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歴史研究で「1次史料・2次史料」とよく言われるのだが、厳密に考えていくと本当の1次史料ってのはすっごく数少ない。一見すると1次史料に見えても、中身をよく読むと疑問がわいてくるものがある。こういう史料をあらわすのに、1.2次史料とか1.5次史料という分類が必要なのかもしれない。
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一次史料・二次史料についていくつかつぶやいてきましたが、史料批判の根本は実は変わらないのですよね。史料を書いた人に対して「この人、なんでそのことを知ってるのだろう?この人自身が体験したの?それとも他人から聞いたの?情報源は何?」と問いかける、という姿勢。
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面白い事例が、ナチ研究の古典のトレヴァ=ローパー『ヒトラー最期の日』にある。ヒトラー死の報道の後、「戦傷を負ったヒトラーを治療したが助けることができなかった」という医師とか「ヒトラーは実は生きている。私に調査を任せてくれたら逮捕できる」というジャーナリストとかが続々と登場。→
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「歴代の天皇は神武天皇の男系子孫であることが重要」と主張するいわゆる保守派の人が多いけれども、歴史的には、天皇の権威の源泉は「神武天皇の子孫」であるというところにはなく、「天照大神の子孫」にあると認識されていた。そして、天照大神は女神だと理解されていた。→
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→その事例のひとつ。保元の乱の時の藤原頼長の言葉として「我君(崇徳上皇)は、天照大神四十七世の正胤、太上法皇(鳥羽法皇)第一の皇子也。恐は、文武ともにかけ、芸能一も御座ぬ四宮(後白河天皇)に位をこされて渡らせ給事、神慮の御謬か、人望の遺恨、只此事にあり」(『保元物語』)。
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→考えてみたらこれは当然で、天皇が日本の主であるという権威の根拠は、天照大神というすっごく偉い神様が自分の孫に地上世界の支配権を与えた、天皇はその子孫だ、というところにあるのよね。神武天皇が九州から大和へ「東征」する正当性も、やっぱり天照大神の権威に源泉がある。
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→なお、天照大神は男神であるという説も一部でささやかれてきたことは事実です。ただ、その説はほとんど広がらず、天照大神は女神であったとする認識が普遍的でありました。
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→まあ、天照大神を男とするのはかなり無理があると思うのですよね。『日本書紀』では素戔嗚尊が天照大神に「姉」と呼びかけていますから。
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→私は天照大神が実在の人物だったと言っているわけではないですよ。また、原・日本神話では始祖神が天照大神ではなく男神であったという説があるのも承知してます。それとは別にして、遅くとも飛鳥時代にこういう神話が形成され、天皇はこの神話を自らの権威の源泉と認識し続けていた、という話です。
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→このスレを読んでいただけることはありがたいですが、かといって「お前は男系天皇の輝かしき日本の伝統を否定して女系天皇に変えようとしているのか!けしからん!」と絡んでこないでください。このスレではそんな話はしておりません。その話はまた別のところでどうぞ。
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福井県立大学恐竜学部が新設されるとのこと。県立恐竜博物館の横というから、おそらく大学の教員は博物館学芸員が兼務することになるんだろうな(兵庫県立人と自然の博物館に先例あり)。これは悪くない話だ。
yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/…
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少しだけ給料をあげてやるから、国民はみんな非正規労働者(要するに、アルバイトやパート労働者に近い)になれ、と言っている。安定した生活もできず、家庭も持てず、家を買うこともできなくなる。結局は国が衰亡するばかり。 twitter.com/kazu10233147/s…
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維新・音喜多議員が典型だが、どうして彼らは、「普通の人が普通に働いたら普通の生活ができる社会」を敵視し、「強い者、努力した者が勝てばいい。敗者や怠け者は自己責任」となるんだろう。世の中、そうそう強い者ばかりじゃないですよ。ごく普通の人々が幸せに生活でるきほうがいい。
