早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(いいね順)

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古来、日本人は「個」よりも「公」や「和」を大切にしてきた。西欧では「個の自由」がとりわけ重要視されるが、日本人の心の中には「行き過ぎた自由は身勝手」という概念が伝統的に深く根付いている。コロナ禍において我々が改めて立ち返るべきは、日本人のそんな心ではないだろうか。
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知覧の特攻基地近くで食堂を営んでいた鳥濱トメさんは、多くの特攻隊員から「お母さん」「おばちゃん」と親しまれた存在だった。勝又勝雄少尉は「俺の余した30年分の寿命は、おばちゃんにあげるから」と言い残して出撃した。トメさんは戦後、慰霊や鎮魂に努めながら89歳まで生きた。合掌。
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今年は戦後75年の節目ですが、陸軍中将・樋口季一郎の没後50年にあたる年でもあります。樋口は杉原千畝よりも前に多くのユダヤ難民を救出した陸軍軍人。占守島の戦いによって北海道をソ連の侵略から守った人物でもあります。教科書にはこういった人物の功績こそしっかりと記載してほしいと思います。
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大戦終結後、ソ連は北海道の北半分の占領を画策して千島列島への侵攻を開始。日本軍は占守島で迎撃し、大打撃を与えてこれを食い止めた。もしそこで戦わなければ、北海道は占領され、より多くの人命が失われたであろう。占守島の戦いがあったから、日本は分断国家にならずに済んだのである。
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5月27日は「子犬を抱いた特攻兵」として有名な荒木幸雄の命日。荒木の属する第72振武隊は自らを「ほがらか隊」と呼んだが、彼らは昭和20年5月27日、鹿児島県の万世飛行場から出撃。荒木の搭乗機は、沖縄本島中部に広がる金武湾の東方において、敵駆逐艦に突入した。享年若く17。合掌。
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ワイドショーは無益どころか、もはや有害。専門家でもない人たちのあやふやな意見や主張を延々と垂れ流すのはもうやめてほしい。ネットのほうがよほどまともな情報を集めることができる。あとラジオも結構良い番組がある。「新しい生活様式」にワイドショーは要らない。
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「勤労感謝の日」の本来の姿は「新嘗祭」。稲の収穫を祝い、翌年の豊作を祈願する日で、宮中恒例祭典の中でも最も重要なものとして位置付けられています。しかし、戦後、GHQの占領政策により「勤労感謝の日」という名に変えられました。私は「新嘗祭」に戻したほうが良いと思っています。
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占守島の戦いでの池田末男大佐の言葉。「もはや降魔の剣を振るう他はない。諸子は今、赤穂浪士となり恥を忍んでも将来に仇を報ぜんとするか、或いは白虎隊となり玉砕をもって民族の防波堤となり後世の歴史に問わんとするか」。この玉砕覚悟の戦闘によって、ソ連の北海道占領の野望は挫かれた。
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フィリピンで「カミカゼ・ミュージアム」を運営していたダニエル・ディソンさん(故人)。幼少時、多くの日本兵と親しくなり、餅や芋をもらったという。「ヤマカワという名の中尉が私のことを『自分の小さな弟によく似ている』と言って可愛がってくれました。よく手を繋いで一緒に散歩したんですよ」
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特攻隊員の宮川三郎は出撃前日、飛び交うホタルを眺めながら食堂の女主人・鳥濱トメに言った。「俺、死んだらホタルになって帰ってくるよ」。翌日の夜、一匹のホタルが食堂内まで入ってきた。トメの娘が叫んだ。「お母さん、宮川さんが帰ってきたわよ!」。トメや居合わせた戦友らは皆でむせび泣いた。
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「歴史人」6月号では「占守島の戦い」についての記事も監修・執筆しました。日本軍がソ連軍の侵攻を跳ね返し、戦後の日本が分断国家になる道を阻止した重要な戦いです。教科書でしっかり教えるべき史実だと思います。
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元兵士の方々の中にも、改憲派と護憲派がいます。問題は結論ありきの偏った取材が横行していること。ある方はこう話していました。「新聞記者が『平和は大事ですよね』と言うので『はい』と答えたら、記事では私が『平和憲法を守れ』と話したように書かれていて驚きました。私は改憲派なのに」。
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平等や人権、反差別などを殊更に強調する人たちが行う「言葉狩り」や「揚げ足取り」によって、人々の多くが萎縮し、社会がどんどん窮屈になっている。大半の国民は一定の良識に従って暮らしているにもかかわらず、一部の過激な人たちによって世の中が悪い方向に引っ張られていくのは哀しい。
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本日の読売新聞に樋口季一郎・陸軍中将に関する記事が掲載。樋口は多くのユダヤ難民を救出し、占守島の戦いによって北海道をソ連の分割から守った人物ですが、近年、関心を持つ人が増えてきました。樋口がドラマや映画になったら、この国の雰囲気も変わるのではと思っています。ぜひ応援して下さい!
