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古来、人口稠密な大都市は疫病に弱い。
19世紀イギリスは疫病との戦いの連続だった。コレラとの戦いのため、浴場も洗濯場も、地下下水路網も、公共の公園も作られた。しかし古馴染みの病気もまた、押し寄せる。
天然痘だった。
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1850年、スコットランドの首都エディンバラに、ジョン・グレイと言う庭師が引っ越してきた。
庭師の仕事を見つける事ができなかったジョンはエディンバラの夜警になるけど、この際、スカイテリアのボビーと言う犬を引き受けた。
二人はすっかり仲良しになり、片時も離れないようになる。
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こうした村が存在することは1930年まであまり知られていなかったものの、とあるジャーナリストがそうした奇跡の村に気づき、それが一つや二つではないことを知ると、大きな話題となった。
ジャーナリストの発表によればその数は32村。イングランドだけめ16000の村があるから、どれだけ奇跡的か。
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一般に地震のない国として知られるイギリスだけど、一切ない訳ではない。特にテューダー朝時代、1580年に起きた地震は最大の被害を出し、グレート・アースクエイクと言われてる。震度は2にも達し、死者は二人出た。城も崩れたし教会の煙突も落ちている。当時の清教徒たちは地震を神の裁きと畏れたとか
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この時の損害が地震によって更新されるのは19世紀末までかかった。
19世紀末の方は死者ゼロ。マグニチュード4.1。教会他建物にダメージ。
イギリス人が日本に来て震度4でも経験したら卒倒するのでは。
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失神するように寝てた。おはよ。
トーマスの略称をトムと言い、典型的な男性の名前なんだけど、トムボーイと言った場合、昔はやんちゃくれの男の子を指した。しかし16世紀ごろからお転婆な女の子に使われるようになり、今では完全に女の子に使われてる。
そんなトムボーイな女性を一人。
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世界初のコンピュータープログラマーって、150年も前の人で、しかも女性なのね。驚き。
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イギリス最大の敵は?
1700年以降、イギリスと最も敵対した国はフランスで、20度も敵対してるみたい。
では最大の友好国はと言うとこれまたフランスで、18度も同盟してる。仲良いわねあんたら。
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もう一つの『豚戦争』を語りましょう。こっちは後味がよくない。
19世紀末、トルコの宗主下にあったセルビア公国は独立し、オーストリアの後押しのもと、セルビア王国となった。
セルビアはほぼ一次産業のみの国で、自給自足生活。養豚が盛んで、余った分を他国に輸出して稼いでいた。
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19世紀ロンドンは不潔との戦いの連続だった。コレラ、汚水の排水、洗濯、浴場、公園……
そして世紀末、問題となったのが馬糞。
かつて馬車は贅沢な乗り物で、貴族くらいしか乗れなかったけど、19世紀は馬車需要が跳ね上がる。
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乗合馬車、駅馬車、お金持ちなら個人向けのキャリッジ、郵便馬車、お散歩用の馬車……馬車……馬車……
鉄道が出来ても小回りは利かない、中〜短距離の移動には馬車を使うしかない。
ロンドンには日々5万頭の馬が行き来する事になる。その全ての馬が糞尿を撒き散らす。
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人間はトイレで用便を足すから水洗式トイレで下水に流せばいい。
しかし馬はその辺でするので高度な地下水路も意味をなさない。馬糞は堆積し、悪臭を放ってハエやウジが集り、病原菌のもととなってロンドンを汚染した。一刻も早い浄化が望まれるも、一向に進まず。
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1894年、イギリスの新聞紙が絶望的な記事を出した。
『今後50年以内にロンドンの街路は9フィートの馬糞で埋まるだろう。
何故ならば、馬糞を撤去するにもまた馬車が必要だからである……』
市民は驚愕し、『1894年の大馬糞危機』と事態は称される。
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事情はパリもニューヨークも同じで、都市計画関係者の間で会議がもたれるも、馬車を排除するなど不可能であるとして、絶望的な会議は早々と集結した。
人類の叡智が馬糞に敗北した瞬間だった。
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しかし事態はあっさりと解決する。
直後に自動車が普及を始め、世界初の大衆自家用車T型フォードが生まれると、馬車は自動車に置き換わり、都市から馬糞は自然と消滅した。
馬糞の処理は都市計画方面からのアプローチは無理で、代替となる移動手段が必要だったのね。技術の問題。
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こうして現代、1894年の大馬糞危機は、誤った方面から物事を解決しようとする事に警鐘を鳴らす言葉として知られている。
一歩引いて見方を変えるのも時には必要ね。ただ、今度は排ガスにロンドンは悩む事になるけど。全てはいたちごっこ。 twitter.com/elizabeth_munh…