にいがたさくら@小話する人(@monkey_across)さんの人気ツイート(リツイート順)

日露戦争中の1905年5月28日 日本海海戦に敗北したロシア艦イルティッシュ号は島根県の漁村近くに流された。 その村は当時新聞が3日遅れで届くような村。 ロシアは戦争中の敵という認識しかなかった。 だが彼らを放っておく訳にはいかない 住民達は荒波の日本海に入り、献身的にロシア人達を救援する
日本を代表する調味料·醤油は江戸時代、上方から江戸に大量輸送されていたことは有名な話だが、実は長崎を通して海外にも輸出されていた。 長崎から欧州へ輸出するのだが、木製の樽のままでは長時間の輸送中に劣化し、醤油本来の風味が失われるのが問題だった。 そこで開発されたのがコンプラ瓶だ。
1960年代、コカ・コーラ本格輸入開始。 その情報にラムネやサイダーを作っている日本の中小企業は戦慄した。 あれは美味すぎる。 勝てない。 彼らはコーラに負けない飲み物を世界中から捜し出す。 そしてみつけたブラジルの飲み物に一縷の望みを掛けた。 それが現在の北海道名物。 『ガラナ』だ。
江戸時代の船はよく難破した。 薩摩出身のゴンザも薩摩から大坂へ向かう途中に11歳で難破し、カムチャツカへ漂流した。 ロシア人によって捕らえられ、保護された彼は首都へ送られる。その間に必死でロシア語を覚えた。 そして1736年、世界初の露日辞典を完成させた。 その日本語は、薩摩弁だったが。
戊辰戦争の頃、石川県加賀市にあった大聖寺藩には新政府から弾薬供出が命ぜられた。 だが弾薬を買うカネはない。 そこで手を染めたのがニセ金製造。 銀を溶かし不純物を混ぜ、メッキを施す。 出来栄えは完璧だったが、担当者は思った。 「新しすぎて怪しまれる。温泉に浸けて使用した感を出そう」
古くから玉ねぎの産地である淡路島。 淡路の農地はぬかるみが多く、昭和30年代の軽トラではスリップするため畑に入って行けず、玉ねぎを運び出すのに苦労した。 だがトラクターは当時まだ高価だった。 そこで地元の鉄工所はスクラップ部品と鉄骨を使って問題を解決した。 それが「農民車」だ。
開国後、多数の外国人が商売をしに横浜に来るが、当然日本語はわからない。 商売には会話が必要。そこで現地の欧米人が聞き取れた言葉や欧米の言葉を混ぜたカタコトの日本語が誕生した。 横浜ピジン日本語やYokohameseと呼ばれる言葉だ。 現代日本語のちゃぶ台の「ちゃぶ」等もこの言語が由来だ。
諸説あるが、世界初の乾電池は明治20年の日本で誕生したという。 発明者は屋井先蔵。 丁稚奉公からの叩き上げで、現在の東京理科大の職工として働きながら、試行錯誤して完成させた。 だが、彼には特許の知識もカネもなかったため、世界初の特許は逃したという。 しかし、彼は後に乾電池王となる。
俵。 古来から、米だけでなく、麦、塩、海産物、肥料等あらゆるものを梱包してきたものだ。 だが明治初期、俵の作り方は雑で、中のものが溢れたり、俵自体が破損するものも多かった。 更に大きさが一定ではないため、場所場所で検査が必要となり不便だった。 この米俵の改良に生涯をかけた人間がいた
黄金の国ジパングは過去の話で、既に掘り尽くしてしまったと思っている人も多い。 だが実は、現在でも商業規模で稼働中の金山が鹿児島県にある。 それが、菱刈鉱山だ。 1985年に金採掘が始まったが、現在採掘した分だけで、佐渡金山の累計産出量の3倍以上、260トンもの金を産出した鉱山だ。
1943年農業国メキシコは小麦が罹る病気のせいで約半数を輸入に頼っていた。 その後、品種改良により病気は克服したが、今度はたわわに実った穂により茎が折れる問題に直面した。 そこで導入されたのが、小麦農林10号という品種。 後に世界の小麦畑を一変させるこの品種は、戦前の日本で生まれた。
NASAに展示してあった月面探査機は貸出しをしていることがわかった担当者はこれを借りることに。貸出期限の欄に100年と書いて。 NASAに面白い日本人だな、と笑われるが、「イギリスだって香港を100年借りたんだ。俺たちだってこれを100年借りても手続き上問題ない筈だ!」と言って食い下がる。
