現代では、かつてのようなギンギラギンな出で立ちではなくなったが、アニメがデザインされていたり、故郷の風景が描かれていたりと、独自の進化を遂げている。 オタク文化とヤンキー文化は意外とマッチしやすいのかも? #にいがたさくらの小話 その169
大阪の人ならみんなご存知、ビルの中に突っ込む阪神高速。 キッカケは、ビルの建替えと阪神高速の計画が同時に立ち上がったことに始まる。 場所は大阪の一等地。どちらの計画も譲れない。 そこで、新しい法律を適用して今の形が計画された。 ちなみに、阪神高速がビルの5~7階に入居する形だ。
北海道伊達市は戊辰戦争で負けた仙台藩亘理領の旧武士たちが開拓した街。殿様自ら集団を率い移住し、農業に従事した。 苦労の末、開拓に大成功した旧家臣団だったが移住から15年、若い世代は元々武士だったことを知らないことに気付く。 そこで、武者行列を行う祭りを始めた。 伊達武者祭りの起源だ
幕末の安政南海地震。 現在の和歌山県広川町に住む庄屋は、津波の引き波を見て、大津波が来ることに気付く。 彼は高台にある自分の田んぼで刈り取って天日干ししていた稲むらに火をつける。 火事か?と思い村人が高台に集まったところで津波が襲い、住民は助かった。 という話だが、微妙に事実と違う
江戸時代は米相場が発展したため、情報の速達性が求められた。 はじめはレートを書いた紙を米飛脚というマラソンランナーに運ばせていたが、大坂から江戸まで3日かかっていた。 そこで、より速さを求め大坂江戸間を8時間(大坂博多なら1時間以内)で伝達できる手段を確立した。 それが、旗振り通信だ。
日本統治初期の台湾の米は品質が悪く安く買い叩かれていた。当時の台湾米は東南アジアと同じインディカ種で、日本人の舌に合わなかったからだ。 台湾は亜熱帯なので、日本の稲は育たない。 そんな常識を打ち破り、現在の美味しい台湾米『蓬莱米』を作り出したのは、日本人。 磯永吉という農学者だ。
大学卒業後、台湾総督府に就職した彼がまず始めたのは、品種の調査。 在来の優秀品種を選び出し、不可能と言われていた台湾のインディカ種と日本のジャポニカ種の掛け合わせに成功する。 さらに病気に強く、美味しい米を模索して品種改良しただけでなく、田植えの方法も改善し、農民たちに指導した。
彼のお陰で台湾の米は日本本土でも旨くて安いと評判になり、台湾の日本米は『蓬莱米』と命名され、大人気に。 彼は米に留まらず、裏作の麦や芋、タバコなども改良·指導を行い、『台湾農業の父』と呼ばれた。 戦後、台湾は中華民国政府に変わるが、彼は中華民国政府から熱烈な依頼を受けて続投する。
1957年に帰国するまでの台湾農業改善による台湾経済への効果は大きい。 農家の収入は増え、蓬莱米輸出による外貨獲得、それによる工業への投資と、今の台湾の発展の根源を生み出したといっても過言ではない ちなみに台湾ビールにも蓬莱米が入っている。台湾の命だ。 #にいがたさくらの小話 その31改
江戸時代、戦乱がなくなり太平の世となり経済が発展したが、寺社は困窮した。 補修のためには、カネがいくらあっても足らない。しかし寺は仏様しかいない。 そこで人々に寄付を募るため、江戸や京都へ出向き、寺社が持っている秘宝·秘仏を公開する出開帳を始める。 江戸時代の大規模イベントだ。
まだ現代のように交通が発達していない時代、庶民が旅行するのは高嶺の花。江戸から近い成田山だって二泊三日の旅程だ。 だが、各地で有名な秘宝·秘仏が公開されているのなら行ける!ってことで、人々が参加することに。 大規模イベントとなるため、イベント会社を雇い、段取りをやらせていたそうだ。
幕府や藩の役人などを捌きつつ、庶民を飽きさせない為のでみせや屋台の手配、輸送される秘仏·秘宝の輸送状況の管理、そして資金調達など、ありとあらゆる手配を整えて御開帳されたという。 現代の博物館の特別展と祭りを合わせたようなイベントだったという。 イベント記念の浮世絵などもあったそうだ
