早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(古い順)

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パラオ取材時、インタビューさせていただきました。気さくに明るく接していただいたことを覚えています。パラオと日本を心から愛した人でしたが、「兄弟」であるはずのパラオを多くの日本人が忘れてしまっていることに心痛めておりました。ご冥福をお祈りします。 twitter.com/OfPalau/status…
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オリンピックでのアスリートたちの姿に日々、心を揺さぶられております。但し、実は今夏は太平洋戦争開戦から80年という大きな節目でもあります。その事にもご関心を向けていただけると嬉しく思います。多くの方々の犠牲や思いがあって、今の日本が成り立っている事を私たちは忘れてはいけません。
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私は大東亜戦争で亡くなられた310万以上もの同胞の方々の御霊が少しでも喜ばれるような国を目指すことが大事だと思っています。後に続く者たちを思って逝った御霊が「私たちが望んだ将来の日本はこんな姿ではなかった」と嘆かれるようでは、あまりに申し訳が立ちません。今の日本は大丈夫でしょうか。
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昭和12年7月29日、北平の東方に位置する通州という町で、冀東保安隊と呼ばれる中国人部隊らが日本人居留民への襲撃を開始。「通州事件」の勃発である。暴徒らは女性(妊婦を含む)や子供、老人まで無差別に虐殺した。結局、通州に約300人いた日本人の内、実に200人以上が犠牲になったとされる。合掌。
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ワイドショーのコメンテーターや過激な活動家にしても、彼らは彼らなりの「善」を持ってやっているのだろう。だが、その「善」が暴走して社会を混乱させる。「悪魔」ならぬ「善魔」である。この「善魔」こそタチが悪い。「善魔」横行の夏、私はテレビでオリンピックを観ながら静かに過ごします。
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「多くのユダヤ難民を救出」し、「ソ連による北海道分断を阻止」した樋口季一郎陸軍中将の功績がこれまで充分に語り継がれてこなかったのは、外交官だった杉原千畝とは異なり、樋口が軍人だったことに大きく起因します。しかし、軍人の生涯も是々非々で冷静に評価すべきではないでしょうか。
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樋口季一郎がユダヤ難民を救出した「オトポール事件」については、新刊『大東亜戦争の事件簿』(扶桑社)で詳しく触れています。ソ連の北海道分割を阻止した占守島の戦いに関しても解説しています。是非とも宜しくお願いします。 大東亜戦争の事件簿―早坂隆 amazon.co.jp/dp/4594088236/… @AmazonJPより
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先の大戦を語る際、「軍部の独走」はよく指摘される点です。無論、そういった要素はあったのですが、合わせて考えなければならないのが、当時の政治家たちが足を引っ張り合って、政策や方針が遅々として定まらず、その内に事態がズルズルと泥沼化していったという一面です。
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南京戦の体験者である島田親男さんは「戦闘はあったが、市民への30万人もの虐殺など一度も見ていない」と語り、涙ながらにこう言った。「なぜ戦後の日本人は中国人の言うことばかり信じて、私達の言葉には耳を傾けてくれないのでしょうか」。そんな島田さんも既にご逝去。思いを継いでいきたい。合掌。
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「南京事件」については、新刊『大東亜戦争の事件簿』(扶桑社)で詳しく触れています。多くの当事者の声から南京戦の実像に迫ります。是非とも宜しくお願いします。 大東亜戦争の事件簿―早坂隆 amazon.co.jp/dp/4594088236/@AmazonJPより
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知覧の特攻基地の近くで食堂を営んでいた鳥濱トメさんは、多くの特攻隊員から「お母さん」「おばちゃん」と親しまれた存在だった。遺族には出撃前の様子を綴った手紙を送り、戦後も隊員たちの供養を続けた。トメさんは平成4年に89歳で逝去。トメさんと特攻隊員たちの笑顔が心を揺さぶる。
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特攻隊員の宮川三郎は出撃前日、飛び交うホタルを眺めながら鳥濱トメに言った。「俺、死んだらホタルになって帰ってくるよ」。翌日の夜、一際大きな一匹のホタルが食堂内まで入ってきた。トメの娘が叫んだ。「お母さん、宮川さんが帰ってきたわよ!」。トメや居合わせた戦友らは皆でむせび泣いた。
