アメリカ春の物理学会がオンラインのバーチャル学会として4月18日〜21日に開催され、登録すれば誰でも無料で参加できる。これはすごい試み。 twitter.com/APSphysics/sta…
はるか昔、助教授(今の准教授)になりたての頃はよく学生に間違えられたが、書類申請で対応したとある事務員が最初あからさまに横柄な態度を取ってきた。ところが書類の処理中に態度が急変して敬語を使い出し、やたらと丁寧になった。このときはスカッとするどころか、とても嫌な気分になった。
誰とは言わないが、博士課程を修了して博士号を持っている元指導学生のひとりが、歌って踊れるご当地アイドルをしている。博士のキャリアパスの多様化に貢献している。
1988年の論文 Physics Letters B 207, p.81 によると、宇宙の背景ニュートリノの質量が十分に大きければ、大学が閉鎖されるので学生が喜ぶ。
ダニング=クルーガー効果:できない人ほど自分を過大評価する 断定的な物言いをする自信に満ち溢れた人は信用しないほうがよい。 学生が指導者を選ぶときに陥りがちな罠であり、人事評価や予算配分などを誤る大きな原因でもある。
博士課程学生支援策はよいことだが、運営費交付金の削減で任期なし研究職ポストが減り続けている現状で学生数だけ増えても、学生から見て研究者を目指すリスク感がますます高まる気がする
博士号取得者のキャリアパス問題、まずは文科省が理系を含む博士号取得者を大量に官僚として採用することで、産業界に範を示しつつ学術研究の実情に即した政策を打ち出せるようになるのでは。
ばんばんばんばん、どどどど、そうそうそうそう、ろ天ろ天、ろろろろと山老とと深海
微分積分や三角関数を義務教育で教える必要ないと槍玉に上がっているが、すでに義務教育ではどちらも教えていないのだが。
ヨビノリたくみが「何度も繰り返した講義は説明が澱まずなめらかになり、かえって受講者にはわかりにくくなる」と言っていたが、確かに立て板に水のような話し方のプレゼンは思考時間を与えずわかりにくいので気をつけようと思った
これおもしろい。徐々に数値が下がっているのと、水ではならないようなので、熱伝導で歪みゲージの電気抵抗が上昇してゼロ点キャリブレーションが下がっているのか? twitter.com/oro_grande/sta…
英才教育した天才だけが研究者になればよい、という論が出てくるのは、研究をスポーツなどのように一次元的な評価軸で競争するようなものだと考えている人の発想だよ。選択と集中や競争原理を導入すれば学問が発展するという発想もそう。
つくば市の小学生: 両親ともに研究者 夏休みの自由研究がセミプロガチ研究 運動会に来た親が子供の出てないときに論文を読んでいる 授業参観日は先生にとって地獄
高市さんの話を聞いていると、どんな未来技術でもわずか数千億円の投資で数年〜10年以内に実用化できるかのように話しているが、非現実的な目標による応用技術への極端な選択と集中によって日本の基礎科学が壊滅する未来にならないことを祈る。 twitter.com/tmcosmos_org/s…
東大入試問題に「ゾウと1秒はどちらが大きいか」という題材の英文要約問題が出たとのことだが、物理学者が1秒は30万kmだからはるかに大きいとか言って受験生の要約を邪魔しているのが草 #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/428d0…
60年も米国で研究しているノーベル賞の眞鍋淑郎さんがコテコテの日本人アクセントの英語を喋っているのを聞くとなんか安心する。
細切れ時間がいくらあっても研究が進まないのは、研究の静止摩擦係数が大きいから。事務仕事はそれが小さくかけた時間にほぼ比例する成果が出るが、それと同じだと思って研究を管理すると何の成果も出ない。
運営費交付金は15年前に比べて年間予算で1500億円近く削減されているが、10兆円ファンドで得られるという年利3000億円を、全大学の運営費交付金に積み増し回復すればどれだけの効果があることだろうか。これだけ現場の切実な声や有識者の警鐘を無視して選択と集中政策を続ける理由がわからない。
近年の文科省が作る資料に「世界に伍する」という言い回しが目立つが、以前よく言われていた「世界をリードする」からはだいぶトーンダウンして目標が下げられた。斜陽国の宿命か。そのうち「世界に振り落とされない」、「世界に頑張ってついて行く」、「世界の平均を上回る」、「身の丈を知る」、、、
量子論のシュレーディンガーの猫の話に魅了されて哲学的思索にどっぷりとハマってしまった科学者のことを「シュレーディンガーの犬」と呼ぶのだとある本に書いてあったが、初めて聞いた。
国土地理院の「地名等の英語表記規定」がうまく機能していない。
大学改革がうまくいかない大きな原因の一つに、研究経験のない官僚により大学改革案が取りまとめられ、勉強して試験で高得点をとる感覚で一次元的な競争をすれば「ダメな」大学人も努力してすべてうまく行くという価値観がある。
研究者にはすでに研究社会の中にシビアな競争があり、それは一次元的なものでなく多様な価値観を競い合う中から新しいものが生まれてくるのにもかかわらず。