現代と比べて娯楽の少なかった江戸時代、出開帳は一躍ブームになったそうだ。 ちなみに道中の名古屋などでも出開帳を行われた形跡があるという。 江戸時代の庶民も我々とあんまり変わらないのかもしれない。 #にいがたさくらの小話 その187
山形県の内陸は昔からフェーン現象の影響で暑い。昭和初期に記録した40度超えの気温は長らく日本記録だったレベル。 特に山形市は盆地なので熱がこもりやすく、温かいラーメンなんて食っている場合ではない。 冷たいラーメンはないのか?そんな地元民の声に応えて作られたのが、冷やしラーメンだ。
1900年のメンデルの法則再発見以後、様々な動植物で遺伝子地図が研究·解明されていた。 戦前に解明された中で一番詳細だったのは主要穀物のトウモロコシだが、二番目はアサガオだったという。 何故アサガオか、そのルーツは江戸後期にある。 突然変異のアサガオを作る園芸ブームが起こったのだ。
アサガオは庶民から大名に至るまで様々な人々に楽しまれる園芸植物。供給は江戸周辺の下級武士で副業として育成していたそうだ。 狭い土地でも育てられる上、突然変異しやすいのがアサガオの特徴。 突然変異した変化朝顔は、『奇品』として重宝がられた。 特に富裕な人はハマる人が多かったそうだ。
明治時代の知識人は西洋的概念をとにかく翻訳していった。 時代が下ると漢学が尊ばれなくなり、読みをそのままカタカナで表すことが一般的になる。 1930年に発見された冥王星も元々プルートーと音訳されていたが、冥王星と意訳されたのには理由がある。 冥王星のほうが、カッコいいからだ。
Plutoを冥王星と訳すことを提唱した人物は天体学者ではなく、作家·野尻抱影。 Plutoはローマ神話の冥府の王。彼は真っ先に科学雑誌に投稿し、京都天文台で採用。 ただし、東京天文台ではプルートーと呼び続けた。 東京天文台が冥王星と呼ぶようになるのは、戦中の1943年。外国語排斥の機運によるもの。
日本の旧暦は太陰太陽暦というタイプで、月の満ち欠けによって月が決まる。 1年は地球の公転周期とズレるため、数年に一度1ヶ月分『閏月』を入れて公転周期と合わせている。 閏月を入れる箇所には西洋天文学を採り入れたルール(天保暦)があるが、2033年はうまく決まらない これを旧暦2033年問題という
北海道の地名は基本的にアイヌ語から来ているので、当て字が多いため読みにくいものが多い。 その中でも道東、釧路町には難読地名がズラリと並んだ道道142号、通称難読地名ロードがある。 北海道の中でも特にこの地域だけ異常に難しい漢字を当てている理由は、現在のところわかってない。
理系文系論争なんてよく見かけるけど、理系だろうが文系だろうが、学問とはロジカルに考えるものであるはずなので、文系が感情的っていう前提がそもそもおかしい気がしている。
つまり感情的な物言いをしている奴。お前は理系でも文系でもねーよ。文系を語るな
1943年農業国メキシコは小麦が罹る病気のせいで約半数を輸入に頼っていた。 その後、品種改良により病気は克服したが、今度はたわわに実った穂により茎が折れる問題に直面した。 そこで導入されたのが、小麦農林10号という品種。 後に世界の小麦畑を一変させるこの品種は、戦前の日本で生まれた。
この小麦は半矮性遺伝子を持っていた。 背が低くなるため、倒れにくくなるが穂の長さは変わらないという特性だ。 この品種によって大量の肥料を与えても倒れず成長し、たわわに実る。 農林10号から作られた品種により、収穫量は急増。 メキシコでは輸入に頼らず、逆に小麦の輸出国になることができた。
その後、当時から人口爆発を続けていたインドでも同様に広まり、飢餓に苦しんでいた人々へを救った。 この小麦収穫量の急増は後にGreen Revolution(緑の革命)と呼ばれる。 米(東南アジアで作付されているインディカ種)でもこの原理が応用されるが、半矮性遺伝子を持った品種は台湾のものだった。