早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(古い順)

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あまり知られていないが、東日本大震災の時、いち早く支援に動いてくれた国の一つが実はセルビア。理由は「ユーゴ紛争時の日本による支援への恩返し」。日頃から日本への関心も高い。写真はベオグラードで見つけた貼り紙。『世界の路地裏を歩いて見つけた「憧れのニッポン」』(PHP新書)より
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台湾・飛虎将軍廟の祭神は杉浦茂峰という日本兵。台南航空戦の折、杉浦の零戦は被弾。降下先には集落があったが、彼は懸命に村への落下を回避。逃げ遅れた杉浦は機銃掃射により絶命。この恩に報いようと建立されたのが飛虎将軍廟。『世界の路地裏を歩いて見つけた「憧れのニッポン」』(PHP新書)より
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サイパン島の通称「バンザイ・クリフ」。米軍に追い詰められた約1万人もの日本人が、この岬から身を投げて自決した。紺碧の海が真っ赤に染まったという。この海の遥か彼方が、祖国・日本に当たる方角。ここに大きな意味を感じる。『世界の路地裏を歩いて見つけた「憧れのニッポン」』(PHP新書)より
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かつて「C級戦犯」としてフィリピンのモンテンルパ刑務所に収監された宮本正二さん。「11人の現地住民を殺害した」という全く身に覚えのない容疑だった。戦友の一人は「死にたくない」と絶叫し、刑場の露と消えたという。『世界の路地裏を歩いて見つけた「憧れのニッポン」』(PHP新書)より
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特攻隊員・渋谷健一には、幼い子供と身重の妻がいた。彼は遺書にこう書き記した。「父恋しと思わば空を視よ。大空に浮ぶ白雲に乗りて父は常に微笑みて迎う」。昭和20年6月11日、渋谷は特攻死。奇しくも同日、妻・光は男児を出産。周囲の者たちは「生まれ変わり」と驚嘆して号泣した。合掌。
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特攻隊員の方々の遺書。合掌。
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終戦後、ソ連軍は南樺太に侵攻。追い詰められた大平炭坑病院の看護婦たち23名は、手首にメスを入れるなどして集団自決。生き残りの一人である鳴海寿美さんは、私の取材に対し「自決前に皆で歌を唄いました。皆、本当にいい人たちでした」と言ってうつむいた。彼女の手首には、深い傷跡が残っていた。
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終戦後の8月17日深夜、ソ連軍は日本領千島列島の占守島に不法侵攻。ソ連は北海道の占領を目論んでいました。しかし、これを阻止したのが第91師団の指揮下にあった占守島の将兵たち。爆薬を抱えて敵戦車に飛び込むといった彼らの決死の戦いにより、日本は分断国家とならずに済んだのです。
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ルーマニアの小児エイズ専門病院。ルーマニアでは共産党独裁時代に行われた「大人の血液を栄養として子どもに輸血する」という失政の結果、国全体にエイズが蔓延。20世紀の共産主義が何をしたのか。忘れてはいけない。『世界の路地裏を歩いて見つけた「憧れのニッポン」』(PHP新書)より
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日本を続けざまに襲った台風と地震のニュースを知ったルーマニアの友人から心配のメール。彼の言葉を被災地の皆様に伝えたいと思います。「今、日本の皆様の幸福を教会で祈ってきました。宗教は違っても私たちは同じ仲間、友人だと思うから。ドラキュラの国から、太陽の国の皆様へ愛を込めて」
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「日本人によるユダヤ難民救出」と言えば杉原千畝が有名ですが、樋口季一郎のことも知ってほしいと思います。樋口は杉原より2年も前にユダヤ難民へのビザ発給に尽力した陸軍軍人。その後、占守島の戦いを指揮し、北海道をソ連による分割から守った人物でもあります。
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文春オンラインに「ユダヤ難民を救った『もう一人の日本人』を知っていますか?」と題した記事を寄稿しました。陸軍中将・樋口季一郎について解説していますので、是非ご一読ください。 ユダヤ難民を救った「もう一人の日本人」を知っていますか? #樋口季一郎 #文藝春秋 bunshun.jp/articles/-/8962
