子どもの精神科看護師@こど看(@kodokanchildpsy)さんの人気ツイート(リツイート順)

子どもを守っているようで、自分を守っている大人をたまに見ます。
子どもに怒りを感じた時、自分の感情に集中すると、そこには『裏切られ感』があったりする。 更にこの『裏切られ感』に集中すると、『子どもへの過度な期待』を持っていた自分に気づいたりする。 なので、子どもに怒りを感じた時は「怒りの種を持ち、撒いていたのは自分なのでは?」と自問してます。
笑っている子どもを見た時に、「笑ってるから大丈夫だな」と判断をせず、「笑ってるけど大丈夫かな」と関心を向けるのが子どもの支援者だと思います。
甘えたいけど甘えたくない。 認めてほしいけど認めてほしくない。 死にたいけど生きたい。 こういった子どもの気持ちを目の当たりにした時、「結局どっちなの?」と言いたくなりますが、その子自身も「結局どっちなの?」と頭を抱えていたりするので、「どっちもなんだな」と理解してあげてください。
大人の不機嫌は子どもを良い子にさせます。 大人の不機嫌を見ると、「大人を怒らせないようにしよう」と子どもは自分の事を二の次にして大人の為に頑張るので、周りからは良い子に見えるのです。 なので「良い子にしてるな」と思った時、自分は不機嫌を子どもに向けていないかな?と自問しています。
【定期】 支援者として、私がしない8つのこと
今日の一言
児童精神科に勤めて早10年。 子ども達の話を聞きまくってきた私が辿り着いた【子どもの話を聞く時のポイント】をシェアします。 子どもの話を聞く時のポイントは 『子どもの話を聞く事』です。 いいですか皆さん? 子どもの話を聞く時のポイントは 『子どもの話を聞く事』です。 これはガチです。
普段「疲れた」と言わない子が、突然「疲れた」と言った時。全ての行動を完全にストップして、その子の話を聞かせてもらいましょう。 その際、「疲れた」と言えたその子の勇気を讃え、今までの苦労をねぎらいましょう。 その「疲れた」は、深く思い悩んだ末に、ようやく言えた一言かもしれないので。
子どもの「死にたい」は多義語です。 ・死にたくない ・話がしたい ・認めてほしい ・助けて ・1人にしないで ・甘えたい ・ムカつく ・寂しい ・自分が嫌だ 子どもからの「死にたい」を聞いた時、「死にたい」気持ちを認めて受け止め、どうしてそう感じているのかに心を寄せて話を聞いています。
子どもに使う言葉は、子どもが使う言葉になり得ます。更に言えば、その子がその子自身に向けて使う言葉にもなり得るのです。 自分を労い、励まし、休ませる為には、自分を認める言葉を、自分にかける必要があります。だからこそ、私は子ども達に言うのです。「本当によくやってるよ、君は最高だ」と。
厳しいことを言います。 「愛情不足」と言う支援者は、理解不足なんじゃないかなと思います。
「あの子は空気が読めない」ではなく、「あの子は色々と空気を読もうと頑張っているのだけど、結果として空気が読めなかった事になってる」ですからね。 お間違えなきよう、お願いします。
「大人には話さない」理由 ・大人はすぐ決めつける ・大人は正論ばっかり言う ・大人はルールだからって言う ・大人は大人の事ばっかり考えてる この子どもの声に、「でも」と反論したくなりますが、そんな時にこそ「子どもの話を最後まで聞けているか」と自問し、子どもの話を最後まで聞くのです。
動画であればこちら。ネット・ゲーム依存への理解と対応について学べます。支援者であれば視聴を推奨します。 吉川先生の講義がYouTubeで見れるとは…、時代に感謝! 発達障害のネット依存/ゲーム依存 -理解と対応- 自治医科大学附属病院こころのケアセンター第3回研修会↓ youtu.be/OcX2AepXLj0
今日の一言
子どもが新たなチャレンジをする時にしてほしいのは、『叱咤激励』ではなく、子どもが「転んでも大丈夫だ」と思える『支えの保証』です。
新成人と呼ばれるあなたへ ・逃げてもいい ・強くなくてもいい ・自分をもっと休ませてもいい ・好きな時間を好きに過ごしてもいい ・嫌な人と付き合わなくてもいい ・自分を好きになれなくてもいい 新成人だからって、無理に変わろうとしなくてもいいよ。おっさんは今もこんな感じで生きているよ。
子どもに使う言葉は、子どもが使う言葉になり得ます。更に言えば、その子がその子自身に向けて使う言葉にもなり得るのです。 自分を労い、励まし、休ませる為には、自分を認める言葉を、自分にかける必要があります。だからこそ、私は子ども達に言うのです。「本当によくやってるよ、君は最高だ」と。
児童精神科の看護は地味です 「暇」と言い合いながらババ抜きをし、「だるい」と言い合いながら洗濯物をたたみ、「めんどくさい」と言い合いながら日用品を買いに行く。 「よくわからないけど大人が自分のために何かを一緒にしてくれた」という実感の積み重ねが、子どもの将来を支えると思うんです。
「この人は味方っぽい」と判断したり確認するのは子どもその人なので、「私はあなたの味方だよ」というよりかは「私はあなたの敵ではないよ」という姿勢が大切なのかなと思います。一気に書いたので文章が雑ですいません…
過去は変えられません。だからこそ、子ども達の過去となる今を大切にしたいと思っています。 子ども達の過去に、「大切にされた」「尊重された」「認めてもらえた」という事実をたくさん残し、いずれ子どもが大人になった時、「そういや大切にされてた」と子ども時代を思い出してもらえたら本望です。
「しっかり者」と言われる子どもは、「しっかりしなきゃ」と思い詰めているかもしれません。
私の経験上ほぼ間違いなく言えるのは、「自分からSOSを出せる子はほとんどいない」という事です。
子どもに怒りを感じた時、自分の感情に集中すると、そこには『裏切られ感』があったりする。 更にこの『裏切られ感』に集中すると、『子どもへの過度な期待』を持っていた自分に気づいたりする。 なので、子どもに怒りを感じた時は「怒りの種を持ち、撒いていたのは自分なのでは?」と自問している。