大人は「話さないとわからないよ?」と言う。 子どもは「話せないの。わからないの?」と思う。 このすれ違いに気づいていますか?
「苦しまないと成長できない」 「痛い目に遭わないと成長できない」 「傷つく事で成長できる」 こんな感じで子どもの成長を語る大人を見た時、私の頭の中のノブさんが、「苦痛に耐えたり、傷ついたりして成長するのは筋肉だけでええんじゃ…、心は壊れても元通りにならんど?」とつっこむのです。
子どもがこれから進む道を舗装するのではなく、子どもがこれから進む道に休憩所と逃げ道をめっちゃ設置しまくるイメージで看護を展開しています。
暴言を何度も吐く子を見た時は、「暴言を何度も受けてきた子なのかもしれない」と考え、暴言という行為ではなく、暴言を吐く事によってその子はどうなりたかったのかに心を寄せています。 暴言はいただけない行為ではありますが、その子にとっては唯一にして最大の防御方法なのかもしれないのです。
子どもの「死にたい」は多義語です。 ・死にたくない ・話がしたい ・認めてほしい ・助けて ・1人にしないで ・甘えたい ・ムカつく ・寂しい ・自分が嫌だ 子どもからの「死にたい」を聞いた時、「死にたい」気持ちを認めて受け止め、どうしてそう感じているのかに心を寄せて話を聞いています。
子どもがルールを守らない時は、「その子が守れないルールを作っていないか」と自問しています。 「その子が守れないルールを一方的に作る」という事は、「その子をルールが守れない子にする」という事です。 守れないルールを一方的に作るくらいなら、そもそもルールなんか作らない方が良いんです。
私の経験上ほぼ間違いなく言えるのは、「子どもの忘れ物を責めても、子どもの忘れ物は減らない」という事です。
子どもが自傷した傷を見せに来た時、「もうしないと約束しなさい」と言いたくなりますが、この様な対応は子どもを『誰にも頼らない』という更なる自傷に向かわせてしまいます。 なので私は、「よく来てくれたね。傷を見せてくれてありがとう。」と、子どもの勇気を讃える所から対話を始めています。
甘えたいけど甘えたくない。 認めてほしいけど認めてほしくない。 死にたいけど生きたい。 こういった子どもの気持ちを目の当たりにした時、「結局どっちなの?」と言いたくなりますが、その子自身も「結局どっちなの?」と頭を抱えていたりするので、「どっちもなんだな」と理解してあげてください。
『子どもが朝スッキリ起きてニコニコ登校し、学校では友達と仲良く遊んで勉強し、帰ったら家のお手伝いをし、スマホをやり過ぎず家族との時間を大切にし、翌日の準備をして夜9時には寝るようになる』方法が知りたいですって? _人人人人人人人人人人_ > そんなものはない <  ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
普段「疲れた」と言わない子が、突然「疲れた」と言った時。全ての行動を完全にストップして、その子の話を聞かせてもらいましょう。 その際、「疲れた」と言えたその子の勇気を讃え、今までの苦労をねぎらいましょう。 その「疲れた」は、深く思い悩んだ末に、ようやく言えた一言かもしれないので。
子どもに笑ってほしい時は 「自分は笑えているか」と自問し、 子どもに安心してもらいたい時は 「自分は安心できているか」と自問し、 子どもに無理をさせたくない時は 「自分は無理をしていないか」と自問する。 子どもの幸せを願う時にこそ、自分の今を確認する事が大切だと思うんです。
子どもは知っていて、自分は知らない事があったら即メモりましょう。そして、メモに書いてある事を調べ、その結果を子どもに伝えてあげて下さい。 『自分が知っている事を大人が知っている喜び』よりも、『自分が知っている事を知ろうとしてくれる大人がいる喜び』の方が、はるかに大きいのですから。
【定期】 支援者として、私がしない8つのこと
人は思い出で生きていたりもするので、「子どものころ大切にされた」という思い出は、その人の人生を支える大切な要素なのかなと思うのです。 だからこそ、私は子どもの意向を軽視せず、子どもの話を前のめりに聞き、話の最後には「話を聞かせてくれてありがとう」と子どもの目を見て言うのです。
大人からの無理ゲーな言葉 ・言いたい事があるなら言いなさい ・怒らないから言いなさい ・言わないとわからないよ? ・言わないって事でいいのね? 下に行くにつれて無理ゲー度は上がります。これらを聞いた子どもは、「言わないんじゃなくて、言えないんだよ」と嘆くのです。現場からは以上です。
子どもがこれから進む道を舗装するのではなく、子どもがこれから進む道に休憩所と逃げ道をめっちゃ設置しまくるイメージで看護を展開しています。
退院した子と久しぶりに会った時、「久しぶり〜、元気〜?」的な感じの声かけは避けています。 元気度を聞くような声かけは、「元気な自分じゃなきゃいけない」と子どもに思わせる可能性があるので、「今日マジ寒ぃ」とか、「寝ても眠ぃ」みたいな、『マジでしょうもない話』をするようにしています。
子どもの『頭の中の多動』や『心の中の多動』は、周りからは気づきにくい上、本人も気づいていない事が結構あるので、 「頭の中グルグル〜ってなったりしてる?」 「気持ちザワザワ〜ってなったりしてる?」 みたいな感じで子どもに声をかけ、子どもがヘロヘロにならない様に休憩を促しています。
「この人は味方っぽい」と判断したり確認するのは子どもその人なので、「私はあなたの味方だよ」というよりかは「私はあなたの敵ではないよ」という姿勢が大切なのかなと思います。一気に書いたので文章が雑ですいません…
私の経験上ほぼ間違いなく言えるのは、「子どもを強く叱責するメリットは一つもないっぽい」という事です。
吉川先生のこちらの本、めちゃくちゃ参考になります(語彙力)。 子どもと関わるすべての方に読んでほしい。読んで損はない一冊です。電子版もあるので、ポチれば今すぐ読めます。 『ゲーム・ネットの世界から離れられない子どもたち: 子どもが社会から孤立しないために』 amzn.asia/d/9Mhvipk
子どもに対して「どうしてできないんだ?」「何でわからないんだ?」と、やるせない気持ちを感じた時に忘れないでほしい事があります。 それは大人がそう感じている時、子どもも自分に対して「どうしてできないんだ?」「何でわからないんだ?」と、やるせない気持ちを感じていたりするという事です。
苦しい気持ちを大人に相談してみようと思っているそこのナイスな君に、おっさんからちょっとしたアドバイスがある。 過去の武勇伝をどや顔で語る大人よりも、過去の失敗談を笑って語る大人に相談するんだ。 弱さを見せられる大人は、君の苦しみに寄り添える大人である可能性が高い。これはガチだ。
子どもの成長を感じた時は、自分の頑張りも労ってあげて下さい。 子どもが成長したという事は、あなたがその子を日々、懸命に支えているという事でもあるのです。 だからこそ、自分で自分を褒めてあげましょう。そして、自分で自分を休ませてあげましょう。 皆様どうか無理なさらず、ご自愛下さい。