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昭和20年3月13日の深夜から14日の未明にかけて、大阪が米軍による大空襲に見舞われました。ナパーム弾やクラスター焼夷弾が使用され、難波や心斎橋も激しい炎に包まれました。一夜にして約四千人もの命が奪われたと言われます。東京大空襲に隠れてしまいがちですが、しっかりと語り継ぐべき史実です。
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終戦前の昭和20年7月、沖縄の石垣島から台湾に疎開する島民を乗せた2隻の小型船が、米軍機の攻撃を受けて遭難。漂流者たちは尖閣列島の魚釣島に上陸しましたが、餓死者も出る惨劇となりました。犠牲者のご遺骨は、未だ島内に残されています。一刻も早く魚釣島で遺骨収集を行い、慰霊祭をすべきです。
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何でもかんでも差別だ差別だと騒ぐ過激な人たちは昔から存在したが、SNSの発達によってその発言の異様さが可視化された。彼らのような存在は「差別を減らしていきたい」とごく自然に考えている大多数の人たちからも共感を得られない。なぜなら彼らこそ排他的であり攻撃的であり差別的だからである。
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「日本人によるユダヤ難民救出」と言えば杉原千畝が有名ですが、樋口季一郎のことも知ってほしいと思います。樋口は杉原より2年も前にユダヤ難民へのビザ発給に尽力した陸軍軍人。その後、占守島の戦いを指揮し、北海道をソ連による分割から守った人物でもあります。
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昭和20年3月10日の東京大空襲は、民間人を標的とした無差別爆撃で国際法違反。しかし、後の東京裁判では全くの不問に付された。空襲の指揮官だったカーチス・ルメイは後にこう語っている。「もし、われわれが負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸い、私は勝者の方に属していた」
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大東亜戦争について、日本の歴史教育では加害と責任ばかりが強調される。だが戦争とは相互的な「事件」の応酬によって拡大するものであり、一方が絶対的加害者という事など殆どない。戦勝国による一方的な東京裁判史観からの完全脱却こそ、令和日本の重要課題。東京裁判史観を減らすワクチンはないか。
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村上春樹氏の最新作「騎士団長殺し」に南京戦に関する記述有り。内容は中国側の一方的な主張をなぞっただけのもの。実際に南京戦に参加した方々への取材を続けてきた私には、あまりに迂闊で軽率に思える。村上氏は我が自宅の近所に住んでいるらしいので、もし見かけたら小一時間ほど問い詰めたい気分。
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今年は樋口季一郎の没後50年にあたる節目の年です。樋口は杉原千畝よりも前に多くのユダヤ難民を救出した陸軍軍人。占守島の戦いによって北海道をソ連の侵略から守った人物でもあります。教科書にはこういった人物の功績こそ、しっかりと記載してほしいと思います。
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5月というのは、戦争末期に多くの特攻作戦が実施された月。8月が終戦の日に向けて「戦争を考える季節」となっているように、5月も特攻という史実を通じて国防や慰霊、鎮魂などについて考える期間にすべきではと思います。「特攻慰霊週間(月間)」のようなものを設けたら良いのではないでしょうか。
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もはや「ジャーナリスト」という言葉は、侮蔑の意味を込めて使用されているようだ。「ジャーナリストみたいなこと言うなよ」とは「いい加減なこと言うなよ」の意味とのこと。私はこの事態に忸怩たる思いも持つが、自省を込めて現状に鑑みれば、これは結局、自業自得だとしか言いようがない。
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大牟田捕虜収容所第十七分所所長を務めた福原勲大尉は戦後、捕虜虐待の容疑者と一方的に見なされ、C級戦犯として絞首刑の判決を受けた。彼の最期の言葉は「大地を踏ませていただいて、ありがとうございます」。杜撰な裁判によってBC級戦犯とされ、命を奪われた人の数は約千人に及ぶ。合掌。
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今月から中国共産党は内モンゴル自治区内におけるモンゴル語での教育を禁止し、中国語を強制する暴挙に出ています。「祖国とは国語」とも言われますが、これはまさに「文化的侵略」ではないでしょうか。国際社会がこのような蛮行を許してはいけません。より多くの方々に周知されることを望みます。
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オリンピックでのアスリートたちの姿に日々、心を揺さぶられております。但し、実は今夏は太平洋戦争開戦から80年という大きな節目でもあります。その事にもご関心を向けていただけると嬉しく思います。多くの方々の犠牲や思いがあって、今の日本が成り立っている事を私たちは忘れてはいけません。
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こういう心温まるニュースをしっかり広げていきたい。
天皇陛下が計1億円を寄付 子供とボランティア支援―宮内庁:時事ドットコム jiji.com/jc/article?k=2…
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私は大東亜戦争で亡くなられた310万以上もの同胞の方々の御霊が少しでも喜ばれるような国を目指すことが大事だと思っています。後に続く者たちを思って逝った御霊が「私たちが望んだ将来の日本はこんな姿ではなかった」と嘆かれるようでは、あまりに申し訳が立ちません。今の日本は大丈夫でしょうか。
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特攻隊員だった富沢幸光が両親に宛てた遺書。「お正月も来ました。幸光は靖國で二十四歳を迎える事にしました。靖國神社の餅は大きいですからね。(略)正月になったら軍服の前に沢山御馳走をあげて下さい。雑煮餅が一番好きです。ストーブを囲んで幸光の想い出話をするのも間近でしょう」。合掌。
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満洲国・興安街の住民は、ソ連軍の侵攻を受けて街から退避。だが、避難中の昭和20年8月14日、ソ連の戦車部隊に包囲され、多くの人々が虐殺された。戦車は遺体も重傷者も踏み付けながら走った。千数百人いた避難民の内、生きて日本に帰国できたのはわずか百余名であった。これが「葛根廟事件」である。
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玉川徹氏がコロナを指して「煽ってるって言われるくらいでいいんじゃないか」と発言したそうだが、とんでもない話だ。そもそも専門家でもない人物が勝手な発言を繰り返すワイドショーなる番組が存在するのは日本くらいのもの。そんな番組はさっさと畳んで、名作ドラマの再放送でもやっていただきたい。
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芸能人が政権批判するのはもちろん自由だが、それならば中国への抗議の声もしっかりと上げていただきたい。批判精神の例としてチャップリンの「独裁者」がよく挙げられるが、あれは「イギリス出身のチャップリンが、周辺国やユダヤ人への弾圧を強めるナチスドイツを批判した映画」です。お間違いなく。