高知東生(@noborutakachi)さんの人気ツイート(古い順)

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こういうことを言うと「お前もう芸能界に戻れないぞ。黙ってろ」と忠告してくれる人もいた。有難いけど、俺はもう自分に嘘をつきたくないし、俺のこの経験を生かしていかないと、傷つけた人達に申し訳ない気がしている。必要とされるところで生きていく。 初めて全部正直に言えてスッキリした。感謝。
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親が刑務所にいる人、親が世間で後ろ指差される職業の人、親が愛人の人・・・その子供達は親の環境にあわせて生き抜くしかない。世間に秘密にしなくちゃいけないことも沢山あって辛いよな。自分は親に愛されてたのか?って苦しむよな。そんな人に少しでも力になれたら嬉しいと思ってる。
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家族や身近な人の自死に出会うと、そのことを昇華するには時間がかかる。当時の俺は「困ったことがあったら何でも言ってくれ」と友人知人から言われるのが辛くて仕方がなかった。「だったらお前お袋返してくれるのか?」そう言いたかった。「おう!ありがとうな」と平気な顔で答え自分の気持ちを隠した
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俺が17歳の時に母親は自殺した。その日、寮生活をしていた俺に突然会いに来て「進路を今決めろ」と言い、別れ際に「ねぇ、私綺麗かな?」と聞いてきた。「実の息子に何言ってんや!気色悪い。もう門限だから行くぞ」と言って車から降りると、母親は泣きながら笑っていた。それが最後の会話になった。
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その日から俺は「なんであの時『綺麗やぞ、お袋』と言ってやらなかったのか?」「言ってたら死ななかったのか?」と苦しむことになった。喪失感、怒りや悲しみ、様々な感情をどう吐き出していいかわからず、俺はどんどん荒れていき喧嘩ばかりするようになった。今も最後の一言への後悔は消えていない
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自殺を受け入れることは本当に辛い。「こうすればよかった」と後悔が残り「なんで相談してくれなかったんだ!」と悔しさも湧く。受け入れていくプロセスも人それぞれだと思う。嘆きや悲しむ人に自分の良かれと思う励ましを押し付けないで欲しいなと俺は思う。悲しみは簡単に癒えない。俺もやっと少し。
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今思えばあの時、一人で充分に泣いたり、嘆いたり出来る時間があったら良かったと思う。寮生活で、親戚に預けられていた俺には居場所がなくそれができなかった。 最近、有名人の自殺が続き悲しくて仕方がない。ショックを受けている仲間と話しているうちに自分の過去の想いも噴き出してきた。
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母親の自殺についてツイートさせて貰ったら、身近な人の自殺を経験している人がコメントを寄せてくれ、沢山いることを知った。俺は今まで俺以外にそんな経験をしている人を知らなかった。なぜだろう?と良く考えたら、俺、芸能界にいた時は母親を「交通事故で亡くした」と嘘をついていたと思い出した。
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でも人は辛い経験を共感のない人には相談しにくく、同じ経験をした人とは分ちあうことができるんだと思う。俺も嘘をやめて初めて家族の自殺体験を分かってくれる人達と出会えた。これまで俺は人が誰にも相談できないような経験を沢山してきた。やらかしてもきた。ここに俺の役割があると感じている。
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なぜ嘘をついたのか?自分でも複雑な感情すぎてわからないが、一つは自分が母親に見捨てられたようで惨めだったんだと思う。弱さを見せてはいけないと思ってもいた。よく辛い時、逆境の時、死にたいと思う時、「誰かに相談すればよかったのに」と言われる。「相談しよう」と広報もされている。
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俺が過去の投稿をしたら後輩に「あいつ大丈夫か?」と友人たちからいくつか電話がかかってきたらしい。俺もかつてはそうだった。人っていろんな一面を持っている。意外な面を見せた時にさらりと受け入れたい。心配かけると思うと何も言えなくなる。心の棘は小さいうちに抜いておくことが大事だと思う。
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人生で特殊な環境にいるとその特殊さを恥だと思って隠すようになる。社会の価値観で自分を計った。その上俺は、逮捕され多くの人を傷つけた。自分の存在自体を恥だと思うようになった。同じ経験から生き直している人達と出会い、隠していた恥を表に出してみた。自分にも価値があると思えるようになった
