純粋数学や理論物理学などを筆頭とした役に立たないとよく言われる基礎研究は、実際には役に立つ可能性が無限にあるのに、それを使いこなす技術がまだ社会に成熟していないだけ。現在の幼稚な技術ですぐ使えるとわかっている研究だけに選択と集中をすれば、将来とても困ったことになるであろう。
修士課程で500本論文を読む、というのが話題らしいが、どのレベルを読んだというのかわからないが、自分を振り返って見ると、眺めた論文は数知れないが、隅から隅まで一点の曇りもなく理解するまで読んだかという意味なら一本も読んでいないかもしれない。というか普通読めば読むほどわからなくなる。
いくら研究者が学術政策の誤りを指摘してもテコでもいったん決めた政治方針が動かないので、政治家の得票率に直接的に影響を与える一般の方々がこの状況をまずいと思ってくれないと話にならないなあ。 論文数、日本は過去最低10位に 「状況は深刻」科学技術白書 | 毎日新聞 mainichi.jp/articles/20220…
昨日、宇宙論の研究室の修士を出てからメーカーに就職し働いている学生が、仕事で疲れたり悩んだりした時には、アインシュタイン方程式を解いています、宇宙の広大さを実感できて小さな悩みはどうでも良くなる、というようなことを言っていた。
東大駒場で教える側で初めて演習の担当をしたとき、まったく想定外の解き方をしてくる学生がいて、聞いたこともない幾何学の定理を使って物理の問題を解いてくれるので、自分にはそれが正しいかどうか判断できず、評価不能に陥ったことが何度かある。その学生がいまどこで何をしているのか知りたい。
若手研究者が任期なしポストをめぐって熾烈な競争を繰り広げる現状、為政者は学術に競争原理を導入されて良しと思っているのかもしれないが、表面的に成果が上がっているように見せかける技術に長けた人が生き残る結果を招き、結局は学術の発展を阻害していくように思われる。
落とされた科研費の開示情報を見ているが、審査員も大量に審査しているせいか、細かいところはすっ飛ばして表面的な印象で判断していることが明らかなので、現実的な実現可能性を述べるよりは、審査員にファンタジー的な夢を一時的に見させる方が通りやすいのであろう。
数学的にエレガントな定理や計算を見ると、一体どうすればこんな天才的なことを思いつけるのか、と思うことしきりだったが、この何年間か数学者と共同研究してみてわかったことは、その裏で砂を噛むような泥臭い特殊な例を果てしなく計算し尽くした後に運が良ければ見つけられる、ということだった。
30年ほど前に「大学教授になる方法」という本がベストセラーになり、大学教授は楽な仕事だというイメージが植え付けられたのはよくなかった。講義のあるときだけ大学に出てきてあとは自宅で本に囲まれて生活する優雅な文系教授もいたのかもしれないが、少なくとも自分の周りは全くの異世界だった。
大学教授になると自分の研究に集中できなくなるので大学を辞めたくなり、実際に辞職してしまう人もいるアカデミアとは一体なんなのか。
自分の狭い経験に過ぎないが、理論物理学を志望する大学生には、量子重力を解明したいという人がとても多い。素粒子宇宙の研究者はよかれと思ってのことだろうが、量子重力理論が完成すれば宇宙の始まりから何から何まですべてが解明するというおとぎ話をちょっと世間に広め過ぎではないか。
国立大学の事務員は、以前は大学教員が研究教育に専念できるようサポートするスタッフだったのだが、運営費交付金の削減に伴って教員よりも事務員の定員削減が優先された結果、教員が事務業務をしないと回らなくなり、大学教員が事務員の業務をサポートするスタッフになってきた。
出た!! 著者にも解けない入試問題。 [筑波技術大学令和4年度入学試験問題] (松原隆彦 『目に見える世界は幻想か?』 光文社、より抜粋、一部改変) 問2 本文で取り上げている「原子が存在する理由」について、あなたはどの ように考えますか。400字以内で書きなさい。 tsukuba-tech.ac.jp/assets/files/a…
大学院はカルチャーセンターではないとかいう話が流れてきたが、儲ける大学というならいっそのこと大学がカルチャーセンターを始めたらどうか。お金さえ払えば誰でも聴講できる商業に徹した単発講座を用意するだけでよい。講師には集まった人数に応じた報酬を聴講料の50%とか払えば競争原理も働く。
その結果、当事者である大学人は自分の行っている研究教育を国に破壊されないために、面従腹背をしていかに国から研究教育資金を引き出すかということに粉骨砕身することになる。この負の連鎖を断ち切るには、学術政策立案過程そのものの改革が必要である。
官僚により召集されたさまざまな大学改革検討委員会の大学人は、官僚の作成した改革案に意見をすることはできても、表面的な文書にその意見が付け足されるだけで、結論が初めから決まっている本質的方針を変えることはできない、あまりにも虚しい所作である。
研究者にはすでに研究社会の中にシビアな競争があり、それは一次元的なものでなく多様な価値観を競い合う中から新しいものが生まれてくるのにもかかわらず。
大学改革がうまくいかない大きな原因の一つに、研究経験のない官僚により大学改革案が取りまとめられ、勉強して試験で高得点をとる感覚で一次元的な競争をすれば「ダメな」大学人も努力してすべてうまく行くという価値観がある。
国土地理院の「地名等の英語表記規定」がうまく機能していない。
量子論のシュレーディンガーの猫の話に魅了されて哲学的思索にどっぷりとハマってしまった科学者のことを「シュレーディンガーの犬」と呼ぶのだとある本に書いてあったが、初めて聞いた。
近年の文科省が作る資料に「世界に伍する」という言い回しが目立つが、以前よく言われていた「世界をリードする」からはだいぶトーンダウンして目標が下げられた。斜陽国の宿命か。そのうち「世界に振り落とされない」、「世界に頑張ってついて行く」、「世界の平均を上回る」、「身の丈を知る」、、、
運営費交付金は15年前に比べて年間予算で1500億円近く削減されているが、10兆円ファンドで得られるという年利3000億円を、全大学の運営費交付金に積み増し回復すればどれだけの効果があることだろうか。これだけ現場の切実な声や有識者の警鐘を無視して選択と集中政策を続ける理由がわからない。
細切れ時間がいくらあっても研究が進まないのは、研究の静止摩擦係数が大きいから。事務仕事はそれが小さくかけた時間にほぼ比例する成果が出るが、それと同じだと思って研究を管理すると何の成果も出ない。
60年も米国で研究しているノーベル賞の眞鍋淑郎さんがコテコテの日本人アクセントの英語を喋っているのを聞くとなんか安心する。
東大入試問題に「ゾウと1秒はどちらが大きいか」という題材の英文要約問題が出たとのことだが、物理学者が1秒は30万kmだからはるかに大きいとか言って受験生の要約を邪魔しているのが草 #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/428d0…