初のあたり: 「2004年を境にして(日本の研究力は)急激に崖を転がるようにして低下しました」 「Top10%論文率(筆頭・責任著者カウント)は63カ国中40位、日本がいま競争しているのはチリとかモロッコとかアルジェリアです」 youtube.com/watch?v=Q7hMhO…
研究力を数で評価して予算配分に使うの最低。 論文数の多いところに多く配分すると、粗製濫造により質が下がる。←これまで Top10%論文率の高いところに多く配分すると、通常論文が出せなくなり論文数自体が激減する。←これから(卓越研究大学) 学術縮小政策のシーソーゲーム。
結局、予算を減らす目的で学術縮小政策を推進する改革は、もがけばもがくほど事態が悪くなるという一般的な現象に従っているように見える。予算の縮小が至上命題で譲れないのであれば、それに応じて全体をまんべんなく縮小していくのが最もコストパフォーマンスが良い、ということではなかろうか。
まさに「2004年を境にして、急激に崖を転がるようにして低下」 これを筆頭・責任著者カウントで測ると63カ国中40位にまで転落しているのだからすごい。 科学論文、トップ10陥落…大丈夫か、日本の研究開発力 : 読売新聞オンライン yomiuri.co.jp/science/202208…
こういう研究は面白そうだなあ、と思ったのだが、よく考えると自分も対象が宇宙構造なだけで、ほぼ同じような研究だった。手元に置いていくらでも精密にどの角度からでも観察できるのが違う。 バラバラに見えるメロンの網目模様に、共通の統計的法則が存在 山梨大学が発見 univ-journal.jp/186637/
以前池内さんが、独創的な研究には研究者にゆったり流れる時間が必要、と言っていたのが印象に残っているが、日本の研究力が落ちた背景には、研究資金の問題もさることながら、研究者はほっとくとサボるなどと言って、研究に使う時間を奪いまくったことも大きく影響していると思われる。
文科省だったか財務省だったかの作った文書に、大学以外の研究機関(KEKも含まれる)には、まだ国立大学に行ったような改革の手が十分に入っていないと書かれていて、国立大学と同様に国立研究所の研究力も全力で削ぎに来るらしいことが伺える。彼らの目的がよくわからん。
確かに大学から移ってきた人間からすると、大学に比べて研究所ははるかに事務体制もしっかりしていて、研究者が研究に全力で取り組む環境はまだ比較的なんとか保たれている。それを良しとしない勢力が官僚にあるらしいことがわかる。
こちらへ来てなんとか委員長もやらされてはいるが、大学でなんとか委員長になれば細かな事務作業を含み何から何まで自分でやらなければならないが、こちらでは事務でできることは担当事務員が丁寧にやってくれるので、研究者は重要な判断事項に集中して注力することができ、非常に助かっている。
おそらく大学でも20年ほど前までは同じだったはずで、前大学の赴任当時は事務室に事務員の数が倍以上いて、委員会での事務員のサポートもかなり手厚かった憶えがある。ところがみるみるうちに事務員の数が減っていき、教員が事務作業をせざるを得ない状況になってしまった(自分もかなりやらされた)。
研究者の競争的研究資金の獲得は、あることないことそれっぽく書く作文能力と強く相関していて、その研究者の研究能力とは相関していないという。それならランダムに分配した方が書類作成や審査にかかっている莫大な時間的資金的事務的コストを削減でき、研究者の研究時間も確保できるという。
研究の実現可能性を現実的視点に立ちありうるリスクも含めて真摯に書いた申請が落とされ、いい加減な憶測に基づきながらも実現可能性が高いような書き振りで気宇壮大なことを書いた申請が採択されるというのはさんざん見た。
RTもしたが元記事。 ・NIHの助成金申請書の評価の高さと論文生産性とは相関なし ・審査員の個人的バイアスが審査結果に大きく影響 ・革新的ブレークスルーは事後的にしか明らかにならない ・専門家による将来予測はうまく行かないのみならず自分の能力を過大評価 journals.asm.org/doi/10.1128/mB…
グーグルスカラーによると、今年のノーベル物理学賞受賞者の一人の引用指標数(h指標、i10指標)は、自分の引用指標数よりもだいぶ低いが、成し遂げた業績の価値は全く比較にならないほど自分の方が低い。したがって、引用指標数に科学的価値を測る意味はまったくない。
結果を予想してそれに向かって研究を進めても、その方向が間違っていることが判明して方向性が分からなくなり、苦しみに苦しみもがいて暗中模索する、そのこと自体が研究の本質である。ごく希に出口が見つかると大発見につながる。研究計画通りに研究を進めるなどという官僚的な発想は、くそ食らえ。
研究者は好きなことを仕事にしている、という悋気のような意見がたまに見られるが、ゲームをやっているわけではないので、実際は苦しいことの方がほとんどで、ごく稀に未知の発見をしたときに出るドーパミン報酬を求め、普通なら嫌で嫌で堪らない作業を黙々とやり続けている、というのが真実に近い。
東大教養部で毎週学部生の講義をしているが、平均的な学生の能力は他の国立大と大差はないと思うが、大きな違いは天井知らずの突き抜けた異才の持ち主らしき学生がいるかいないか。
来た来た。投資を全くわかってない人が制度設計していることが明白だったので、運用責任者もご苦労様ですなあ、と同情するしかない。 大学基金、損失1881億円 運用開始半年、債券下落で | 2022/11/22 - 共同通信 nordot.app/96767602669849…