戦史の探求(@noitarepootra)さんの人気ツイート(新しい順)

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メモ] ロシア軍が市街戦及びトンネル戦で使用した球体型リアルタイム偵察カメラ «колобок» これを進む先に投げ込んで360度の映像を別モニターに映し出し確認してから進む。重量640g通信距離50m可。 2016年国際軍事技術展示会で好評⇒後にシリアのパルミュラ及びアレッポでの実戦に実験投入。現状不明
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シリアアラブ軍の戦車乗りの青年、凄い振動の中タバコ片手に操縦してて何というか昔のイメージそのまま。 タバコ吸いながら活動してる戦車内の映像はいくつもあるんですけど、このレバー操作のせいなのかやたら印象に残ってる。 2018年ダマスカス郊外での戦闘報告の一部。
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1289年カンパルディーノの戦い この戦いは中世欧州の戦術発展史の中で再注目されつつあります。 なぜなら荷馬車防壁、下馬騎士、大盾および槍兵による歩兵戦列が用いられ、全体として完璧に近い誘引からの包囲戦術を成功させた騎士たちの戦例であるためです。
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シャカから半世紀以上後、英国との戦争でズールー軍は頻繁に包囲戦術を狙い、驚いたことに10以上の会戦で包囲までは成功させている。(包囲しても敗北した例多数。) 対面してからではなく接敵段階での包囲マニューバを重視し、楽だが見つけられやすい道は行かず、難所を踏破していく傾向が強い。
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1800年代に急激な武力拡大をしたシャカ・ズールーの軍制改革は高名で、現在ズールーの使った包囲戦術は『牛の角』戦術 bull hornと呼称されている。 ズールー王国軍の特筆すべき点は、そのノウハウと訓練を浸透させ、包囲戦術を特定の将の技量に頼らない汎用化して使えるものとしたことにある。
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ワルシャワ蜂起をソ連が意図的に無視したかの政治的な話は存じませんが、軍事的状況判断でしたら一次史料現存してますね ①バグラチオン作戦での長距離突進直後の損耗 ②ワルシャワ前面は戦術的にも作戦的にも突出部で危険 ③ヴィスワ川東岸がまだ抑えきっていない ④南で渡河攻撃は実施したが失敗した
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アメリカ南北戦争中に少し使用されたフロリダのジェファーソン砦 …行きたい。
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16世紀ポーランド軍騎兵ならこの2020年の小論面白かったです vestnik.spbu.ru/html20/s02/s02… 着眼点はフサリアでは無く且つ銃火器でもなく、弓騎兵の増大。 15末に複数種の騎兵(特にコサック軽騎兵)が、技術的要因よりむしろ国際情勢によって大規模になり、「軍」の洗練が起きた事を史料から見出しています
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73年頃、難所にあるマサダ城塞を攻略するためローマ軍は巨大な傾斜路を建設した。昔この攻城用土木工事の規模を誤解していました。 旧い記述では平野部や渓谷を埋め高台まで到達する土盛り工事だとされていた。だがD.Gillは土質調査に基づき、この山脚の大半は人工ではなく自然だったことを発見した。
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死傷率30%で部隊が戦闘効力を喪失する、という言説について米国の検証論文の記事作成しました warhistory-quest.blog.jp/21-Jan-19 3割で全滅扱いと日本で言われる話は外国でも流布しており、統計データに基づくのか実戦運用に適しているかがテーマです。結果よりも調査中に出たWW2や戦車のデータの方が面白いかも
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2018年ヤルムークの戦い 『ハーリド・イブン・アル=ワリード軍』を自称するIS系武装組織はシリア南西部で長らく活動していたが、アサド政権軍の夏季に両翼攻撃を受け国境沿いのヤルムーク河畔に追い詰められ壊滅した。 ここは約1400年前、東ローマ軍がハーリド将軍により殲滅された場所である
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カエサル著『内乱記』なんですが、wikibooksにラテン語の読めるどなたかが全文訳を作ってくれており、自由に閲覧できます。 一文ずつラテン語並記されており元の単語の解説と関連画像、自作戦況図まであって凄い労作です。 國原版も訳注がとても役立つので両方読み比べてます ja.wikibooks.org/wiki/%E5%86%85…
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ローマ内戦におけるポンペイウスの対カエサル軍事戦略について拙稿作成しました。 warhistory-quest.blog.jp/20-Dec-07 地中海全周域のリソースとシーパワーを計算に入れたポンペイウスの戦略-作戦は非常に素晴らしいものでした。元老院側の視点で、彼とカエサルが如何に驚異的でどう戦ったかを記述しました。
