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今日は北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの誕生日。拉致当時13歳だっためぐみさんは58歳に。長い年月を思うとやり切れません。それから若い人はあまり知らないそうなので書きますが、小泉訪朝以前は一部の政治家やメディアが「北朝鮮が拉致などする筈がない」と主張していました。嘘のような本当の話。
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オトポール事件で多くのユダヤ難民を救い、占守島の戦いによって日本を分断から護った樋口季一郎陸軍中将は淡路島の生まれ。このたび樋口の孫であるピアニストの紀美子さんが、同島でのコンサートに招かれ、生前の樋口が好きだったショパンの楽曲等を披露しました。天の樋口もさぞ喜んだことでしょう。
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「美しい国」を目指した安倍晋三元首相。そのお別れの日、東京の街には長い長い列が生まれました。その列はとてもとても美しいものでした。
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パラオのペリリュー島で、地中に埋もれたままになっている旧日本軍の戦車の発掘調査が初めて行われています。戦車の内部には、戦没者のご遺骨が残されている可能性が高いとみられています。暗く狭く蒸し暑い場所から青空のもとに出し、そして祖国に故郷にと還してあげたいものです。
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このたび歴史学者の久野潤氏が代表幹事を務める顕彰史研究会の顧問を引き受けることになりました。大東亜戦争にまつわる英霊の顕彰や慰霊はもちろん、国史上の偉人についても広く学術的研究を行うという同研究会の設立趣旨に賛同し、今後、微力ながら協力させていただきます。
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最近「賢いフリ」をする人が増えているように感じる。しかし、「賢いフリ」をする人よりも、「阿呆のフリ」のできる人のほうが、人として上等のように思う(もちろん私はただの阿呆です)。
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ロシアによるウクライナ侵攻の土台にあるのは「プーチンの歴史観」。そう考えると次に懸念すべきは「習近平の歴史観」だろう。習近平はこう語っている。「中華民族の偉大な復興の実現が、近代以降の中華民族の最も偉大な夢」「台湾統一は歴史的任務」。固有名詞以外、両者は同じ事を言っています。
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幕末に来日したヒュースケンは、こう記している。「この国の人々の質樸な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった(略)」。日本の良さを大切に。
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「正論」での対談以来、ご無沙汰しております。「戦没者の遺骨収集はオールジャパンで取り組むべき」という主張に賛成です。1体でも多くのご遺骨が帰れますように。
@kennoguchi0821 twitter.com/kennoguchi0821…
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「住民税非課税世帯に5万円程度の給付案」とのことだが、人間を「強者」と「弱者」でとらえる物差しの他に、「頑張っている者」と「頑張っていない者」という尺度も丁寧に見てほしい。頑張っている者が馬鹿を見るような社会は活力が失われる。間違っている。
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幕末に来日したドイツの考古学者、シュリーマンは船に乗った際、正規料金より多い額を船頭に渡した。中国(清国)では、料金以上の額を常に後から請求されたためである。だが、日本の船頭は「規定の料金と違いますよ」と言って余分な額を返却。シュリーマンは感動した。「日本人の心」を忘れずに。
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敗戦後、樋口季一郎陸軍中将の官邸も、進駐軍に接収されることになった。退去時、四女の智恵子が庭になっていたリンゴを取ろうとすると、樋口はこう言ったという。「それに手を付けちゃいけない。『日本人はリンゴの実まで取っていった』と言われることは武士道に反する。みっともないことをするな」。
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陸軍軍人・樋口季一郎は大正12年、朝鮮軍参謀に就任。在任は約1年の予定だったが、樋口は官舎の庭に梅や栗の苗木を植えた。家族が「1年しか居ないのに苗木を植えるなんて」と言うと、樋口は嬉しそうにこう答えたという。「10年後にこの家に入る人が喜ぶぞ」。
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国連人権高等弁務官事務所が中国新疆ウイグル自治区に関し「深刻な人権侵害」と発表。収容所内では拷問や虐待があり、「常に監視体制に置かれる」「手枷足枷をはめられる」「食料が十分に与えられない」等の事例が報告された。とんでもないニュースだが、日本でのテレビ等の扱いが小さいのが気になる。
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夏休み明けは、一年で最も子どもの自殺が多い時期。学校なんて仮病でズル休みしても良いし、行ったフリして海や山を見に行っても良い。むしろそうしろと言いたい。僕もそんな子どもだったけど、今日までノラリクラリと生きてきたら、思ったより良い事あったよ。本当だよ。
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月刊「Hanada」10月号をご献本いただきました。心より御礼申し上げます。私はどんな政治家であれ「政策」への批判や検証はあって然るべきだと考えますが、現在、一部で見られる「死者に鞭打つ」ような言説には、哀しい感情と恐怖さえ覚えております。故人を穏やかに送りたいものです。#月刊Hanada
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ソ連による抑留では、実はウクライナも連行先の一つ。ハリコフ(ハルキウ)にも収容所があり、現在、ロシア軍によって破壊されている建物の一部も日本人抑留者が建設したものです。ウクライナの人々は日本人に同情的で食糧の差し入れもあったとか。死亡率が他の地より低かったという記録もあります。
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大変お世話になりました。私こそ学びの多い、かつ楽しい時間となりました。ありがとうございました。ご視聴いただいた皆様にも心より御礼申し上げます。 twitter.com/arimoto_kaori/…