早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(新しい順)

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安倍首相には療養の上、回復後にはぜひ手記を綴ってほしい。どういった人々に、どれだけ妨害され、どのように足を引っ張られたのか。特に与党内、野党、メディア。今後の日本のために重要な記録となる。何はともあれ、まずはしっかりと病いを克服していただければと思います。本当にお疲れ様でした。
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大東亜戦争を泥沼化させた最大の要因は、新聞をはじめとする各種メディアだった。そして今回のコロナ禍においても、不正確な情報を垂れ流し、社会不安を実態以上に煽り、人々の生活を最も毀損したのは、テレビのワイドショーなどのメディアだったのではないか。歴史は繰り返されたのである。
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私は大東亜戦争で亡くなられた310万以上もの同胞の方々の御霊が少しでも喜ばれるような国を目指すことが大事だと思っています。後に続く者たちを思って逝った御霊が「私たちが望んだ将来の日本はこんな姿ではなかった」と嘆かれるようでは、あまりに申し訳が立ちません。今の日本は大丈夫でしょうか。
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北方領土問題。ロシアは日本に「大戦の結果を受け入れろ」というが、終戦時に中立条約を破って侵攻したのはソ連軍。スターリンは北海道占領の野望まで持っていた。日本の第5方面軍の抵抗により北海道占領を断念したスターリンは択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島を次々と占領。国際法違反は明らか。
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実は抑留先はシベリアだけではなかった。終戦後、1万人以上もの日本人が満洲からモンゴルに不法に連行され、過酷な生活環境の中で1500~3000人が絶命。現在、ウランバートル郊外には日本人抑留者慰霊施設が建立されている。こうした埋もれた史実も丁寧に語り継ぎたい。合掌。
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75年前の今日(23日)、ソ連の最高指導者であるスターリンは、50万人もの日本人将兵を捕虜とする命令を極秘に発令。結果、57万人以上もの日本人がシベリアなどに強制連行され、多くの方々が無念の思いを抱えたまま絶命されました。この明確な国際法違反は、今に到るまで全く裁かれていない。
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沖縄から本土に向かう学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦の魚雷攻撃によって撃沈されてから今日(22日)で76年。犠牲者数は子供を中心に1500人近くにも及びます。沈没現場の海は荒れており、子供たちの泣き叫ぶ声は、少しずつ消えていったと伝わります。何年経っても鎮魂の思いを寄せたいものです。
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これまで50カ国ほど訪ねてきましたが、その中で再認識したのは「日本の魅力」。もちろん、日本にも改善すべき点は多々ありますが、それでも帰するところ「日本はすばらしい」と思っています。そして、そう思えるということは、先人たちの知恵や努力の積み重ねがあってこそなわけです。素直に感謝です。
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元抑留者の林英夫さん。「私たちは日々『日本に絶対に帰ろう』と励まし合って過ごしていましたが、それを叶えることができずに亡くなっていった戦友たちが可哀想でなりません。ぜひ多くの皆様に抑留の事実を知っていただき、慰霊の気持ちを持っていただければと心からそう思っています」
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イスラエル在住のクララ・シュバルツベルグさんは、戦時中、満洲の大連に滞在。樋口季一郎のビザによって救出された多くのユダヤ難民を目撃した。「ヒグチは偉大な人物です。日本人はヒグチのことをあまり知らないのですか?それは本当ですか?日本人は学校で何を習っているのですか?」
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本日の読売新聞に樋口季一郎・陸軍中将に関する記事が掲載。樋口は多くのユダヤ難民を救出し、占守島の戦いによって北海道をソ連の分割から守った人物ですが、近年、関心を持つ人が増えてきました。樋口がドラマや映画になったら、この国の雰囲気も変わるのではと思っています。ぜひ応援して下さい!