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私は1992年から平清盛の「福原遷都」は「遷都」ではないと主張し続けてきたのですが、河内祥輔『頼朝の時代』が文庫(文春学藝ライブラリー)になったので改めて読み直してみたら、1990年初版の同書で著者が「福原遷都」ではなく「福原への天皇連行」と呼んでいるのに気付き、氏の過激さに改めて驚いた
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山城国とか近江国とか武蔵国とかの「国」がある。国は古代・中世には地域区分+行政区画でありましたが、近世に行政区画「藩」が確立すると「国」は地域区分だけになった。明治維新の廃藩置県は藩→県であって、国→県ではない。廃止されていないのですから、「国」は現在でも有効。どんどん使おう。
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日野富子(演:三田佳子)を主人公とした大河ドラマ『花の乱』(1994)は人気がなかったが、実はすごい作品。フィクションだらけながら圧倒的な力技で史実をねじ伏せたような怪作。例:日野勝光(演:草刈正雄)が富子に毒を盛られて足利義政に斬りかかり、室町御所炎上の中で壮絶な最期を遂げる。 twitter.com/saemonhiguchi/…
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博士の学位取得についてですが、大学院博士課程(博士後期課程ともいう)に進学して指導を受け、そこで博士論文を提出して博士号を受ける、という他に、日本には「論文博士」という優れた制度があります。大学院に進学しなくても、博士論文をまとめて大学に提出して審査を受け、合格したら学位授与。
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そもそも悠仁親王殿下の伯父である今上陛下も歴史学者であって、卒論は、燈心文庫蔵「兵庫北関入船納帳」を主材料とした「中世瀬戸内海水運の一考察」。 twitter.com/w2023906z/stat…
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一般にはあまり意識されていないことかもしれませんが、「博物館法」という法律は、普通「博物館」と思われている施設の全てに適用されるものではありません。例えば、わが国を代表する博物館のひとつである京都国立博物館は、意外かもしれませんが、博物館法の対象外です。
bijutsutecho.com/magazine/insig…
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知らなかったが、調べてみて驚いた。ウクライナには「ウクライナ正教会」がふたつある。教会もウ国独立系とロシア系に分裂しているというわけか。根が深い。
◎コンスタンティノポリス総主教庁他承認の「独立教会」。信徒1,754万人
◎モスクワ総主教庁承認の「自主管理教会」。信徒1,000万人 twitter.com/masanorinaito/…
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博物館を新設する話が出た時、「財政難の時に贅沢だ、無駄だ」という意見がでます。しかし、たとえ自治体が財政難だとしても、文化遺産の蓄積をストップしてはなりません。いきなり大きなハコモノを造るかどうは別として、資料収集は一旦中断すると再開が難しく、その間に貴重な資料が消えていく。
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先日オープンして話題となった大阪中之島美術館。計画自体はなんと40年前からだが、市の財政難や政権交代などで建物建設はズルズルと先送りされていた。しかしその間も美術品収集は継続。今ならこれだけのコレクションは無理だ、あの時集めておいてよかった、といわれる。継続は力だ。
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市史編纂の時に史料を収集する。本の刊行が終わった後、集めた史料をどうするか。せっかくこれだけ蓄積ができたのだから、これを基礎にして博物館を建てよう、というのは上策。博物館は将来としても史料収集は続けていこうというのが中策。最悪なのは、市史編纂室が解散すると史料が散逸するという場合
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ただ、もうひとつの下策があるのですよね。せっかく博物館を造ったのに、財政難なので資料収集事業はストップ、ということ。そんなアホなと思われるかもしれませんが、実はかなりの博物館で「資料購入予算ゼロ」という事態が起こっています。予算ゼロでは身動きがとれない。博物館が緩慢に死んでいく。
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さらにアホな場合。
市民「私が持っている文化財を博物館に寄贈します」
博物館「収蔵庫が満杯で置く場所がないのでお断りします」
実は、博物館の質は収蔵庫の大きさで決まる。大きな収蔵庫を持つほど、また、収蔵庫の拡張の余地があるのが、良い博物館。なぜなら、資料収集は未来永劫続くものだから