Watanabe(@nabe1975)さんの人気ツイート(いいね順)

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元康本人は今川から厚遇されていたかも知れないが、三河武士と三河の領民は決してそうではなかったことは覚えておきたい。 #どうする家康
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Instagram帝国との国境線を越えて移住を開始するTwitter族のイメージ twitter.com/Sussuandi/stat…
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蘇軾が東坡肉を考案した北宋の時代は、肉食といえば羊肉が主流であり、豚肉はむしろ軽視されていたという。北宋の首都開封の生活を記録した「東京夢華録」には羊肉や家禽の料理は登場するが、豚肉料理についての記述はない。しかし豚を屠畜する描写はあるので、士人の食べるものではなかったのだろう。
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月曜朝の夢想を打ち砕いていくサブちゃん
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ドラマではしばしばワインを嗜む織田信長が描かれるが、宣教師ルイス・フロイスの「日本史」や医師ルイス・デ・アルメイダの書簡によれば信長は酒を嗜まなかったという。信長が酔って明智光秀を折檻したという逸話も残るが、彼ら外国人の記述から考えると信憑性は低い。
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小梅大夫(しょうばいたいふ) 周代の大夫。字は竹生(ちくしょう) 顔を白く塗り立て、歌舞に秀でていたという。また自らの領地に宿舎を建てて多くの人を住まわせ、その礼金で豊かな生活を送っていたとされる。 (民明書房刊『エンタの死神』より)
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Twitterアイコンの折衷案(鳥と犬の融合)
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ルカシェンコ「プリゴジン!僕と一緒に芋掘りしよう!」
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三方ヶ原の合戦において、徳川軍は鶴翼の陣、武田軍は魚鱗の陣という定石から外れた陣形を敷いている。徳川軍は劣勢の兵力を大きく見せるためとされ、武田軍は徳川軍の中央を粉砕することで家康の首を狙っていたとされる。 #どうする家康
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現在大火に包まれている「Fラン大学まとめ」に美術系や音楽系の名門が軒並みランクインしている問題は、リアルで東工大コピペをやらかす人間が実在するのだという妙な感慨を抱いてしまう。
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モスクワの対独戦勝記念日パレードに参加した戦車が、T-34の1両のみだったという。
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「3点が逆三角形状に配置されていると人の顔と認識してしまう」現象をシミュラクラ現象と呼ぶが、車のフロントマスクもヘッドライトとグリルの配置が顔と認識させる。余人はどうあれ、自分は丸目で穏やかな顔をした車が好きだ。
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そう考えると、若手俳優だろうがジャニーズアイドルだろうが全員月代姿だった「超高速!参勤交代」は偉かった。
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御成敗式目は、頼朝以来の先例や慣習、道徳(これらを道理と呼ぶ)を元に制定された初の武家法である。承久の乱以降に武家勢力が西国に浸透すると、地頭となった武家と在地住民の間での係争が増加し、また明文化されていない法慣習が煩雑化することで混乱を来していた。
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早どうするしてきた(画像はイメージです) #どうする家康
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Twitterアカウントを永久凍結された皇帝ハインリヒ4世は、冬のアルプスを越えてイーロン・マスクの滞在するカノッサ城の城門前で赦しを請い、凍結解除の異議申し立てを行った。この事件を後に「カノッサの屈辱」と呼ぶ。
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古代のローマにおける都市衛生について調べている。ローマ文明は浴場施設や下水道の整備など現代人から見て肯定的に捉えられている面が多いものの、一方で都市に大量の人間が流入することで絶えず感染症の脅威に晒されていたと考えられている。 (下水道設備は富裕層の私有地が多かった)
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結城秀康は、天正2年(1574年)2月8日に遠江国敷知郡宇布見村で生まれた。母は万(於古茶)、幼名は於義伊。万は家康の子を身籠った際に正室である築山殿によって浜松城から退去させられていたため、於義伊は家康の子として認知されず浜名湖の水運を取り仕切る中村家で養育された。
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「優生思想」がトレンドに入っていて「ナチスか」と言われているが、WW2以前ではドイツよりもアメリカの方が優生学に熱心であり、1970年代まで断種手術が行われていた。むしろアメリカの優生学的施策がドイツに影響を与えたという。
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しかし、コロナ禍を発端とした各種陰謀論がここまで拡大してしまうと、我々もただ笑ったりネタとして消化していて良いのだろうかと考えてしまう。拡大する陰謀論は分断を煽り、のめり込んだ人々は集団の中で先鋭化し、さらに過激化して社会不安を招く。インフルエンサーと信奉者は、カルトでしかない。
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軽くあしらわれる三善康信だが、実のところは幕府創世記の混乱も生き抜き承久の乱でも主戦論を支持する。気骨と体力のある人物であった。 #鎌倉殿の13人
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トレンドに「副葬制限」が入っているので、脳内ではに丸がざわつき始めている。
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Twitterは機能制限され、代替となるSNSも軒並み処理落ち状態なので、おもむろに矢文を飛ばし始める界隈。
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「よく『地獄の釜の蓋を開ける』を『より悪い状況になる』という意味で解釈する人がいるけれど、本当は『正月やお盆は地獄の鬼も釜の蓋を開けて呵責を一休みする』という意味なんだ。わかった?」 「グツグツ」
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「やればできる!」が飛び出した「鎌倉殿の13人」の仁田忠常だが、史書では山神の化身である大猪を退治し、また曽我十郎を討ち取るなど「やればできる」どころか「もともとできる」武士なのであった。