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満洲で多くのユダヤ人を救出した「オトポール事件」を指揮した陸軍軍人・樋口季一郎の直筆の書。「真に徳のある者は孤独ではない」という意味。樋口は占守島の戦闘も指揮し、ソ連による北海道の分割を防いだが、自らの功績を語ることなく逝った。
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修復中の熊本城が、まるで要塞。
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パラオ・ペリリュー島の戦いの生存者であった土田喜代一さんが今週、逝去されました。土田さんとは取材を通じて知り合い、天皇皇后両陛下がパラオをご訪問された際にも、現地でお会いしました。現在、パラオについての原稿を改めてまとめている中で触れた訃報でした。ご冥福をお祈りいたします。
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戦争体験者の方々への取材が、いよいよ難しくなってきています。以前に取材させていただいた方々の訃報も増えました。本当に寂しい限りです。戦前戦中を生きた方々への取材は、あと数年がラストチャンスだと思うので、少しでも活字として記録しておくため、全力を尽くしたいと思います。
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樋口季一郎を紹介する記事が「丹波新聞」に掲載されました。とても良い記事ですので、ぜひご一読ください。 ”もう一人の杉原千畝” ユダヤ難民救う 樋口季一郎とは(上)(丹波新聞) - Yahoo!ニュース headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181020-… @YahooNewsTopics
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樋口季一郎の名前がある「ゴールデンブック」とは、在イスラエルのJNF(ユダヤ民族基金)が保管する献金記帳簿のこと。私はエルサレムで実物を確認しましたが、その第6巻に樋口の名があります。樋口ビザによって助けられたユダヤ人たちが、感謝の気持ちを込めて樋口の名で記帳したものです。
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【ジョーク】  日本人と韓国人が殴り合いの喧嘩をしていた。駆け付けた警察官に対し、韓国人がこう叫んだ。 「とにかく、ひどい話なんですよ!」  警察官が聞いた。 「いったい何が喧嘩の原因なんだ?」  韓国人が答えた。 「この日本人が私に殴り返してきたのが喧嘩の原因です」
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「日本人によるユダヤ難民救出」と言えば杉原千畝が有名ですが、樋口季一郎のことも知ってほしいと思います。樋口は杉原より2年も前にユダヤ難民へのビザ発給に尽力した陸軍軍人。その後、占守島の戦いを指揮し、北海道をソ連による分割から守った人物でもあります。
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旧ユーゴスラビアのボスニア・ヘルツェゴビナやコソボ自治州などを取材で巡った際、多民族地域ならではのこんな言葉を耳にした。「全人類を愛することは簡単だが、隣人を愛することは難しい」。時々、思い出す言葉です。
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【ジョーク】  世界を創造中の神様が言った。 「日本という理想的な国を創ろう。豊かな自然に美しい四季。水も豊富にある」  天使が聞いた。 「しかし、それでは不公平です。他国から不満が出ませんか?」  すると神様は「確かに」と呟き、こう言った。 「では、隣を韓国にしよう」
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ルーマニアには日本のことを「ツァーラ・ソアレルイ」と呼ぶ言い方があります。これは「太陽の国」「日出ずる国」という意味。ルーマニア在住時、友人たちと朝まで飲んだ際、明るくなりつつある東の空を指して、一人がこう言って微笑んだことをよく覚えています。「君の国はあの下にあるんだね」
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樋口季一郎を特集した「深層NEWS」(BS日テレ)の公式動画です。是非、ご覧下さい。樋口は満洲で多くのユダヤ人を救い、占守島の戦いによってソ連軍の北海道占領を防いだ陸軍中将です。 ソ連から北海道を守った将軍と北方領土 #日テレNEWS24 #日テレ #ntv news24.jp/articles/2019/…
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「ユダヤ難民を救い、北海道をソ連から守った男」樋口季一郎の墓は、拙宅から徒歩3分、大磯町の妙大寺にある。取材時、私は樋口の生涯を辿るためイスラエルまで行ったが、彼の墓が自宅の近所にあることなど全く知らず、それを知った時には驚きで震えた。導かれた取材だったのかもと思っています。