早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(新しい順)

401
フィリピンで「カミカゼ・ミュージアム」を運営していたダニエル・ディソンさん(故人)。幼少時、多くの日本兵と親しくなり、餅や芋をもらったという。「ヤマカワという名の中尉が私のことを『自分の小さな弟によく似ている』と言って可愛がってくれました。よく手を繋いで一緒に散歩したんですよ」
402
このような重要な戦いであったにもかかわらず、北海道民でさえほとんど認知していない現状は異様です。新刊『大東亜戦争の事件簿』(扶桑社)ではこの「北海道占領未遂事件」についても書きました。知る人が増える事を願います。 大東亜戦争の事件簿―早坂隆 amazon.co.jp/dp/4594088236/@AmazonJPより
403
「占守島の戦い」は終戦後の昭和20年8月17日から始まった戦闘。千島列島の占守島に不法侵攻してきたソ連軍を日本軍が食い止めた戦いです。ソ連軍はそのまま南下して北海道の北半分を占領する計画でした。占守島で戦った方々のおかげで、日本は「分断国家」にならずに済んだのです。
404
最初の神風特別攻撃隊「敷島隊」は、フィリピンのマバラカット飛行場で編成された。現在、同地はフィリピンの人々の手によって維持されている。「どうして日本の政治家は、命を賭けて祖国を守った人々の慰霊に来ないのですか?」
405
特攻隊員の宮川三郎は出撃前日、飛び交うホタルを眺めながら鳥濱トメに言った。「俺、死んだらホタルになって帰ってくるよ」。翌日の夜、一際大きな一匹のホタルが食堂内まで入ってきた。トメの娘が叫んだ。「お母さん、宮川さんが帰ってきたわよ!」。トメや居合わせた戦友らは皆でむせび泣いた。
406
知覧の特攻基地の近くで食堂を営んでいた鳥濱トメさんは、多くの特攻隊員から「お母さん」「おばちゃん」と親しまれた存在だった。遺族には出撃前の様子を綴った手紙を送り、戦後も隊員たちの供養を続けた。トメさんは平成4年に89歳で逝去。トメさんと特攻隊員たちの笑顔が心を揺さぶる。
407
「南京事件」については、新刊『大東亜戦争の事件簿』(扶桑社)で詳しく触れています。多くの当事者の声から南京戦の実像に迫ります。是非とも宜しくお願いします。 大東亜戦争の事件簿―早坂隆 amazon.co.jp/dp/4594088236/@AmazonJPより
408
南京戦の体験者である島田親男さんは「戦闘はあったが、市民への30万人もの虐殺など一度も見ていない」と語り、涙ながらにこう言った。「なぜ戦後の日本人は中国人の言うことばかり信じて、私達の言葉には耳を傾けてくれないのでしょうか」。そんな島田さんも既にご逝去。思いを継いでいきたい。合掌。
409
先の大戦を語る際、「軍部の独走」はよく指摘される点です。無論、そういった要素はあったのですが、合わせて考えなければならないのが、当時の政治家たちが足を引っ張り合って、政策や方針が遅々として定まらず、その内に事態がズルズルと泥沼化していったという一面です。
410
樋口季一郎がユダヤ難民を救出した「オトポール事件」については、新刊『大東亜戦争の事件簿』(扶桑社)で詳しく触れています。ソ連の北海道分割を阻止した占守島の戦いに関しても解説しています。是非とも宜しくお願いします。 大東亜戦争の事件簿―早坂隆 amazon.co.jp/dp/4594088236/… @AmazonJPより
411
「多くのユダヤ難民を救出」し、「ソ連による北海道分断を阻止」した樋口季一郎陸軍中将の功績がこれまで充分に語り継がれてこなかったのは、外交官だった杉原千畝とは異なり、樋口が軍人だったことに大きく起因します。しかし、軍人の生涯も是々非々で冷静に評価すべきではないでしょうか。
412
