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古来、日本人は「個」よりも「公」や「和」を大切にしてきた。西欧では「個の自由」がとりわけ重要視されるが、日本人の心の中には「行き過ぎた自由は身勝手」という概念が伝統的に深く根付いている。コロナ禍において我々が改めて立ち返るべきは、日本人のそんな心ではないだろうか。
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知覧の特攻基地近くで食堂を営んでいた鳥濱トメさんは、多くの特攻隊員から「お母さん」「おばちゃん」と親しまれた存在だった。勝又勝雄少尉は「俺の余した30年分の寿命は、おばちゃんにあげるから」と言い残して出撃した。トメさんは戦後、慰霊や鎮魂に努めながら89歳まで生きた。合掌。
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大戦終結後、ソ連は北海道の北半分の占領を画策して千島列島への侵攻を開始。日本軍は占守島で迎撃し、大打撃を与えてこれを食い止めた。もしそこで戦わなければ、北海道は占領され、より多くの人命が失われたであろう。占守島の戦いがあったから、日本は分断国家にならずに済んだのである。
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ワイドショーは無益どころか、もはや有害。専門家でもない人たちのあやふやな意見や主張を延々と垂れ流すのはもうやめてほしい。ネットのほうがよほどまともな情報を集めることができる。あとラジオも結構良い番組がある。「新しい生活様式」にワイドショーは要らない。
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「勤労感謝の日」の本来の姿は「新嘗祭」。稲の収穫を祝い、翌年の豊作を祈願する日で、宮中恒例祭典の中でも最も重要なものとして位置付けられています。しかし、戦後、GHQの占領政策により「勤労感謝の日」という名に変えられました。私は「新嘗祭」に戻したほうが良いと思っています。
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占守島の戦いでの池田末男大佐の言葉。「もはや降魔の剣を振るう他はない。諸子は今、赤穂浪士となり恥を忍んでも将来に仇を報ぜんとするか、或いは白虎隊となり玉砕をもって民族の防波堤となり後世の歴史に問わんとするか」。この玉砕覚悟の戦闘によって、ソ連の北海道占領の野望は挫かれた。
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元兵士の方々の中にも、改憲派と護憲派がいます。問題は結論ありきの偏った取材が横行していること。ある方はこう話していました。「新聞記者が『平和は大事ですよね』と言うので『はい』と答えたら、記事では私が『平和憲法を守れ』と話したように書かれていて驚きました。私は改憲派なのに」。
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平等や人権、反差別などを殊更に強調する人たちが行う「言葉狩り」や「揚げ足取り」によって、人々の多くが萎縮し、社会がどんどん窮屈になっている。大半の国民は一定の良識に従って暮らしているにもかかわらず、一部の過激な人たちによって世の中が悪い方向に引っ張られていくのは哀しい。
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日本という国は、政府が自国民に経済制裁している国なのかもしれない。
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昭和19年8月に起きた対馬丸事件の生存者で引率教師だった糸数裕子さんが97歳で亡くなりました。沖縄から本土に向かう学童疎開船「対馬丸」は米潜水艦の魚雷によって撃沈。子供など1500人近くが絶命しました。「先生、助けて」の声に苦しんだ糸数さんの戦後。天国で教え子たちと会えたでしょう。合掌。
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8月15日を過ぎても、実は戦いは終わらなかった。ソ連は樺太や占守島などへ不法侵攻。満洲ではソ連軍兵士や中国人暴民らが日本人への殺戮や略奪、強姦などを繰り返した。その惨劇は「満洲大虐殺」と言えるほどのものであった。シベリア抑留の悲劇もここから始まっていく。合掌。
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やはり「コロナ鬱」の正体は「ワイドショー鬱」。
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いくらウイルスが弱毒化しても、政治やメディアが強毒化していたら、国民の暮らしは破壊され続ける。
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9条改憲も平和のための主張である。しかし、護憲派は改憲派に「好戦的」「戦争したいのか」などとレッテルを貼り、誹謗中傷を繰り返す。自称「平和主義者」が実はいかに排他的で暴力的かは、SNSの発達により完全に可視化された。もう一度記す。9条改憲も平和のための主張である。
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