早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(古い順)

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終戦後の8月17日深夜、ソ連軍は日本領千島列島の占守島に不法侵攻。ソ連は北海道の占領を目論んでいました。しかし、これを阻止したのが第91師団の指揮下にあった占守島の将兵たち。爆薬を抱えて敵戦車に飛び込むといった彼らの決死の戦いにより、日本は分断国家とならずに済んだのです。
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樋口季一郎は杉原千畝より前に「ユダヤ人救出劇」を実現させた陸軍中将。占守島の戦いを指揮し、北海道をソ連の分断から守った人物でもある。かつては「知る人ぞ知る」という存在だったが、最近は関心を持つ人が着実に増えている。男前でダンスも上手だったとか。より多くの日本人に知ってほしい人物。
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終戦後、ソ連軍は南樺太にも侵攻。追い詰められた大平炭坑病院の看護婦たち23名は、手首にメスを入れるなどして集団自決。生き残りの一人である鳴海寿美さんは、私の取材に対し「自決前に皆で歌を唄いました。皆、本当にいい人たちでした」と言ってうつむいた。彼女の手首には、深い傷跡が残っていた。
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大事な情報ですので、共有しておきます。 抑留死亡者26人を特定 厚労省HPで公表、シベリア地域(共同通信) - Yahoo!ニュース headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190201-… @YahooNewsTopics
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北方領土問題。ロシアは日本に「大戦の結果を受け入れろ」というが、終戦時に中立条約を破って侵攻したのはソ連軍。スターリンは北海道占領の野望まで持っていた。日本の第5方面軍の抵抗により北海道占領を断念したスターリンは択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島を次々と占領。国際法違反は明らか。
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神武天皇が初代天皇に即位した地とされる橿原。「カシ林を開いて宮を築いた」という。カシは冬にも枯れない常緑樹で、永遠の治世を思わせる。明治帝は「橿原のとほつみおやの宮柱たてそめしより国はうごかず」との御製を詠んだ。戦後、神話は教育の場から排除されたが日本人にとって大切なもののはず。
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【ジョーク】  韓国の国会議員が集まって議論していた。 「私たちはうまくいかないことがあると、すべて日本のせいにする悪癖がある。この原因は何だろう?」  議論の末、彼らは次のような結論を導き出した。 「悪癖の原因は日本」
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本日は台湾の「二・二八事件」記念日。1947年、中国国民党の弾圧により2万人以上の台湾人が虐殺された。日本人の父と台湾人の母を持つ弁護士・坂井徳章は、そんな中で治安維持に奔走。多くの台湾人の命を救ったが、中国側に逮捕され、拷問の末、極刑に。銃殺直前「台湾人、万歳」と叫んだという。
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韓国の文在寅大統領が「三・一運動」に関して「約7500人の朝鮮人が(日本側によって)殺害された」という趣旨の発言。果たして、この数字は史実に沿ったものと言えるのか。こういう問題は初動が重要。放置すれば間違った話が拡散し、更に肥大化する。政府は明確に抗議を。
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パラオ共和国のレメンゲサウ大統領が来日中。かつて日本の委任統治領だったパラオの現在の国旗は、日章旗とよく似た月照旗。戦後、アメリカの統治下からの独立時に住民投票によって選ばれた。多くの島民が「日本とパラオは兄弟国」と笑顔で口を揃える。写真はパラオ取材時に現地で買ったバッジです。
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昭和20年3月10日、東京の下町一帯は猛烈な炎に包まれた。焼夷弾による無差別攻撃で、約10万人が犠牲になったとされる。指揮官だったカーチス・ルメイは戦後にこう語った。「もし我々が負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう」。歴史の本質とは何か。冷静かつ丁寧に見定めたい。
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ルーマニア人の友人から聞いたのですが、首都・ブカレストに新しくできる地下鉄の駅の一つを「トウキョウ」という駅名にする予定があるそうです。これまでの日本のODAに対する感謝の気持ちを表すためなのだとか。実現したら嬉しいですね。温かな気持ちの連鎖が広がるといいなと思います。
