早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(新しい順)

351
今回のコロナ禍が炙り出した日本の課題は、政治家や官僚の個々の劣化ということよりも、憲法を含む国の形としてのシステムの綻びと脆弱性の問題だったと思います。更にはメディアの退廃。テレビのワイドショーなどは、もはや公害に近いのでは。本日もスモッグ深し。
352
「世界一受けたい授業」なる番組で偉そうに講師役を務めたこともある私ですが、実は高校時代は授業をサボりまくる学年最底辺の落ちこぼれでした。教師から面と向かって「馬鹿」と呼ばれたこともあります。何が言いたいかというと、人生はやり直せるということと、今日が48回目の誕生日ということです。
353
9月1日は一年で最も子どもの自殺が多い日。学校なんて仮病でズル休みしても良いし、行ったフリして海や山を見に行っても良い。むしろそうしろと言いたい。僕もそんな子どもだったけど、今日までノラリクラリと生きてきたら、思ったより良い事あったよ。本当だよ。
354
渋沢栄一の言葉。「たとえその事業が微々たるものであろうと、自分の利益は少額であろうと、国家必要の事業を合理的に経営すれば、心は常に楽しんで仕事にあたることができる」。
355
ワクチン開発やデジタル分野で遅れを露呈した令和日本に、戦艦大和の哨戒長・臼淵大尉の言葉が重なる。「進歩のない者は決して勝たない。負けて目ざめることが最上の道だ(略)私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか」
356
自分が乗っている船が沈みそうな時、船長に不満や文句をぶつけるのではなく、「何か手伝うことはありませんか」と言える人間でありたい。
357
何でもかんでも差別だ差別だと騒ぐ過激な人たちは昔から存在したが、SNSの発達によってその発言の異様さが可視化された。彼らのような存在は「差別を減らしていきたい」とごく自然に考えている大多数の人たちからも共感を得られない。なぜなら彼らこそ排他的であり攻撃的であり差別的だからである。
358
大東亜戦争について、日本の歴史教育では加害と責任ばかりが強調される。だが戦争とは相互的な「事件」の応酬によって拡大するものであり、一方が絶対的加害者という事など殆どない。戦勝国による一方的な東京裁判史観からの完全脱却こそ、令和日本の重要課題。東京裁判史観を減らすワクチンはないか。
359
ペリリュー守備隊長の中川州男大佐は、米軍の上陸戦が始まる前に、島民と在留邦人に対して他の島への疎開指示を徹底。その結果、同島では熾烈な戦闘となったにもかかわらず、民間人への被害は極力抑えられた。その事に関して、今も感謝の言葉を述べるペリリューの人々は少なくない。
360
抑留者を共産主義者にするため収容所で配布されたのが「日本新聞」。ソ連や中国共産党、日本共産党を賛美し、「天皇制打倒」を主張した。日本側編集責任者の宗像創は帰国後、日本共産党に入党。機関紙「赤旗」の編集に従事した。「日本新聞」のような主張を繰り返す「亡霊」は今も消えていない。
361
パラオ・ペリリュー島には、かつて日本軍が使用した地下壕が今も多く残る。壕内には腐食した水筒や飯盒などが点々と転がる。同島で戦死した約1万人の日本兵の内、およそ2200柱もの御遺骨が未収集。彼らは今日も祖国から迎えが来るのを待っている。彼らの声に耳を澄ましてほしい。
362
大牟田捕虜収容所第十七分所所長を務めた福原勲大尉は戦後、一方的に捕虜虐待の容疑者とされ、C級戦犯として絞首刑の判決を受けた。彼の最期の言葉は「大地を踏ませていただいて、ありがとうございます」。杜撰な裁判によってBC級戦犯とされ、命を奪われた人の数は約千人にも及ぶ。合掌。
363
かつて「C級戦犯」としてフィリピンのモンテンルパ刑務所に収監された経験を持つ宮本正二さん。「11人の現地住民を殺害した」という全く身に覚えのない容疑だった。戦友の一人は「死にたくない」と絶叫し、刑場の露と消えたという。
364
