Watanabe(@nabe1975)さんの人気ツイート(いいね順)

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決闘裁判はキリスト教以前のゲルマン法に基づき、キリスト教の布教に伴い神判として認識されるようになったものである。12世紀に最盛期を迎えたが、1215年のラテラン公会議において禁止され、またフランスでは1258年のルイ9世による勅令でも禁止された。
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実際には、源三郎は今川氏真の人質として駿河に赴いており、武田の駿河侵攻の際に甲斐へ連行されて武田の人質となっている。 #どうする家康
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さらに縄文理想論を深掘りしていくと「世界文明は日本の縄文文化が原点である」や「縄文人は渡来した弥生人に駆逐された」「カタカムナと呼ばれる超古代文明が存在した」と、一気にオカルトの要素が強くなる。過去の安易な理想化は、容易に民族主義や陰謀論に付け込まれやすい。
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和田さんがすっかり「悪い遊びを教えてくれる気のいいおじさん」になってしまい、和田合戦がつらい。 #鎌倉殿の13人
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逃げ上手の神君の片鱗がここに。 #どうする家康
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「アメリカに騎士はいない」という声も分かるが、彼の国にも騎士はいるのだ。 (アーマードバトルのアメリカ代表)
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諸聖人の日
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穴兎はブリテン島に12世紀頃導入されたといわれ、1176年にシリー諸島の役人が本土の修道院に十分の一税を納める際に穴兎の物納で代えている。穴兎の肉は中世では珍味と考えられており、また毛皮は珍重された。
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「1人が木の高さを測ればいい。残りの99人は、木の高ささえ知っていればいい」という主張は「選ばれた人間だけが教育を受ければ良い」という意味なのだろうか。「教育を受ける権利」の否定だろうか。
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ジャン・デ・レ(Jean de Rais) ブルターニュの騎士。ボヘミアで活躍したため、ヤン・デ・レの名で知られる。主君に対し異常なまでの忠誠心を示し、時には主君の寝台に同衾を試み悪魔憑きと恐れられた。彼の生き様は、現代のヤンデレに通じるものがある。 (民明書房刊『暴走!宮廷恋愛指南』より)
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ほのぼのファミリー大河にしたい元康と瀬名をバリバリ裏切ってくる鬼脚本 #どうする家康
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アウェンティヌス・ヒロシュス(Aventinus Hirocius)
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英語版Wikipedia「暴れん坊将軍」をGoogle翻訳することで得られる栄養分。
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反マスクを訴える人々が「花粉症はデマ」と言い出しているので、スギ花粉団子を食らわせてやりたいと思った(過激派)
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←2月2日のTL 2月3日のTL→
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着物の襟は交差させ打ち合わせるが,自分から見て左の衽を右の上に重ねる着方を右衽(右前)、その逆を左衽(左前)という。死者に着せる死装束を左衽にするのは「サカゴト」であり、現世と常世では全ての物事が逆になるという思想から行われている。
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「粛清したのは全部で13人」 「ちょっと待って何で頼家が」 #鎌倉殿の13人
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「2億で片腕を切り落とせるか」という面接官。無理だと答えると、「君の片腕は今2億分の働きをしてるのか?笑」。黙っていると「ごめん。そのままだと(面接)落とすけど、どうする?」という衝撃的なやり取りを知った。劉邦の嫁として言いますが、即刻面接官の両手両足を切り落とし、目玉をくりぬき、便
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氷点下の朝
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青海子微(せかい・しび) 古代中国の学者、官僚。科挙の試験官を幾度も務めたが、「科挙」を「科拳」と誤記した結果、静かな殿試会場が一転し進士達が拳で殴り合う武闘会と化したという。現代日本において世界史Bの試験で誤記があったのも、偶然とは思われない。 (民明書房刊『必殺!合格拳』より)
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のえ(伊賀の方)毒殺説を採りつつ、背後に三浦義村の存在を匂わせる鬼脚本。 #鎌倉殿の13人
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松平源三郎は甲斐から三河に脱出したが、雪山を踏破したため両足の指を凍傷で失った。また後に35歳の若さで病没したのは、この脱出行の心身の負担が相当なものであったことを物語る。 #どうする家康
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英国王の戴冠式における聖職者の序列としては、カンタベリー大主教が筆頭となり、次いでヨーク大主教、ロンドン主教、ダラム主教、ウィンチェスター主教の順となる。