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今日は97歳の元陸軍兵士の方に取材。こういった取材はあと数年でできなくなるので、今のうちに少しでも証言を集めておきたいと思っています。戦場の話はまだまだ埋もれている話が多くあるのです。先の大戦への多面的な理解を深められるような、そんなノンフィクションを書きたいと思っております。
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イチロー選手は試合後、必ずグラブの手入れを入念に行い、型崩れしないようバンドで固定してから特製の袋にしまうといいます。子供たちには「道具を大事にしないと良いプレーは生まれない」と繰り返します。彼から学ぶべきは、ヒットの打ち方やレーザービームではなく、そういうところだと思います。
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日章旗74年ぶり返還 戦死の父の遺品、兵庫の息子へ  sankei.com/west/news/1903… @Sankei_newsより
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電車内で見かけたカップル。彼氏が「スギ花粉の次はヒノキ花粉だし、それから梅雨だし、夏は猛暑だろうし、秋も花粉だし、冬は寒いし」と言ったら、彼女が「でも春はお花見できるし、夏は海で泳げるし、秋は食べ物おいしいし、クリスマスも楽しいじゃん」と返答。青年よ、その子は大切にすべし。
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世界は現在、日本酒(SAKE)ブーム。「南部美人」は「サザンビューティー」の名で、世界30カ国ほどで親しまれている。蔵元の久慈浩介さんが大事にしているのが「和醸良酒」という言葉。「和が良い酒を造る」という「日本人らしさ」が、世界の人々を魅了する一滴を生み出している。
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最新刊『ペリリュー玉砕 南洋のサムライ・中川州男の戦い』(文春新書)刊行。パラオ・ペリリュー島の指揮官だった中川州男大佐の評伝です。「サクラ、サクラ、サクラ」の言葉の背景を探ります。 ペリリュー玉砕 南洋のサムライ・中川州男の戦い 早坂隆 amazon.co.jp/dp/4166612220/… @AmazonJPより
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ペリリュー戦の指揮官だった中川州男大佐は、熊本県玉名郡の出身。米軍の上陸前に住民を疎開させ、被害の拡大を抑えた。将兵にはバンザイ突撃を禁止。地下壕を駆使した抗戦により、米第一海兵師団に「史上最大の損害率」を与えた。熊本市の立田山に立つ彼の墓は、震災の復興途中の故郷を今日も見守る。
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パラオ・ペリリュー島には、かつて日本軍が使用した地下壕が今も多く残る。壕内には腐食した水筒や飯盒などが点々と転がる。同島で戦死した約1万人の日本兵の内、およそ2200柱が未収集。彼らは今日も祖国から迎えが来るのを待っている。
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戦争体験者の方々への取材が、いよいよ難しくなってきています。以前に取材させていただいた方々の訃報も増えました。本当に寂しい限りです。戦前戦中を生きた方々への取材は、あと数年がラストチャンスだと思うので、少しでも活字として記録しておくため、全力を尽くしたいと思います。
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ペリリュー戦の生き残りの一人である永井敬司さん(97歳)はこう語る。「日本を守るためですよ。内地で暮らす家族や女性、子供を守るため。私たちは太平洋の防波堤となるつもりでした。そのために自分の命を投げ出そうと。そんな思いで懸命に戦ったのです」
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ペリリューの戦いは、多くの方々に知っていただきたい史実です。拙著「ペリリュー玉砕」は指揮官の中川州男大佐が主人公になっていますが、実は本当の主人公は永井さんをはじめとする元兵士の方々だと思っています。そして、あの島で亡くなられた全ての方々に、改めて哀悼の誠を捧げたいと思います。
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茨城県水戸市の茨城県護国神社に建つ「ペリリュー島守備部隊鎮魂碑」。ペリリュー戦における日本側の戦死者は10022名。両陛下のパラオご訪問以降、ペリリュー戦に関心を持つ方は増えているが、この地を訪れる人はまだまだ少ない。まずはその存在を知ってほしい。合掌。
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終戦後の8月17日深夜、ソ連軍は日本領千島列島の占守島に不法侵攻。ソ連は北海道の占領を目論んでいました。しかし、これを阻止したのが第91師団の指揮下にあった占守島の将兵たち。爆薬を抱えて敵戦車に飛び込むといった彼らの決死の戦いにより、日本は分断国家とならずに済んだのです。