kemofure(@kemohure)さんの人気ツイート(古い順)

176
上記引用は国際政治ch147小泉悠、高橋杉雄、大庭三枝「終わらない戦争」より。三牧聖子氏の記事を使い朝日新聞と朝日記者が専門家批判をしていることを分析して、感情論であるときっちり批判し返している対談で面白かった。小泉悠さんらの言葉通り、市民感覚の暴走を抑える為に専門家がいるんですよね
177
政治学の話をすると、市民感覚(コモンセンス)が政治の基本というのは欧米の基本的な考え方ですが、市民感覚は「人を傷つけてはいけない」とか「困った人がいたら助けよう」とか、プリミティヴな感情レベルの話で、政治や法律にそのままでは適用できない。専門家とは専門性と学識で橋渡しをする役目
178
コモンセンス(大衆の原初的感情)は専門家の役割を重んじ、大衆と制度を橋渡しをする人材として専門性を大事にすることで、始めて機能するんですね。これは日本だとリベラル派プラグマティストの鶴見俊輔とかが社会構造の基礎として述べています。逆に専門性を軽視すると様々な問題が発生(私刑や独裁等)
179
鶴見俊輔らが指摘するように、大衆と制度を橋渡しする、専門的な知識を持った理性的な専門家、すなわちテクノクラートを重視することで民主主義社会は成立する。逆に専門家を軽視すると、反知性主義によって社会は崩壊する。市民感覚の名の元に専門性を排せという主張は、民主主義の破壊を意味します
180
水星の魔女、自分が一番驚くのは「明るいハッピーエンド」的な捉え方をされている人々が多いように見受けられることで、本当に驚く。今回の最終回、自分はカタルシスのない、暗い終わりだと感じたので、捉え方が真逆なのは本当に驚き。三島由紀夫風に言うなら、「二十一世紀のように暗い」と感じた
181
バゴプラ(SF系WEBメディア)の水星の魔女の批評、凄く良く出来ているね。ご一読お勧め。以下、引用 「各話ごとにストーリーを盛り上げる衝撃的な展開を与えてはいたが、振り返ってみた時にそれが何らかの”全体”として物語を構成しているようには見えない」(バゴプラ 2期最終回/24話ネタバレ感想&解説)
182
海外(アメリカ)だと、水星の魔女、かなり不評な感じで、自分は海外の人に共感しちゃうので、海外の方が感性が近いのかもしれない。例えば、redditの水星の魔女エピソード24カテゴリのトップコメントはこう(以下、意訳です)。(続)
183
水星の魔女がなぜ微温的な終わりになったのかはRedditの「製作側の女性に対する認識が影響しているのではないか」という分析が面白かったですね。やめなさいトマトは、スレッタの犠牲的な行為にも関わらず、彼女を怪物のように描いている等。物凄い長文(ほぼ論文)なので、以下、要約、抜粋してご紹介。
184
日本のSNS以外では「スレッタとアーシアン気の毒だったね」みたいな穏健な意見が多いのに、日本のSNSだけ「水星の魔女は反革命の重要性を描いている」とか、アーシアンは処分とか(もっと過激な言い方している)、スペーシアンに感情移入してアーシアンを深く憎悪する人達が沢山いるの意味がわからん...
185
アメリカ(Reddit)でも同様の指摘がされていましたね。アメリカではポストコロニアル批評(脱植民地主義批評)が盛んなのを感じました。要約して簡単にご紹介すると、 「水星の魔女の問題は、南北問題をそのまま援用した上でそれを描くことを放棄したことで帝国主義的アニメとなっていることである」(続) twitter.com/nekoyanagi_910…