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終戦後、満洲の日本人は大変な惨苦を味わった。木下梅子さんはこう記す。「朝鮮人や満人が大勢ガラスを割って、大声を上げながら家の中に侵入してきた。そして彼らは有無を言わさず、運送屋のように荷物(家財道具)をどんどん運んで行く。抵抗すれば殺される」「阿鼻叫喚の惨状」。史実の継承を。
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終戦後、ソ連軍は南樺太に侵攻。追い詰められた大平炭坑病院の看護婦たち23名は、手首にメスを入れるなどして集団自決。生き残りの一人である鳴海寿美さんは、私の取材に対し「自決前に皆で歌を唄いました。皆、本当にいい人たちでした」と言ってうつむいた。彼女の手首には、深い傷跡が残っていた。
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占守島の戦いでの池田末男大佐の言葉。「もはや降魔の剣を振るう他はない。諸子は今、赤穂浪士となり恥を忍んでも将来に仇を報ぜんとするか、或いは白虎隊となり玉砕をもって民族の防波堤となり後世の歴史に問わんとするか」。この玉砕覚悟の戦闘によって、ソ連の北海道占領の野望は挫かれた。
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「占守島の戦い」は終戦後の昭和20年8月17日から始まった戦闘。千島列島の占守島に不法侵攻してきたソ連軍を日本軍が食い止めた戦いです。ソ連軍はそのまま南下して北海道の北半分を占領する計画でした。占守島で戦った方々のおかげで、日本は「分断国家」にならずに済んだのです。
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満洲で多くのユダヤ人を救出した「オトポール事件」の指導者であった陸軍軍人・樋口季一郎の直筆の書。「真に徳のある者は孤独ではない」という意味。樋口は占守島の戦闘も指揮し、ソ連による北海道の分割を防いだが、自らの功績を語ることなく逝った。
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オピニオンサイト「iRONNA」に、樋口季一郎に関する論考を寄稿しました。樋口の功績は、もっと多くの方々に知っていただきたいと思っています。是非ご一読下さい。 樋口季一郎の埋もれた功績、ユダヤ人を救ったもう一つの「命のビザ」 (早坂隆) - iRONNA ironna.jp/article/15610 #iRONNA
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8月15日。 日本人が戦争と平和について深く思いを寄せるべき日。 戦時中、多くの方々が「未来の日本人のために」との思いで身命を賭して戦いました。 そんな戦没者の「みたま」に哀悼の誠を捧げるのは、言わば当然のことではないでしょうか。 「未来の日本人」の一人として。
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かつて「C級戦犯」としてフィリピンのモンテンルパ刑務所に収監された経験を持つ宮本正二さん。「11人の現地住民を殺害した」という全く身に覚えのない容疑だった。戦友の一人は「死にたくない」と絶叫し、刑場の露と消えたという。
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日本海軍には多くの隠語があり、「結婚する」を「マリる」、「鼻の下を伸ばす」を「ロング」、「梅毒」を「プラム」などと称した。70年以上前の軍人さんといえども、今の若者とさして変わらない表情も持っていた。そんな彼らが身命を賭して戦い、斃れていったのが先の大戦の素顔。合掌。
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先の大戦に関し、未だに日本とドイツを同列に並べて語ったり、「日本は加害者として相手が納得するまで謝罪するべき」と述べる人物がメディアに出ている状況には、国民もさすがにウンザリしているのではないか。いくら史実をもって丁寧に検証しても、彼らの史観は揺るがない。史実より思想なのである。
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先の大戦を通じた「失敗学」はもちろん重要。軍への批判も多角的に行えば良い。しかし、だからと言って軍そのものを「悪」の一語で括ってしまうような史観はあまりに安直。軍人の中にも樋口季一郎や中川州男のような学ぶべき人士は少なからずいた。こういった人物を教科書でも丁寧に教えていくべき。
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靖國神社を参拝。日本の夏はお盆(盂蘭盆会)に死者を供養する古くからの風習と終戦の日が相まって、世界的にも珍しい独特の雰囲気に包まれます。少しでも御霊の慰めとなるよう、静かに鎮魂の気持ちを送りたいものです。そして御霊が微笑まれるような「安らかな国づくり」を目指さねばと思います。
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ペリリュー島など、海外に放置されたままになっている戦没者のご遺骨の数は、実に112万柱にも及ぶ。遺骨収集を「国の責務」と定めた推進法が成立して4年。しかし「ご遺骨の取り違え」が起きるなど、課題はなお山積している。遺骨収集は、国と戦没者との大切な約束。戦没者を二度死なせてはならない。
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パラオ・ペリリュー島には、かつて日本軍が使用した地下壕が今も多く残る。壕内には腐食した水筒や飯盒などが点々と転がる。同島で戦死した約1万人の日本兵の内、およそ2200柱もの御遺骨が未収集。彼らは今日も祖国から迎えが来るのを待っている。彼らの声に耳を澄ましてほしい。