早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(リツイート順)

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ワイドショーでコメンテーターが「ワクチン接種が進んだから内閣支持率が上がった」という話を沈んだ表情でしていた。この人にとっては「ワクチン接種が遅くて内閣支持率が下がった」ほうが良かったのだろうか。思想とは恐ろしいものである。
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「Jアラート」ではなく、はっきりと「空襲警報」と言えば良い。
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パラオ・ペリリュー戦の帰還兵である永井敬司さんはこう語ってくれた。「日本を守るためですよ。内地で暮らす家族や女性、子供を守るため。私たちは太平洋の防波堤となるつもりでした。そのために自分の命を投げ出そうと。そんな思いで懸命に戦ったのです」。永井さんは2019年11月4日に御逝去。合掌。
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今月21日に亡くなられた前愛媛県知事、加戸守行氏の「遺稿」となった論文が「正論」4月号に掲載されています。テーマは「教科書検定」。加戸氏の最期の叫び、ぜひ多くの方に読んでほしいと思います。
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ソ連の最高指導者であるスターリンは、50万人もの日本人将兵を捕虜とする命令を極秘に発令。結果、57万人以上もの日本人がシベリアなどの地に強制連行され、多くの方々が無念の思いを抱えたまま絶命されました。この明確な国際法違反は、今に到るまで全く裁かれていない。
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横田めぐみさんは拉致された当時13歳でしたが、私の娘が今13歳。めぐみさんはもちろん御両親の心痛を思うとやり切れません。それから若い人はあまり知らないそうなので書きますが、小泉訪朝以前は一部の政治家やメディアが「北朝鮮が拉致などする筈がない」と主張していました。嘘のような本当の話。
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何でもかんでも差別だ差別だと騒ぐ過激な人たちは昔から存在したが、SNSの発達によってその発言の異様さが可視化された。彼らのような存在は「差別を減らしていきたい」とごく自然に考えている大多数の人たちからも共感を得られない。なぜなら彼らこそ排他的であり攻撃的であり差別的だからである。
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戦時中、多くの特攻隊員が、美しくも潔く散ってゆく桜の儚さに自身の命を重ね合わせました。そんな方々の存在があって、今年の春もあります。
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ルーマニアには日本のことを「ツァーラ・ソアレルイ」と呼ぶ言い方があります。これは「太陽の国」「日出ずる国」という意味。ルーマニア在住時、友人たちと朝まで飲んだ際、明るくなりつつある東の空を指して、一人がこう言って微笑んだことをよく覚えています。「君の国はあの下にあるんだね」。
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77年前の今日(8月23日)、ソ連の最高指導者であるスターリンは、50万人もの日本人将兵を捕虜とする命令を極秘に発令。結果、57万人以上もの日本人がシベリアなどに強制連行され、多くの方々が無念の思いを抱えたまま絶命されました。この明確な国際法違反は、今に到るまで全く裁かれていない。
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「コロナ禍で鬱(うつ)が増えた」というが、その要因の一つはテレビのワイドショーだろう。戦時中の新聞メディアと同様、誤報を繰り返し、煽りに煽った責任は? 「コロナ鬱」というより「ワイドショー鬱」である。
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最近では中核派を知らない若者も増えていると聞くが、「戦争の記憶」と同じく、しっかりと語り継ぐべきは「左翼の暴力史」。近現代史を見れば、戦争よりも共産主義によって、より多くの人々が犠牲になっている。これは義務教育で丁寧に教えるべき案件。過ちを繰返さないために。
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東日本大震災の時、最も助けてくれたのが台湾だった。「一番苦しい時に助け合うのが本当の友人」と。その台湾が今、中国からの圧力により、いよいよ苦しんでいる。日本は「本当の友人」としていかに行動すべきか。「恩返し」という美しき日本語。忘れたら日本でなくなる。
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かつてヨーロッパで暮らしていた時、「日本は島国で、移民問題がないのが羨ましい」とよく言われた。テレビや新聞などでも、移民にまつわる諸問題が、毎日のように報じられていた。日本はせっかくのメリットを自ら手放すようなことは避けるべきである。
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私は2年ほどルーマニアに住んでいたことがありますが、選挙権などの参政権はもちろん有していなかったし、欲しいとも思いませんでした。ルーマニアの事はルーマニア人が決めるのが当然だと思っていたからです。
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最初の神風特別攻撃隊「敷島隊」は、フィリピンのマバラカット飛行場で編成された。現在、同地はフィリピンの人々の手によって維持されている。「どうして日本の政治家は、命を賭けて祖国を守った人々の慰霊に来ないのですか?」
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日本が防衛費を世界標準程度にまで整備しようとすることに対し、火が付いたように反対する人たちがいるが、彼らは中国の異常な軍拡には声を上げない。そういう人たちは以前よりも減ったが、まだ確かに存在する。日本の「国際標準化」を「右傾化」と評する人たちが、日本の抑止力を削いで戦争を招く。
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「コロナ禍で鬱(うつ)が増えた」というが、その要因の一つはワイドショーでは? 戦時中の新聞メディアと同様、誤報を繰り返し、煽りに煽った責任は? 「コロナ鬱」じゃなく「ワイドショー鬱」だろう。
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特攻隊員の宮川三郎は出撃前日、飛び交うホタルを眺めながら食堂の女主人である鳥濱トメに言った。「俺、死んだらホタルになって帰ってくるよ」。翌日の夜、大きな一匹のホタルが食堂内まで入ってきた。トメの娘が叫んだ。「お母さん、宮川さんが帰ってきたわよ!」。トメや戦友らは皆でむせび泣いた。
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アメリカ等では「中国びいきの人」を「パンダ・ハガー(パンダに抱き付く人」と言います。逆に「中国を警戒する人」を「ドラゴン・スレイヤー(竜を退治する人)」と呼びます。日本の政界やメディアでも両者の戦いがいよいよ激化しています。国民がどちらを支持するかで、この国の明暗が分かれます。
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2月7日は北方領土の日。ロシアは日本に「大戦の結果を受け入れろ」と言うが、中立条約を破って侵攻したのはソ連軍。スターリンは北海道占領の野望まで持っていた。日本の第5方面軍の抵抗により北海道占領を断念したスターリンは択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島を占領。国際法違反は明らか。
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本日は南京戦で南京が陥落した日。戦闘参加者の島田親男さんは「戦闘はあったが市民への30万人もの虐殺など一度も見ていない」と語り、涙ながらにこう言った。「なぜ戦後の日本人は中国人の言うことばかり信じて、私達の言葉には耳を傾けてくれないのでしょうか」。そんな島田さんも既にご逝去。合掌。
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昭和20年3月10日の東京大空襲は、民間人を標的とした無差別爆撃で国際法違反。しかし、後の東京裁判では全くの不問に付された。空襲の指揮官だったカーチス・ルメイは後にこう語っている。「もし、われわれが負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸い、私は勝者の方に属していた」
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「多くのユダヤ難民を救出」し、「ソ連による北海道分断を阻止」した樋口季一郎陸軍中将の功績がこれまで充分に語り継がれてこなかったのは、外交官だった杉原千畝とは異なり、樋口が軍人だったことに起因すると思います。しかし、軍人の生涯も史実に沿って是々非々で評価すべきではないでしょうか。
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今日は樋口季一郎の命日。満洲国で多くのユダヤ難民を救出し、終戦後には占守島の戦いによってソ連の北海道占領を防いだ樋口は、昭和45年10月11日、老衰のため亡くなりました。享年82。晩年の樋口は食事のたび、妻の静子に「ママ、ありがとう」と手を合わせていたそうです。