エリザ(@elizabeth_munh)さんの人気ツイート(古い順)

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19世紀、イギリスで余暇という概念が生まれると、暇な時間をなんに費やすべきかが議論された。 男性はスポーツを推奨される。では女性は? 答えの一つが園芸だった。元々、庭というのは貴族が見渡す限りの地平を改造し、絵画的な庭園を作るのが王道だったけど、庶民だって家庭菜園くらいはやる。
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古来、人口稠密な大都市は疫病に弱い。 19世紀イギリスは疫病との戦いの連続だった。コレラとの戦いのため、浴場も洗濯場も、地下下水路網も、公共の公園も作られた。しかし古馴染みの病気もまた、押し寄せる。 天然痘だった。
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1850年、スコットランドの首都エディンバラに、ジョン・グレイと言う庭師が引っ越してきた。 庭師の仕事を見つける事ができなかったジョンはエディンバラの夜警になるけど、この際、スカイテリアのボビーと言う犬を引き受けた。 二人はすっかり仲良しになり、片時も離れないようになる。
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ww1でイギリスは甚大な人的コストを支払った。英国本土だけで111万5000人。更に植民地から88万7000人 今でもヨーロッパを旅するとどんな田舎でも戦没者の名が刻まれた慰霊碑を頻繁に目にする。5人いた息子が全滅した家もあった しかし奇跡的に全員が帰還した村もある。それは『感謝の村』と呼ばれた
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こうした村が存在することは1930年まであまり知られていなかったものの、とあるジャーナリストがそうした奇跡の村に気づき、それが一つや二つではないことを知ると、大きな話題となった。 ジャーナリストの発表によればその数は32村。イングランドだけめ16000の村があるから、どれだけ奇跡的か。
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一般に地震のない国として知られるイギリスだけど、一切ない訳ではない。特にテューダー朝時代、1580年に起きた地震は最大の被害を出し、グレート・アースクエイクと言われてる。震度は2にも達し、死者は二人出た。城も崩れたし教会の煙突も落ちている。当時の清教徒たちは地震を神の裁きと畏れたとか
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この時の損害が地震によって更新されるのは19世紀末までかかった。 19世紀末の方は死者ゼロ。マグニチュード4.1。教会他建物にダメージ。 イギリス人が日本に来て震度4でも経験したら卒倒するのでは。
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失神するように寝てた。おはよ。 トーマスの略称をトムと言い、典型的な男性の名前なんだけど、トムボーイと言った場合、昔はやんちゃくれの男の子を指した。しかし16世紀ごろからお転婆な女の子に使われるようになり、今では完全に女の子に使われてる。 そんなトムボーイな女性を一人。
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第一次世界大戦で発射された砲弾の総数は15億発に及ぶ。 直近の戦争である日露戦争における全砲弾消費量をいち会戦で消費する大戦争で、各国は砲弾の製造に全力を尽くした。砲弾がないと攻勢も掛けられないから、砲弾の備蓄を待って作戦は立てられ、砲弾の量は政治的スキャンダルにすらなった。
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事故が公表されたのは終戦から更に四年後の1922年で、突貫工事で作られたこの工場はその後も二度の爆発事故を出し、5人が新たに死んだ しかしバーンボウの砲弾製造工場は戦時中、イギリス最大数の砲弾を供給し、勝利に貢献する 弾がなくては戦に勝てぬ 後方であっても、これは戦死に等しいでしょう
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世界初のコンピュータープログラマーって、150年も前の人で、しかも女性なのね。驚き。
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曲者揃いの英国海軍。ネルソンもかなりの問題児だけど、そんな彼でもトマス・コクランよりはまだ御し易い。 コクランこそは英国切っての暴れ者で、機知に富み、勇敢で、また過激な海軍軍人だった。 コクランはスコットランド貴族で、家業は軍人であり、予め軍人となる事が決定されていた。