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最初の神風特別攻撃隊「敷島隊」は、フィリピンのマバラカット飛行場で編成された。現在、同地はフィリピンの人々の手によって維持されている。「どうして日本の政治家は、命を賭けて祖国を守った人々の慰霊に来ないのですか?」
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「占守島の戦い」は終戦後の昭和20年8月17日から始まった戦闘。千島列島の占守島に不法侵攻してきたソ連軍を日本軍が食い止めた戦いです。ソ連軍はそのまま南下して北海道の北半分を占領する計画でした。占守島で戦った方々のおかげで、日本は「分断国家」にならずに済んだのです。
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このような重要な戦いであったにもかかわらず、北海道民でさえほとんど認知していない現状は異様です。新刊『大東亜戦争の事件簿』(扶桑社)ではこの「北海道占領未遂事件」についても書きました。知る人が増える事を願います。 大東亜戦争の事件簿―早坂隆 amazon.co.jp/dp/4594088236/@AmazonJPより
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フィリピンで「カミカゼ・ミュージアム」を運営していたダニエル・ディソンさん(故人)。幼少時、多くの日本兵と親しくなり、餅や芋をもらったという。「ヤマカワという名の中尉が私のことを『自分の小さな弟によく似ている』と言って可愛がってくれました。よく手を繋いで一緒に散歩したんですよ」
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日本の夏はお盆(盂蘭盆会)に死者を供養する古くからの風習と終戦の日が相まって、世界的にも珍しい独特の雰囲気に包まれます。少しでも御霊の慰めとなるよう、静かに鎮魂の気持ちを送りたいものです。そして御霊が微笑まれるような「安らかな国づくり」を目指さねばと思います。
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「軍靴の響きが聞こえる」といった使い古された表現。戦争への警鐘を鳴らすのはもちろん重要だが、現在の国際情勢に耳を澄ませれば、最も警戒すべき不協和音の源が中国であることは明らか。そのことに言及しない政治家、メディア、評論家、芸能人は信用できない。
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先の大戦も、中国側からの多数のテロ事件が契機となって拡大していきました。最新刊『大東亜戦争の事件簿』(扶桑社)では多くの「排日・侮日事件」についても書きました。是非とも宜しくお願い致します。 大東亜戦争の事件簿―早坂隆 amazon.co.jp/dp/4594088236/@AmazonJPより
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特攻隊員となる少年飛行兵の教官役だった藤井一陸軍中尉は「お前たちだけを死なせない。自分も後から必ず行く」が口癖だった。しかし、妻子のある藤井に特攻命令はなかなか出ない。その事実を知った妻・福子は、夫の願いを叶えるために入水自殺。藤井の特攻はこうして叶った。合掌。
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特攻隊員・渋谷健一には、幼い子供と身重の妻がいた。彼は遺書にこう書き記した。「父恋しと思わば空を視よ。大空に浮ぶ白雲に乗りて父は常に微笑みて迎う」。昭和20年6月11日、渋谷は特攻死。奇しくも同日、妻・光は男児を出産。周囲の者たちは「生まれ変わり」と驚嘆して号泣した。
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台湾南部の農業の発展のため、烏山頭ダムを建設した八田與一。台湾では「最も尊敬すべき日本人」とも称され、その功績は教科書にも記載されている。そんな八田も1942年、乗っていた客船が米軍の攻撃に遭い死亡。その後、八田の妻は、かつて夫がつくったダムに身を投げて後を追った。合掌。
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先の大戦に関し、未だに日本とドイツを同列に並べて語ったり、「日本は加害者として相手が納得するまで謝罪するべき」と述べる人物がメディアに出ている状況には、国民もさすがにウンザリしているのではないか。いくら史実をもって丁寧に検証しても、彼らの史観は揺るがない。史実より思想なのである。
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五輪に関するメディアの恥も外聞もない手のひら返しを見ていると、大東亜戦争を泥沼化させた最大の要因が新聞などの各種メディアだったことを思い起こさせる。結局、コロナ禍において社会不安を煽り、人々の生活を最も破壊したのは、ワイドショーなどのメディアだった。歴史は繰り返されたのである。
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大東亜戦争における最大の失敗は「国際情勢の読み違え」。戦前の日本は米英から離れ、国内の「親独派」に引っ張られてナチスドイツと手を結んだ。現在、新疆ウイグル自治区の人権問題に関し、G7の中で日本の反応が最も鈍い。これ以上、国内の「親中派」に引っ張られたら、再び道を誤る。