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俺が死んだら何人泣くべ 特攻隊員(第23振武隊)前田敬の遺書。享年23。 合掌。
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日本という国は、政府が自国民に経済制裁している国なのかもしれない。
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6月6日は特攻隊員・宮川三郎の命日。宮川は出撃前日、ホタルを眺めながら食堂の女主人・鳥濱トメに言った。「俺、死んだらホタルになって帰ってくるよ」。翌日の夜、一匹のホタルが食堂内まで入ってきた。トメの娘が叫んだ。「お母さん、宮川さんが帰ってきたわよ!」。トメらは皆でむせび泣いた。
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中学生の長女を初めて靖國神社に連れて行きました。遊就館もじっくりと見学し、色々な話をすることができました。昼食は、特攻隊員たちが愛した富屋食堂の味を再現したという玉子丼。記憶に残る1日になってくれれば嬉しいのですが。
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昭和19年8月に起きた対馬丸事件の生存者で引率教師だった糸数裕子さんが97歳で亡くなりました。沖縄から本土に向かう学童疎開船「対馬丸」は米潜水艦の魚雷によって撃沈。子供など1500人近くが絶命しました。「先生、助けて」の声に苦しんだ糸数さんの戦後。天国で教え子たちと会えたでしょう。合掌。
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昭和20年5月18日、第五十三振武隊は鹿児島県の知覧飛行場から特攻作戦に参加するため出撃。沖縄周辺の海上で敵艦船に突入した。写真は出撃20分前の「最後の食事」を写した一枚。母の手料理を思い出しながらの食事だったかもしれない。
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8月15日を過ぎても、実は戦いは終わらなかった。ソ連は樺太や占守島などへ不法侵攻。満洲ではソ連軍兵士や中国人暴民らが日本人への殺戮や略奪、強姦などを繰り返した。その惨劇は「満洲大虐殺」と言えるほどのものであった。シベリア抑留の悲劇もここから始まっていく。合掌。
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やはり「コロナ鬱」の正体は「ワイドショー鬱」。
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いくらウイルスが弱毒化しても、政治やメディアが強毒化していたら、国民の暮らしは破壊され続ける。
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9条改憲も平和のための主張である。しかし、護憲派は改憲派に「好戦的」「戦争したいのか」などとレッテルを貼り、誹謗中傷を繰り返す。自称「平和主義者」が実はいかに排他的で暴力的かは、SNSの発達により完全に可視化された。もう一度記す。9条改憲も平和のための主張である。
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横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されてから、今日で44年。拉致当時13歳だっためぐみさんは、現在57歳ということになります。今日は私もブルーリボンを付けて外出。ブルーリボンは北朝鮮にいる拉致被害者と家族を結ぶ「青い空」と、日本と北朝鮮を隔てる「日本海の青」を表しています。