樋口季一郎がユダヤ難民を救出した「オトポール事件」については、新刊『大東亜戦争の事件簿』(扶桑社)でも詳しく触れています。ソ連の北海道分割を阻止した占守島の戦いに関しても解説しています。ご一読いただければ幸いです。 大東亜戦争の事件簿―早坂隆 amazon.co.jp/dp/4594088236/@AmazonJPより
365
イスラエル在住のクララ・シュバルツベルグさんは、戦時中、満洲の大連に滞在。樋口季一郎のビザによって救出された多くのユダヤ難民を目撃した。「ヒグチは偉大な人物です。日本人はヒグチのことをあまり知らないのですか?それは本当ですか?日本人は学校で何を習っているのですか?」
366
拙著『指揮官の決断 満州とアッツの将軍 樋口季一郎』(文春新書)が5刷に。10年以上前に書いた本の重版は嬉しい限り。品薄状態が続いていたAmazonにも入荷されたようなので、未読の方はこれを機に宜しくお願い致します。 『指揮官の決断』早坂隆 amazon.co.jp/dp/4166607588/… @AmazonJPより
367
8月20日は樋口季一郎陸軍中将の誕生日。樋口は多くのユダヤ難民を救出し、占守島の戦いによって北海道をソ連の分割から守った人物です。以前は知る人ぞ知るという存在でしたが、近年では関心を持つ人が増えてきました。樋口がドラマや映画になったら、この国の雰囲気も変わるのではと思っています。
368
実は抑留先はシベリアだけではなかった。終戦後、1万人以上もの日本人が満洲からモンゴルに不法に連行され、過酷な生活環境の中で1500~3000人が絶命。現在、ウランバートル郊外には日本人抑留者慰霊施設が建立されている。こうした埋もれた史実も丁寧に語り継ぎたい。合掌。
369
元抑留者の林英夫さん。「私たちは日々『日本に絶対に帰ろう』と励まし合って過ごしていましたが、それを叶えることができずに亡くなっていった戦友たちが可哀想でなりません。ぜひ多くの皆様に抑留の事実を知っていただき、慰霊の気持ちを持っていただければと心からそう思っています」
370
ソ連の最高指導者であるスターリンは、50万人もの日本人将兵を捕虜とする命令を極秘に発令。結果、57万人以上もの日本人がシベリアなどの地に強制連行され、多くの方々が無念の思いを抱えたまま絶命されました。この明確な国際法違反は、今に到るまで全く裁かれていない。
371
北方領土問題。ロシアは日本に「大戦の結果を受け入れろ」と言うが、終戦時に中立条約を破って侵攻したのはソ連軍。スターリンは北海道占領の野望まで持っていた。日本の第5方面軍の抵抗により北海道占領を断念したスターリンは択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島を次々と占領。国際法違反は明らか。
372
終戦後、樺太から北海道へ引き揚げる人々を乗せた3隻の民間船がソ連の潜水艦による魚雷攻撃に晒され、実に約1700名もの方々が犠牲となった(三船殉難事件)。潜水艦は海面に浮上し、無抵抗の船に機銃掃射まで行った。この潜水艦の艦長は現在、ロシアにおいて「英雄」とされている。
373
占守島の戦いでの池田末男大佐の言葉。「もはや降魔の剣を振るう他はない。諸子は今、赤穂浪士となり恥を忍んでも将来に仇を報ぜんとするか、或いは白虎隊となり玉砕をもって民族の防波堤となり後世の歴史に問わんとするか」。この玉砕覚悟の戦闘によって、ソ連の北海道占領の野望は挫かれた。
374
「占守島の戦い」は終戦後の昭和20年8月17日から始まった戦闘。千島列島の占守島に不法侵攻してきたソ連軍を日本軍が食い止めた戦いです。ソ連軍はそのまま南下して北海道の北半分を占領する計画でした。占守島で戦った方々のおかげで、日本は「分断国家」にならずに済んだのです。
375
終戦後、満洲の日本人は大変な惨苦を味わった。木下梅子さんはこう記す。「朝鮮人や満人が大勢ガラスを割って、大声を上げながら家の中に侵入してきた。そして彼らは有無を言わさず、運送屋のように荷物(家財道具)をどんどん運んで行く。抵抗すれば殺される」。史実の丁寧な継承を。