できてるところを卑下せず、できてないところを忘れず。それさえ健全にできていれば時間と共に少しずつよくなるはずなんだけど、一人でいるとどちらもよくわからなくなる。その混乱にすっと補助線を引いてくれるのが、よい友だちとよい師匠とよいお客さんなのだと思う。夜に星が方角をもたらすように。
大阪桐蔭、優勝! 才能に甘えず努力を重ねた人たち、ほんとに強かった。おめでとうございます。試合終了の挨拶のあと、笑顔の大阪桐蔭の選手たちが金足農業の吉田選手を囲んで声をかけていたシーンが心に残りました。ああ、終わってしまった。すばらしい大会でした。
大差の決勝戦を制したあと、笑顔の多い大阪桐蔭の選手達の中でひとり号泣していたキャプテンの中川選手。キャプテンの重責もあるでしょうけど、彼は去年の夏、仙台育英に逆転サヨナラ負けしたときの一塁手。右足がベースから離れてしまったあの場面からようやく解き放たれたのではないかと思いました。
大事じゃないことは、あった方がいい。大事なことは失敗できないから、手堅くいくしかない。でも大事じゃないことなら新しいことを平気で試せる。自分たちが面白いと思うことだけを優先できる。大事じゃないことをしているときは、ぶれない、迷わない。だから、大事じゃないことは、大事にしなきゃね。
言いたいことがあるのにうまく伝えられないというときは、伝え方を学んだり工夫したりするだけでなく、「自分が伝えたいことを相手が求めるような状況をつくる」のも近道だと思う。多くの場合それは、伝える技術の問題以上に「相手がそれを聞きたいという動機を持っていない」ことが大きな原因だから。
「知らないこと」は怖いしストレスだし実力を封じ込める。知らないことを減らすためにいいのは失敗することだ。たとえ失敗しても「失敗した所までは知ることができる」から。失敗しろ、なんて乱暴な精神論みたいだけど、「失敗して知らないことを減らすことで実力が発揮できる」と考えるといいと思う。
ヤマザキマリさんのインタビューが本日完結。すごい連載だった。いい言葉を抜き出してツイートしようとしたけど、すぐにあふれてしまったので、いっそ画像にしました。連載は全9回、一気にどうぞ。 1101.com/foundation/yam… これと幡野広志さんの記事が同時に読めるほぼ日は、なかなかすごいと思う。
アナ「お母さんにひと言どうぞ」 大坂なおみ選手「I did it ! I love you !!!」アナ「決勝戦の相手、セリーナ・ウィリアムズにもひと言どうぞ」 大坂なおみ選手「(ちょっと考えて)‥‥I love you !!!」最高。 #mitazo
このたびの台風と地震で被災された地域の方々に、直接役立てることではないのですが、2017年につくったコンテンツを紹介します。東日本大震災と阪神淡路大震災のときに、ライフラインをつないだ人たちへの取材です。 1101.com/fukushima/2017…
大急ぎでなにかを終えたい、というときは、急ぐよりも「すごく真剣にやる」ほうがはやく終わる。あと、とても実践的なこととしては、「すぐ休憩しない」こと。
書くことについて向上心のある若い人たちと話して楽しかった。数字とかコツとかではなく「どうやって書くのか」「なぜそうしたのか」という根本的なことを、愚直に知りたがる姿勢がとてもよかった。質問する力と、聞く力と、バカモンと言われる力がある若い人はどんどん伸びる。それはもう、保証する。
頭の中では何を思っても自由だが、それを口に出した途端に罪がはじまる。だとすると、「あなたはこう思ったことがあるか?」という質問は相手を罪か嘘の二択へいざなう可能性がある。しかも質問する側には何のリスクもなく。いや、質問って、倫理や信頼を伴わないととても乱暴な行為なのだなと思って。
「よくそんなことができたね」と人が驚くことを自分ができていたときは、過去に似たことをすでに経験していることが多い。そんなに大変じゃないよ、と言えるのは謙遜じゃなくて経験があるからだ。その意味でいえば、ほんとに大変なのは「いままで経験したどれとも似ていない最初の一回目」だけなんだ。