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ロシア軍(及び旧ソ連圏)の自動車化歩兵小隊の5つの基本攻撃隊形。2017年教本から抜粋。 上段左図から1線形横隊、片翼集中2列型、片翼後部配置型。左下図は中央が下がるV型と、中央が突出する∧型の2種を1つの絵で表している。 右下図2つは分隊。гр.упрは隊長等がいる管理グループのこと。
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著者の中尉は提言として、 ロジスティクスの補助手段を改善しようとも歴史的には(結局楽になった分をこれまでと別の何かを背負わせてたので)負荷は変わらないので、 問題原因は技術じゃなくて指揮官/上官の『マインドセット』と意志決定にあるんじゃないか?と訴えてます。 researchcentre.army.gov.au/sites/default/…
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1歩兵が身に着け運ぶ重量の歴史的変遷 オーストラリア陸軍機関紙2010年第7号掲載のload調査。 古代~現代まで装備を揃えれた軍は幅はあるが30㎏前後かそれ以上と重く 結論として『技術やロジスティクスのノウハウが向上、果ては革新しようとも、 1兵士が運ぶ重量は減らされはしなかった』…辛い話だ
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左:Plerschの描いたホトキェヴィチ 右:Kaplińskiの描いたホトキェヴィチ …顔はほぼ同じなのに怖さが違いすぎる。 ホトキェヴィチは17世紀前半のポーランドの軍司令官。卓越した指揮でスウェーデンやロシア、オスマン朝と戦った将軍です。戦場ではたぶん右の顔。
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戦闘中に略奪に走ってしまう規律問題は難しい課題ですね…当面の食料を自活する必要があったり報酬が充分でない場合、雇われ兵にとっては死活問題ですし。 1105年ラムラの戦いでは左翼の一部が目の前の敵を倒したら略奪へ去ってしまい敵中央への包囲攻撃に加わりませんでした warhistory-quest.blog.jp/18-Apr-15
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前線に出るにあたり将校が演説する話はよく聞くけど、なぜ対戦車ライフルをそう並べたんですかこの方…
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1920年頃、西部方面軍司令官の時のトゥハチェフスキーの写真 凄まじいほど若い。26~27歳でしょうか。こんな幼さすら残る面影の青年が、近代軍の方面軍司令官として膨大な兵力を操りポーランド攻勢を実施している最中とは…
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1942年ウラヌス作戦におけるスターリングラード南東からの攻勢計画。 これ多分イェレメンコ方面軍司令官やヴァシレフスキー参謀総長が実際に使ったモノだと思うと凄い…。中央文書館に保管されてる史料の一部をロシア国防省サイトが電子化し紹介してくれています。 archive.mil.ru/archival_servi…
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対包囲戦術としての鈎型陣形について拙稿作成しました。 包囲攻撃を受けたとしてもそのインパクトを緩和し、耐久することができる方策です。概念的にはシンプルですが、これを組み合わせた逆襲戦術は非常に高度であるため、その前の基本として理解しておくものだと思います。 warhistory-quest.blog.jp/20-Sep-05
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イランイラク戦争で人海戦術の戦例とされるタリーゴル=コッズ作戦について RTは90年代に広まった話に似ていますが信憑性に乏しく現在はあまり使われないかと思います 地雷のある戦闘区域に子供数百人を投入し突破口を形成し後続の革命防衛隊が拡張した話は米陸軍戦略大学の1991年の論文にありますが twitter.com/_yellow_trash/…
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17世紀後半のコサックによる偽装退却からの包囲戦術をシステマチックに表現した図。 先頭部隊はラワと呼ばれる散開的な戦闘方式で接触する。それから後方の各部隊配置の中央に向かい後退、敵を誘引し中央後列の部隊とすれ違うように離脱。後列部隊は敵を包むように移動し全方位から攻撃を実施します
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かなり驚いた。ニコライ1世の命で1841年から発行された『ロシア軍の服装及び武器史:最高司令部編纂』(862~1835年)の絵を表題付きで見やすくしてくれているサイトがありました。 多くのロシア戦史絵図が基にしている帝国公式資料です。特に1700~1835年は非常に細かいです memorandum.ru/viskowatov/img…