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激しいバッシングにあった時の人の変化。俺の場合は、全員に嫌われたと信じ、他人が怖くなり、部屋にひきこもった。勿論身近に応援してくれる人もいたが、そういう声は耳に入らなくなる。そして「死にたい」から「死んだ方がよいのではないか?」「そうすべきではないか?」という考えにとらわれる。
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バッシングの後遺症。新しいことにチャレンジするハードルがあがった。今の状況と過去のバッシングの経験が入り混じり、失敗が許されない気持ちになる。失敗したらまた昔のあの頃に戻るんじゃないか?期待通りの結果が出せないと味方も失うのでは?と考える。この感情と付き合うことが疲れる。今の課題
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人が生き抜いていくためには絶対に「希望」が必要だと思う。「絶望」の中では人は生きる気力を失ってしまう。他人から見たら絶望的な状況でも、当事者達は共感や、相互扶助で希望を見いだし充分幸せを感じていたりする。色んな立場の当事者の声が届きやすくなるといいよな。「~だろう論」は意味がない
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人に助けを求められたら迷惑なんて思わない。むしろ役に立てることは喜びにつながる。それなのに自分のことになると「迷惑かけちゃいけない」「自分でやらなきゃ」と抱え込んでしまう。間違ったプライドと自信のなさが自分にブロックをかけるんだよな。自分の価値を認められるようになるのも努力がいる
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「死にたい」と言う人には希望を見つけて欲しい。本当の共感ってポジティブなもので、どん底経験を理解し、そこから抜け出そうと分かち合うものじゃないかな?自己憐憫とは違うと思う。自己憐憫に陥ってしまった人の「死にたい」を鵜呑みにせず、前を向ける希望の共感を与えられるようになりたい。
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「夜の街」みたいな分断を招くような呼び名はやめた方が良くないかな。物事の片側だけみて作られた言葉が広まると、その中に生きる人たちのスティグマが強化され、コロナが終息しても残る可能性大。少し前まで「ナイトタイムエコノミー」なんて言われてたのに風向きがあっという間に変わるのが恐いよな
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清原和博さんの仰天ニュース、自分に重ねあわせ身につまされる思いで見た。清原さんがあれだけ注目されながら先頭を走って依存症問題の啓発に取り組んでくれている姿に改めて感謝の気持ちで一杯になった。スーパースターでありながら、謙虚で真摯な清原さん。回復者としてもやっぱりスーパースターだ‼️
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以前なら薬物で逮捕された芸能人らが集まって自助グループを開くなんて絶対に理解されなかったと思う。むしろ集まることで悪く勘繰られたんじゃないかな。啓発と援護射撃に力を注いでくれた依存症の支援者に感謝。今度はファーストペンギンとなった俺たちが、自助グループの重要性を啓発し役立ちたい。
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芸能人の自助グループができて一番救われたのは、バッシングを受け、人への恐怖が生まれ、ひきこもりになり、その上自業自得なので死ぬしかないと追いつめられていった苦しさを初めて批判を心配せずに話せたこと。そして共感されたこと。あの絶望状態のままなら自暴自棄で再犯か死ぬしかなかった。感謝
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自分の障害を書かされ自殺した男性の事件心が痛む。全て知られる俺ですら「薬物依存症です。回復中ですが完治はしない慢性疾患です。と、書面に書いて提出して。皆で閲覧する」と言われたら傷つくし、存在自体を否定された気持ちになる。見えない病気や障害を抱えた人への理解は尚更のこと進んで欲しい
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人って皆、他人を思いやれる人だと思ってる。でも立ち位置で見える景色が全く違う。俺は昔「頑張れ」と気合いを入れることを良しとしていた。でも今は励ましより、共感やそばにいることを大事にしたい。人は皆生き抜くだけで充分頑張ってる。根性の押し付けより孤独の防御が今の俺から見える思いやり。
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芸能人の大麻所持のニュース。芸能界にも予防教育は必要だなと思った。どのように人が近づき、どのようにハマっていくか。何よりも逮捕された後、どれだけ多くのものを失うか。それは想像を超えてくるので、俺も経験を伝えていきたい。と同時に、正直に助けを求めれば生き直せることも伝えていきたい。
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自分が相手を褒めた時に、はぐらかされたり、話をそらされたり、謙遜されたりするとちょっとがっかりする。「嬉しい!ありがとう」と言ってくれたらすごく嬉しい。なのに俺自身が褒められると照れくさくて、おちゃらけてはぐらかしてしまう。褒めてもらったらそのままを受け取れるようになりたい。