176
特攻隊員・渋谷健一には、幼い子供と身重の妻がいた。彼は遺書にこう書き記した。「父恋しと思わば空を視よ。大空に浮ぶ白雲に乗りて父は常に微笑みて迎う」。昭和20年6月11日、渋谷は特攻死。奇しくも同日、妻・光は男児を出産。周囲の者たちは「生まれ変わり」と驚嘆して号泣した。合掌。
177
私は大東亜戦争で亡くなられた310万以上もの同胞の方々の御霊が少しでも喜ばれるような国を目指すことが大事だと思っています。後に続く者たちを思って逝った御霊が「私たちが望んだ将来の日本はこんな姿ではなかった」と嘆かれるようでは、あまりに申し訳が立ちません。今の日本は大丈夫でしょうか。
178
ルーマニア在住時、友人から「日本の皇室は世界最古の男系継承だろ? その伝統を大切にね」と言われた事がある。外国人のほうが日本の皇室の価値を分かっている場合もある。ちなみにルーマニアの王政は共産党によって廃止され、退位を強いられたミハイ1世は国外退去となった。
179
180
自分が乗っている船が沈みそうな時、船長に不満や文句をぶつけるのではなく、「何か手伝うことはありませんか」と言える人間でありたい。
181
183
東京新聞の女性記者の取材姿勢が問題に。本人は「権力の暴走を止める」と懸命なのだろうが「権力の暴走」以上に恐いのが「マスコミの暴走」。これは昭和史の教訓でもある。マスコミの仕事は反権力に凝り固まることではなく、事実を伝えること。権力の監視は必要だが、そればかりに執着すれば目が曇る。
184
特攻隊員となる少年飛行兵の教官役だった藤井一陸軍中尉は「お前たちだけを死なせない。自分も後から必ず行く」が口癖だった。しかし、妻子のある藤井に特攻命令はなかなか出ない。その事実を知った妻・福子は、夫の願いを叶えるために入水自殺。藤井の特攻はこうして叶った。合掌。
185
186
本日は「建国記念の日」。神武天皇の即位日である旧暦の1月1日(紀元前660年)を新暦に換算した日付です。戦前は「紀元節」と呼ばれていましたが、昭和23年、GHQによって廃止されました。戦後75年以上が経った今でも、GHQの意向に沿った呼称のままで良いのか疑問を感じます。
187
188
これまで50カ国ほど訪ねてきましたが、その中で再認識したのは「日本の魅力」。もちろん、日本にも改善すべき点は多々ありますが、それでも帰するところ「日本はすばらしい」と思っています。そして、そう思えるということは、先人たちの知恵や努力の積み重ねがあってこそなわけです。素直に感謝です。
189
樋口季一郎中将の功績を伝える銅像が、出身地である淡路島に建立されました。軍人の顕彰は一種のタブーとされてきましたが、是々非々で冷静に評価する社会にようやく成りつつあることを感じます。軍人を悪玉にまとめて非難するのではなく、もちろん美化することもなく、史実に寄り添いたいものです。
191
脱炭素社会や脱ハンコより、脱中国経済依存と脱ワイドショー。
192
「戦争の記憶」と同じく、しっかりと語り継ぐべきは「共産主義の歴史」。私が住んでいたルーマニアはもちろん、他の東欧諸国、ソ連、中国、カンボジア等々、多くの国々において、戦争よりも共産主義によって人々の命が奪われてきた。これは義務教育で丁寧に教えるべき案件。過ちを繰り返さないために。
193
「軍靴の響きが聞こえる」といった使い古された表現。戦争への警鐘を鳴らすのはもちろん重要だが、現在の国際情勢に耳を澄ませれば、最も警戒すべき不協和音の源が中国であることは明らか。そのことに言及しない政治家、メディア、評論家、芸能人は信用できない。
194
195
敗戦後、樋口季一郎陸軍中将の官邸も、進駐軍に接収されることになった。退去時、四女の智恵子が庭になっていたリンゴを取ろうとすると、樋口はこう言ったという。「それに手を付けちゃいけない。『日本人はリンゴの実まで取っていった』と言われることは武士道に反する。みっともないことをするな」。
196
197
「占守島の戦い」は終戦後の昭和20年8月17日から始まった戦闘。千島列島の占守島に不法侵攻してきたソ連軍を日本軍が食い止めた戦いです。ソ連軍はそのまま南下して北海道の北半分を占領する計画でした。占守島で戦った方々のおかげで、日本は「分断国家」にならずに済んだのです。
199
占守島の戦いでソ連軍に勝利し、北海道を分断から守った樋口季一郎中将は、元々、ロシアを専門とする情報将校でした。樋口はロシアについて、こう述べています。「彼らは一人ひとりは良いのだが、国家となるとあんなに危険な国はない」。樋口の慧眼に今こそ学びたい。
200
本日は「建国記念の日」。神武天皇の即位日である旧暦の1月1日(紀元前660年)を新暦に換算した日付です。戦前は「紀元節」と呼ばれていましたが、昭和23年、GHQによって廃止されました。戦後75年以上が経った今でも、GHQの意向に沿った呼称のままで良いのか疑問を感じます。