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権力に蟷螂の斧で歯向かうアウトローが義賊とされるのはどこでも変わらない。鼠小僧とか、ロビン・フッドとかね。たとえ実態がただの犯罪者でも強者に歯向かう者を世の人は英雄視するもの。 イギリスで最も有名な義賊がハイウェイマン。駅馬車強盗ね。
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イギリス最大の敵は? 1700年以降、イギリスと最も敵対した国はフランスで、20度も敵対してるみたい。 では最大の友好国はと言うとこれまたフランスで、18度も同盟してる。仲良いわねあんたら。
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イギリスがアメリカと敵対したことは3度ある。 一度はもちろんアメリカ独立戦争。 二度目はナポレオン戦争中の英米戦争。 そして三度目が豚戦争。
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もう一つの『豚戦争』を語りましょう。こっちは後味がよくない。 19世紀末、トルコの宗主下にあったセルビア公国は独立し、オーストリアの後押しのもと、セルビア王国となった。 セルビアはほぼ一次産業のみの国で、自給自足生活。養豚が盛んで、余った分を他国に輸出して稼いでいた。
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1759年、アイルランドはダブリンのセント・ジェームズゲートの使われなくなっていた醸造所をひとりの男が借り上げる。5000坪の広大な敷地だった。 「9000年契約、年45ポンドでどうか?」 男の名はアーサー・ギネス。世界一売れるビールのひとつ、ギネス・ビールを創業者だった。
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イングランドの中央部、ノッティンガムシャーにゴータムと言う村がある。 アメリカ英語風に発音するとゴッサムで、かのバットマンの舞台、ゴッサムシティの名前の由来となった。 この村には少し有名な逸話がある。
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19世紀ロンドンは不潔との戦いの連続だった。コレラ、汚水の排水、洗濯、浴場、公園…… そして世紀末、問題となったのが馬糞。 かつて馬車は贅沢な乗り物で、貴族くらいしか乗れなかったけど、19世紀は馬車需要が跳ね上がる。
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乗合馬車、駅馬車、お金持ちなら個人向けのキャリッジ、郵便馬車、お散歩用の馬車……馬車……馬車…… 鉄道が出来ても小回りは利かない、中〜短距離の移動には馬車を使うしかない。 ロンドンには日々5万頭の馬が行き来する事になる。その全ての馬が糞尿を撒き散らす。
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人間はトイレで用便を足すから水洗式トイレで下水に流せばいい。 しかし馬はその辺でするので高度な地下水路も意味をなさない。馬糞は堆積し、悪臭を放ってハエやウジが集り、病原菌のもととなってロンドンを汚染した。一刻も早い浄化が望まれるも、一向に進まず。
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1894年、イギリスの新聞紙が絶望的な記事を出した。 『今後50年以内にロンドンの街路は9フィートの馬糞で埋まるだろう。  何故ならば、馬糞を撤去するにもまた馬車が必要だからである……』 市民は驚愕し、『1894年の大馬糞危機』と事態は称される。
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事情はパリもニューヨークも同じで、都市計画関係者の間で会議がもたれるも、馬車を排除するなど不可能であるとして、絶望的な会議は早々と集結した。 人類の叡智が馬糞に敗北した瞬間だった。
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しかし事態はあっさりと解決する。 直後に自動車が普及を始め、世界初の大衆自家用車T型フォードが生まれると、馬車は自動車に置き換わり、都市から馬糞は自然と消滅した。 馬糞の処理は都市計画方面からのアプローチは無理で、代替となる移動手段が必要だったのね。技術の問題。
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こうして現代、1894年の大馬糞危機は、誤った方面から物事を解決しようとする事に警鐘を鳴らす言葉として知られている。 一歩引いて見方を変えるのも時には必要ね。ただ、今度は排ガスにロンドンは悩む事になるけど。全てはいたちごっこ。 twitter.com/elizabeth_munh…