官僚により召集されたさまざまな大学改革検討委員会の大学人は、官僚の作成した改革案に意見をすることはできても、表面的な文書にその意見が付け足されるだけで、結論が初めから決まっている本質的方針を変えることはできない、あまりにも虚しい所作である。
その結果、当事者である大学人は自分の行っている研究教育を国に破壊されないために、面従腹背をしていかに国から研究教育資金を引き出すかということに粉骨砕身することになる。この負の連鎖を断ち切るには、学術政策立案過程そのものの改革が必要である。
大学院はカルチャーセンターではないとかいう話が流れてきたが、儲ける大学というならいっそのこと大学がカルチャーセンターを始めたらどうか。お金さえ払えば誰でも聴講できる商業に徹した単発講座を用意するだけでよい。講師には集まった人数に応じた報酬を聴講料の50%とか払えば競争原理も働く。
出た!! 著者にも解けない入試問題。 [筑波技術大学令和4年度入学試験問題] (松原隆彦 『目に見える世界は幻想か?』 光文社、より抜粋、一部改変) 問2 本文で取り上げている「原子が存在する理由」について、あなたはどの ように考えますか。400字以内で書きなさい。 tsukuba-tech.ac.jp/assets/files/a…
国立大学の事務員は、以前は大学教員が研究教育に専念できるようサポートするスタッフだったのだが、運営費交付金の削減に伴って教員よりも事務員の定員削減が優先された結果、教員が事務業務をしないと回らなくなり、大学教員が事務員の業務をサポートするスタッフになってきた。
自分の狭い経験に過ぎないが、理論物理学を志望する大学生には、量子重力を解明したいという人がとても多い。素粒子宇宙の研究者はよかれと思ってのことだろうが、量子重力理論が完成すれば宇宙の始まりから何から何まですべてが解明するというおとぎ話をちょっと世間に広め過ぎではないか。
大学教授になると自分の研究に集中できなくなるので大学を辞めたくなり、実際に辞職してしまう人もいるアカデミアとは一体なんなのか。
30年ほど前に「大学教授になる方法」という本がベストセラーになり、大学教授は楽な仕事だというイメージが植え付けられたのはよくなかった。講義のあるときだけ大学に出てきてあとは自宅で本に囲まれて生活する優雅な文系教授もいたのかもしれないが、少なくとも自分の周りは全くの異世界だった。
数学的にエレガントな定理や計算を見ると、一体どうすればこんな天才的なことを思いつけるのか、と思うことしきりだったが、この何年間か数学者と共同研究してみてわかったことは、その裏で砂を噛むような泥臭い特殊な例を果てしなく計算し尽くした後に運が良ければ見つけられる、ということだった。
落とされた科研費の開示情報を見ているが、審査員も大量に審査しているせいか、細かいところはすっ飛ばして表面的な印象で判断していることが明らかなので、現実的な実現可能性を述べるよりは、審査員にファンタジー的な夢を一時的に見させる方が通りやすいのであろう。
若手研究者が任期なしポストをめぐって熾烈な競争を繰り広げる現状、為政者は学術に競争原理を導入されて良しと思っているのかもしれないが、表面的に成果が上がっているように見せかける技術に長けた人が生き残る結果を招き、結局は学術の発展を阻害していくように思われる。
東大駒場で教える側で初めて演習の担当をしたとき、まったく想定外の解き方をしてくる学生がいて、聞いたこともない幾何学の定理を使って物理の問題を解いてくれるので、自分にはそれが正しいかどうか判断できず、評価不能に陥ったことが何度かある。その学生がいまどこで何をしているのか知りたい。
昨日、宇宙論の研究室の修士を出てからメーカーに就職し働いている学生が、仕事で疲れたり悩んだりした時には、アインシュタイン方程式を解いています、宇宙の広大さを実感できて小さな悩みはどうでも良くなる、というようなことを言っていた。
いくら研究者が学術政策の誤りを指摘してもテコでもいったん決めた政治方針が動かないので、政治家の得票率に直接的に影響を与える一般の方々がこの状況をまずいと思ってくれないと話にならないなあ。 論文数、日本は過去最低10位に 「状況は深刻」科学技術白書 | 毎日新聞 mainichi.jp/articles/20220…
修士課程で500本論文を読む、というのが話題らしいが、どのレベルを読んだというのかわからないが、自分を振り返って見ると、眺めた論文は数知れないが、隅から隅まで一点の曇りもなく理解するまで読んだかという意味なら一本も読んでいないかもしれない。というか普通読めば読むほどわからなくなる。
純粋数学や理論物理学などを筆頭とした役に立たないとよく言われる基礎研究は、実際には役に立つ可能性が無限にあるのに、それを使いこなす技術がまだ社会に成熟していないだけ。現在の幼稚な技術ですぐ使えるとわかっている研究だけに選択と集中をすれば、将来とても困ったことになるであろう。
筑波大学の広さを舐めていて、初めて行く建物であっても45分前にキャンパスに到着すれば余裕だろうと思って行ったら、迷いに迷って、道行く人に尋ねてもその人たちも迷いに迷い、結局のところ予定時間に遅れてしまった。
今の大学改革ってのはあれだ、栄養が足りなくなり病気にかかって弱っていく人に対して、医学的な治療法を知らない素人がイメージで作った治療法を提案し、それに従わなければ食事を与えないぞと脅して強要し、結局は治療になってないので無理が祟ってどんどん悪化していく構図かな。
大学教員公募が書留郵送のところが多く海外から応募できないの、かなり問題。採用側は広く応募者を集めたいのに事務的事情でそうなってるのは双方にとってデメリットしかない。Researchmapから業績履歴情報を取って抱負等の文書だけ電子アップロードするだけでよいはずだが、権力がなくて済みません。
いとうあさこは高校の時に理系が得意で天文学を勉強したかったため東北大学あたりに行きたかったが、理系に進むと嫁に行きそびれるので文系に行けと両親に猛反対され、家出してアルバイトをしながら自活してお笑いの道に進んだという話を聞いて、女性研究者が理系に少ないのも必然だなと思った。
この例一つで主語がでかいというツッコミはその通りだが、自分のまわりや時代や地域や女子学生の話などを聞いた経験を総合すると、家庭環境に大きく依存するものの、この頃の保守的な家庭の一般的な傾向としては言い過ぎではないと思うし、それが現在にも多かれ少なかれ影響していると思う。
こんなにバズるとは思っていなかったので、最後の一文はネタのつもりだったのだが、なぜか一部の人の逆鱗に触れてしまったようだ… しかし大量についた引用RTを眺めれば、これが特殊な例ではなく同じ経験をした人が大量にいることがわかるし、実際にそう育てられた人を何人も知っている。
特にいいとこのお嬢さんはその傾向が強く、親の言う通りに進路を決めて見合い結婚をして、本人もそれに何の疑問も抱かないで(少なくとも最初は)幸せそうにしているというのが当たり前のコミュニティも覗き見たこともある。さすがに現代では少数派ではあるが昔はもっと一般的だった。
大学院生が匿名で研究者コミュニティの悪口を言うのは本当にやめた方が良い。内容から簡単に身バレするし、狭いコミュニティで誰もが見ているので、キャリア上のインパクトが計り知れない。実例が幾つも存在する。特定の人物に意見があるなら、名を名乗って直接話さなければならない。
オリビア・ニュートン・ジョンは、量子力学の確率解釈で有名なマックス・ボルンの孫。