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先の大戦を通じた「失敗学」はもちろん重要。軍への批判も多角的に行えば良い。しかし、だからと言って、軍そのものを「悪」の一語で括ってしまうような史観はあまりに安直。軍人の中にも樋口季一郎や中川州男のような学ぶべき人物は多くいた。こういった先人たちも教科書で丁寧に教えていくべき。
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「専門家ではない出演者がコメントする」という形式のテレビ番組はもうやめたらどうか。海外には日本のワイドショーのような番組はほとんどない。日本でも夜のBSには比較的まともな番組があるように思うが、昼間の地上波は本当にひどい。
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「コロナ禍で鬱(うつ)が増えた」というが、その要因の一つはワイドショーでは? 戦時中の新聞メディアと同様、誤報を繰り返し、煽りに煽った責任は? 「コロナ鬱」じゃなく「ワイドショー鬱」だろう。
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終戦前の昭和20年7月、沖縄の石垣島から台湾に疎開する島民を乗せた2隻の小型船が、米軍機の攻撃を受けて遭難。漂流者たちは尖閣列島の魚釣島に上陸しましたが、餓死者も出る惨劇となりました。犠牲者のご遺骨は、未だ島内に残されています。一刻も早く魚釣島で遺骨収集を行い、慰霊祭をすべきです。
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大東亜戦争は「失敗」と「成功」の両面をバランス良く学んでいくことが重要だと思います。これは現在のコロナ対策等にも言えることですが、全てを「失敗」と断定し、全てに「反対」する過剰な人たちが、人々の冷静な判断を狂わせ、社会を混迷させていきます。奥行きのある是々非々が大事です。
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通州事件以外にも日本人が虐殺された事件は実は多数あります。例えば小山克事件。昭和20年8月13日、満洲国の小山克で、武装勢力が列車を襲撃。標的とされた日本の民間人が多数殺害されました。強姦も起きたため、100人以上もの女性が崖から身を投げて自決しています。忘れられた犠牲者に鎮魂と哀悼を。
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沖縄から本土に向かう学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦の魚雷攻撃によって撃沈された「対馬丸事件」。犠牲者数は子供を中心に1500人近くにも及びます。沈没現場の海は荒れており、子供たちの泣き叫ぶ声は、少しずつ消えていったと伝わります。何年経っても鎮魂の思いを寄せたいものです。
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「対馬丸事件」については、最新刊『大東亜戦争の事件簿』(扶桑社)で詳しく触れました。生存者の方の貴重な証言も取材することができました。是非とも宜しくお願い致します。
大東亜戦争の事件簿―早坂隆 amazon.co.jp/dp/4594088236/… @AmazonJPより
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ペリリュー島など、海外に放置されたままになっている戦没者のご遺骨の数は、実に112万柱にも及ぶ。遺骨収集は、国と戦没者との大切な約束。戦没者を二度死なせてはならない。
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8月15日。
日本人が戦争と平和について深く思いを寄せるべき日。
戦時中、多くの方々が「未来の日本人のために」との思いで身命を賭して戦いました。
そんな戦没者の「みたま」に哀悼の誠を捧げることは、言わば当然の行為ではないでしょうか。
「未来の日本人」の一人として。
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靖國神社を参拝する議員をニュースにするのではなく、参拝しない議員をニュースにせよ。
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文春オンラインに以下のような記事を寄稿。是非ご一読を。
「助けて!」北の海に響いた子供の絶叫、千切れた手足はカマス袋に…「北海道にたどり着けなかった」人々を襲った「不条理な暴力」 | 76年目の「終戦」
「大東亜戦争の事件簿」三船殉難事件 #1 #文春オンライン bunshun.jp/articles/-/477…
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8月15日を過ぎても悲劇は終わらなかった。ソ連軍は南樺太に侵攻。追い詰められた看護婦たち23名は、手首にメスを入れるなどして集団自決。生き残りの一人である鳴海寿美さんは「自決前に皆で歌を唄いました。皆、本当にいい人たちでした」と言ってうつむいた。彼女の手首には深い傷跡が残っていた。
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終戦後、満洲の日本人は大変な惨苦を味わった。木下梅子さんはこう記す。「朝鮮人や満人が大勢ガラスを割って、大声を上げながら家の中に侵入してきた。そして彼らは有無を言わさず、運送屋のように荷物(家財道具)をどんどん運んで行く。抵抗すれば殺される」。史実の丁寧な継承を。
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「占守島の戦い」は終戦後の昭和20年8月17日から始まった戦闘。千島列島の占守島に不法侵攻してきたソ連軍を日本軍が食い止めた戦いです。ソ連軍はそのまま南下して北海道の北半分を占領する計画でした。占守島で戦った方々のおかげで、日本は「分断国家」にならずに済んだのです。
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占守島の戦いでの池田末男大佐の言葉。「もはや降魔の剣を振るう他はない。諸子は今、赤穂浪士となり恥を忍んでも将来に仇を報ぜんとするか、或いは白虎隊となり玉砕をもって民族の防波堤となり後世の歴史に問わんとするか」。この玉砕覚悟の戦闘によって、ソ連の北海道占領の野望は挫かれた。
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終戦後、樺太から北海道へ引き揚げる人々を乗せた3隻の民間船がソ連の潜水艦による魚雷攻撃に晒され、実に約1700名もの方々が犠牲となった(三船殉難事件)。潜水艦は海面に浮上し、無抵抗の船に機銃掃射まで行った。この潜水艦の艦長は現在、ロシアにおいて「英雄」とされている。
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北方領土問題。ロシアは日本に「大戦の結果を受け入れろ」と言うが、終戦時に中立条約を破って侵攻したのはソ連軍。スターリンは北海道占領の野望まで持っていた。日本の第5方面軍の抵抗により北海道占領を断念したスターリンは択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島を次々と占領。国際法違反は明らか。
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ソ連の最高指導者であるスターリンは、50万人もの日本人将兵を捕虜とする命令を極秘に発令。結果、57万人以上もの日本人がシベリアなどの地に強制連行され、多くの方々が無念の思いを抱えたまま絶命されました。この明確な国際法違反は、今に到るまで全く裁かれていない。
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