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本日は南京戦で南京が陥落した日。戦闘参加者の島田親男さんは「戦闘はあったが市民への30万人もの虐殺など一度も見ていない」と語り、涙ながらにこう言った。「なぜ戦後の日本人は中国人の言うことばかり信じて、私達の言葉には耳を傾けてくれないのでしょうか」。そんな島田さんも既にご逝去。合掌。
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私は以前、東欧のルーマニアに住んでいましたが、もちろん投票権などなかったし、欲しいとも思いませんでした。ルーマニアの事はルーマニア人が決めるのが当然だと思っていたからです。
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「専門家ではない出演者がコメントする」という形式のテレビ番組はもう限界だろう。海外には日本のワイドショーのような番組はほとんどない。日本でも夜のBSなどには面白い番組があると思うが、昼間の地上波は本当にひどい。
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大東亜戦争を泥沼化させた最大の要因は、新聞などの各種メディアであった。それから約75年。コロナ禍においても、誤報を重ね、社会不安を煽り、人々の生活を最も破壊したのは、ワイドショーを始めとするメディアだった。歴史は繰り返されたのである。
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「コロナ禍で鬱(うつ)が増えた」というが、その要因の一つはテレビのワイドショーだろう。戦時中の新聞メディアと同様、誤報を繰り返し、煽りに煽った責任は? 「コロナ鬱」というより「ワイドショー鬱」である。
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大東亜戦争における最大の失敗は「国際情勢の読み違え」。戦前の日本は米英から離れ、国内の「親独派」に引っ張られてナチスドイツと手を結んだ。現在、新疆ウイグル自治区の人権問題に関し、G7の中で日本の反応が最も鈍い。これ以上、国内の「親中派」に引っ張られたら、再び道を誤る。
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かつてヨーロッパで暮らしていた時、「日本は島国で、移民問題がないのが羨ましい」とよく言われた。テレビや新聞などでも、移民にまつわる諸問題が、毎日のように報じられていた。日本はせっかくのメリットを自ら手放すようなことは避けるべきである。
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上皇陛下の御誕生日。私は両陛下のパラオ・ペリリュー島ご訪問(当時は天皇皇后両陛下)に同行取材しましたが、その際、両陛下は慰霊行事の合間に水族館に立ち寄られました。カクレクマノミを見た陛下は皇后陛下に「ニモだね」と優しく声をかけられ、お二人は穏やかに微笑み合われました。(取材裏話)
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日本にとって脱炭素社会より重要なのは、脱中国経済依存と脱ワイドショー。
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日本を粗末にしてはいけない。日本人が日本的な美徳を喪失したら、この国の未来を切り拓いていくことは難しい。近年では美徳を忘れたとしか思えない人による犯罪も増えているように感じる。これまでの美徳の積み重ねに畏敬の念を寄せつつ、穏やかに受け継いでいきたい。日本を粗末にしてはいけない。
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古来、日本人は「個」よりも「公」や「和」を大切にしてきた。西欧では「個の自由」がとりわけ重要視されるが、日本人の心の中には「行き過ぎた自由は身勝手」という概念が伝統的に深く根付いている。令和4年、我々が立ち返るべきは、日本人のそんな心の機微ではないだろうか。
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特攻隊員だった富沢幸光が両親に宛てた遺書。「お正月も来ました。幸光は靖國で二十四歳を迎える事にしました。靖國神社の餅は大きいですからね。(略)正月になったら軍服の前に沢山御馳走をあげて下さい。雑煮餅が一番好きです。ストーブを囲んで幸光の想い出話をするのも間近でしょう」。合掌。
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世の中には、同じ日本への批評でも「愛する日本を憂いての叱咤激励」もあれば、「日本を貶めたいだけ」とか「ただの悪口」などもあります。この部分をしっかりと見分けられる人が増えると、日本社会は良い方向に向かうと思います。
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学生時代に思った。「ナチスドイツのジェノサイドに対し、イギリスやフランス等のメディアや国民は何をしていたのか?なぜ早くに止められなかったのか?」。今、中国共産党がウイグルやチベットで行っているジェノサイドに対し、日本のメディアや国民は何をしているのか?私たちがすべき事とは何か?
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ヨーロッパ在住時、「リベラル」を自認する友人が何名もいました。彼ら彼女らは皆、「愛国」であり「反共産主義」でした。日本の自称リベラルの方々は、その大半が「極左」だと思います。
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確かにそうですね。dupes(知らないうちに共産党に利用されている人々)が日本にはとても多いと感じます。19世紀から現在に至るまで、世界中の共産党が各地で何をしてきたか(しているか)、欧米では当たり前の教育が日本では行われていません。日本の大問題ですね。 twitter.com/arimoto_kaori/…
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樋口季一郎のユダヤ人救出劇に対し、関東軍参謀長だった東條英機は、「当然の人道上の配慮」として黙認。満鉄総裁の松岡洋右は、無料の特別列車を運行させました。歴史とは史実に基づいて常に是々非々で語られるべきであり、東條や松岡のこうした功績もしっかりと語り継ぐべきだと思います。 twitter.com/katsuyatakasu/…
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「占守島の戦い」は終戦後の昭和20年8月17日から始まった戦闘。千島列島の占守島に不法侵攻してきたソ連軍を日本軍が食い止めた戦いです。ソ連軍はそのまま南下して北海道の北半分を占領する計画でした。占守島で戦った方々のおかげで、日本は「分断国家」にならずに済んだのです。
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杉原千畝に比べて樋口季一郎の知名度が低いのは、杉原が外交官だったのに対し、樋口が陸軍軍人だったからだと思います。しかし、外交官だろうが軍人だろうが、その生涯は史実に沿って公平に評価すべきです。歴史を都合よくトリミング(切り抜き)してはいけません。偏り無く史実を継承しましょう。
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日本軍を美化したいとは思いません。史実に基づいて是々非々でとらえることが重要です。軍人の中にも色々な人がいたわけです。そこを丁寧に見たい。その上で、日本軍が米軍やソ連軍などと比べて、特別に軍紀違反が多かったり、残虐だったり、非人道的だったとは全く思いません。歴史を公正に見よう。
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取材でお世話になった多くの元日本軍兵士の方々が、ここ数年で亡くなられた。皆さん「平和の大切さ」を語ってくれたが、同時に「戦後の歴史教育の偏り」を嘆く声もとても多かった。ある方は「日本軍だけが悪者にされて悔しい」と下を向いた。ある方は「亡くなった戦友に申し訳ない」と号泣された。