江戸時代、米相場の発展に伴い情報の速達性が尊ばれた。 相場情報を印した紙を昼夜交代で飛脚を使っても江戸大坂間で3日かかるのが商人の悩みの種だった。 「速さが足りない!!」 そこで使われたのが旗振り通信。 これにより江戸大坂間で最速8時間。瀬戸内沿岸なら1時間もかからず情報伝達可能に
戦前のアメリカ·カリフォルニアには、『ポテトキング·馬鈴薯王』と呼ばれた日本人がいた 彼の名は牛島謹爾 20代前半で単身渡米 白人が嫌っていたデルタ地帯を開拓して頭角を現し、広大な耕地を管理し、当時の米国全体の約1割のじゃがいもを生産するに至った傑物だ
幕末、南部盛岡藩は度重なる蝦夷地警備の負担により財政が悪化していた 「10年間で功績上げなきゃクビな」 下級武士達はリストラの危機 困った彼らを救ったのは、当時60代のおじいちゃんと、木すら生えない不毛の原野だった 「ここに街を創ろう」 こうして開拓された街が、現在の青森県十和田市だ
北海道長万部町·国縫(くんぬい)漁港。 人工島へは橋で行き来するためワイングラスのような形となる。島式漁港という方式で、日本では国縫漁港が初。 この形の理由は、波の力によって運ばれてくる砂が漁港内になるべく溜まらないようにするのと、近隣の海浜への影響を最小限にするためだ。
日本初の入浴剤、バスクリンは偶然から生まれた。 生薬を加工して薬を作っていたのだが、生薬の切れ端が余る。 勿体ないので風呂に入れたのが始まりだ。 温まるし、あせもにも効く。 それが社長の目に止まり、明治30年に商品化。 ちなみに当時のクレームは「温まり過ぎて夏ヤバい」だったそうだ。
『がいし』 電線とそれを支える物の間を絶縁しながら繋ぐ器具だ。 日本では明治3年に電信用のがいしを国産化。陶磁器の歴史を持つ日本には比較的容易だった。 しかし、特別高圧のがいしはそうはいかない。 電気工学の知識が必要だからだ。 「国産化したい」 電機メーカは陶器メーカに持ちかけた
薩長土肥。 幕末に活躍した4つの藩のことだ。 西郷どんの薩摩藩、テロも辞さない長州藩、日本の夜明けぜよの土佐藩と比べて肥の知名度は低い。 肥前佐賀藩。SAGAのことだ。 佐賀藩は幕末最強の軍事技術で活躍したのだが、なぜ佐賀藩がその役を担えたかには理由がある。 藩主がミリオタだったからだ
江戸前期、領内を調査していた津軽のサムライは困惑した。 「土の中から謎の焼き物が出てきたんだが?」 何だコレは?訳がわからん。 とりあえずそう日記に記した。 現在の世界遺産·亀ヶ岡遺跡である。 この情報が都会に伝わると愛好家たちがこぞってこの土器を集め、海外にまで渡った土器もある。
北陸の冬には欠かせない消雪パイプは偶然から生まれた 昭和30年代の冬の新潟県長岡市 道路工事中に不具合で地下水が湧き出てしまうことに始まる。 天気は雪だが、地下水が出た箇所だけ雪がない。 地元住民は気づいた。地下水は雪を解かせるということに。 そして消雪パイプの技術開発が始まった。
1970年の大阪万博は日本のヨーグルトの歴史も変えた。 舞台は勿論、ブルガリア館。 その味に衝撃を受けた明治の社員は、その場でヨーグルトを貰い、研究所で商品開発を開始。 それまでの日本にない新しい味。 売り込むには本場の名前を冠した商品にせねば……。 だが、ブルガリア大使館に断られる。
明治維新の際、日本の首都をどこにするかで揉めた。 江戸城を明け渡されたとはいえ、天皇は京都におり、維新の中核は西国人たち。西国かつ当時の経済の中心であった大阪への遷都の声も強かった。 そんな中、江戸=東京に新首都が決まったのには理由がある。 明治新政府には、カネがなかったからだ。
現在のプリキュアで19作目。 作品によってジェンダーや働き方、絆や宇宙、そして食事など、テーマは様々だが、女の子だって暴れたいというコンセプトは継続し、現在も人気を博している。 ちなみにプリキュアが何人居るかを問うのは愚問で、答えは70億人以上だ。 #にいがたさくらの小話 その200
理系文系論争なんてよく見かけるけど、理系だろうが文系だろうが、学問とはロジカルに考えるものであるはずなので、文系が感情的っていう前提がそもそもおかしい気がしている。