ワイドショーのコメンテーターや過激な活動家にしても、彼らは彼らなりの「善」を持ってやっているのだろう。だが、その「善」が暴走して社会を混乱させる。「悪魔」ならぬ「善魔」である。この「善魔」こそタチが悪い。「善魔」横行の夏、私はテレビでオリンピックを観ながら静かに過ごします。
413
昭和12年7月29日、北平の東方に位置する通州という町で、冀東保安隊と呼ばれる中国人部隊らが日本人居留民への襲撃を開始。「通州事件」の勃発である。暴徒らは女性(妊婦を含む)や子供、老人まで無差別に虐殺した。結局、通州に約300人いた日本人の内、実に200人以上が犠牲になったとされる。合掌。
414
私は大東亜戦争で亡くなられた310万以上もの同胞の方々の御霊が少しでも喜ばれるような国を目指すことが大事だと思っています。後に続く者たちを思って逝った御霊が「私たちが望んだ将来の日本はこんな姿ではなかった」と嘆かれるようでは、あまりに申し訳が立ちません。今の日本は大丈夫でしょうか。
415
オリンピックでのアスリートたちの姿に日々、心を揺さぶられております。但し、実は今夏は太平洋戦争開戦から80年という大きな節目でもあります。その事にもご関心を向けていただけると嬉しく思います。多くの方々の犠牲や思いがあって、今の日本が成り立っている事を私たちは忘れてはいけません。
416
パラオ取材時、インタビューさせていただきました。気さくに明るく接していただいたことを覚えています。パラオと日本を心から愛した人でしたが、「兄弟」であるはずのパラオを多くの日本人が忘れてしまっていることに心痛めておりました。ご冥福をお祈りします。 twitter.com/OfPalau/status…
417
ルーマニア人の親友からのメール。「ドラクエの音楽、ドローンの地球、天皇の挨拶、すべてが凄すぎて感動の連続だった。オリンピックの開催国が日本で本当に良かった!」。選手の爽やかな笑顔が印象的な開会式でした。世界中に勇気や希望を与えたと思います。みんなが勇者でしたね。
418
今朝の産経新聞より。共に頑張ろう。
419
終戦前の昭和20年7月、沖縄の石垣島から台湾に疎開する島民を乗せた2隻の小型船が、米軍機の攻撃を受けて遭難。漂流者たちは尖閣列島の魚釣島に上陸しましたが、餓死者も出る惨劇となりました。犠牲者のご遺骨は、未だ島内に残されています。一刻も早く魚釣島で遺骨収集を行い、慰霊祭をすべきです。
420
満洲国・興安街の住民は、ソ連軍の侵攻を受けて街から退避。だが、避難中の昭和20年8月14日、ソ連の戦車部隊に包囲され、多くの人々が虐殺された。戦車は遺体も重傷者も踏み付けながら走った。千数百人いた避難民の内、生きて日本に帰国できたのはわずか百余名であった。これが「葛根廟事件」である。
421
最新刊『大東亜戦争の事件簿 隠された昭和史の真実』(扶桑社)が刊行となりました。通州事件やオトポール事件、葛根廟事件、対馬丸事件、北海道占領未遂事件など、昭和史の隠された事件の真相に迫ります。是非とも宜しくお願い致します。 Amazonはこちら→ amazon.co.jp/dp/4594088236/@AmazonJPより
422
今の政権や官僚組織を「戦争末期の日本軍」に喩える論が増えているようだが、日本軍を「愚の象徴」として語るのは杜撰で安直な見方である。
423
東京五輪に向けて、こんな話があったことにも興味を持っていただけたらと思います。 馬術「金」バロン西のむち返還 32年五輪のLAから遺族へ - 産経ニュース sankei.com/article/202107…
424
神奈川県の中井町には「古怒田(こぬた)」「半分形(はぶがた)」など変わった地名が多くて興味深い。「怒田」というのは「湿地」を意味するらしいが、古くから伝わる様々な地名には、自然災害への警告が含まれている場合も多い。今こそ先人たちの声に耳を澄ませるべきなのかもしれない。
425
戯言も犯罪もいかに多いことか。