オリックス・バファローズ小谷野栄一選手が今季限りで引退されます。パニック障害を抱えながら打席に立つ小谷野選手を取材したのは今年3月。ひとつひとつの言葉に自分の日常が勇気づけられるような忘れられない取材になりました。聞き手は「ほぼ日の塾」卒業生金沢と園田。 1101.com/koyano/2018-07…
実力のある人ほど、運がよかったと言う。知性のある人ほど、わからないと言う。礼儀正しい人ほど、その礼儀を感じさせない。誠実な人ほど、ぎりぎりまで迷っている。謙虚な人ほど、一度決めたら翻さない。アイディアのある人ほど、伝え方に細心の注意を払う。変な人ほど、変じゃないと本気で思ってる。
白状するが、スポーツを観る時ぼくはとんでもなく都合のいい最高過ぎる結果を夢見て願う。何もかもうまくいけば不可能じゃない展開を本気で祈る。それは叶わない。知ってる。が、ごく稀に叶った時は、歓喜で頭が真っ白になる。それがスポーツだ。ていうか、夢を重ねないスポーツに意味なんてあるのか。
バッテリーが途切れないように充電、使い放題のサービスが途切れないように課金、ICカードの残額が途切れないようにチャージ、電波が途切れないように移動…。なんだか、年中、毎日、24時間、「途切れないように」、うっすらずっと気を遣ってる俺ら。人類途切れないように時代到来。超便利だけどさ。
小学校の公開授業を見学に行った。国語の授業で題材は宮沢賢治の『やまなし』。先生が「どう感じましたか?」と生徒に訊き、それっぽい感想が次々に発表されるなか、背の高い男の子が困ったように言った「全体的に、わけがわからない」という感想がとても好きだった。先生も笑ってそれを黒板に書いた。
うまいとはいえないクセのある表現が、その妙なクセのまま安定して表現され続ければ、いつかそれは特別な個性になる。お手本通りにきれいにならないなら、くり返してくり返して、その不安定なものをとても安定した不安定なものにすれば、もちろん簡単じゃないけど、きっと誰かを魅了するだろうと思う。
その人のすぐそばにいる人が「この人はここがいいなぁ」としみじみ感心するのは、たいてい当人が「え、そこ?」と意外に感じる様なところだ。当人が気づかないよさを当人以外がいいなと思い合いながら仲のいい関係が成り立ってるとすると、その見えない網目の張り巡らされた社会はなんだか微笑ましい。
チャンスを逃した人は、チャンスを逃したことを、おそらくほとんどの場合で知ることがない。あなたは先ほどチャンスを逃しましたよ、なんて誰も教えてくれないからね。あぁ、もったいない‥‥とこっそりどこかでつぶやかれているのは、残念だとすら思ってないぼくやあなたかもしれない。
肯定的な意見が面白いのは、人としてどうこう以前に情報量が多いからだと思う。何かを嫌いな場合は第一印象とかある一面を嫌いなことが多いのでどうしても表層的で共感がしづらい。一方、何かを好きな人は全体をとことん味わうので、そこから生まれる「ここが好き!」は必然的に情報量が多く、面白い。
面白いことを思いついたときは「面白いぞ」と「大変だぞ」がせめぎ合う。面白いことはたいてい大変で、だからこそ「よいしょ」と踏ん張ってやると面白い。その「よいしょ」の息が合う人とはいいチームが組めるし、逆に、まず「大変だぞ」と反応する癖がついてる人とはなかなか面白いことができづらい。
ぐだぐだ言いながらもちゃんとやってる人がいて、弱音を吐きながらもいい結果を出す人がいて、伝わらないことに落ち込みながらも大きな拍手をもらっている人がいると、ぐだぐだ弱音を吐いて落ち込みながらでもやるしかないしやれるのだし誰もがそうやってやってるんだという勇気をもらうことができる。
休日にカフェなどで仕事をしてる風景は、大変だなあというふうに映るかもしれないけど、ぽっかりできた時間に自分のペースで仕事を進めておくというのは、嫌じゃないどころか楽しかったりなんならちょっと爽快だったりもするんだよ。つまり、楽しさはその人が決める。あらゆる趣味がそうであるように。