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AI以前に《いらすとや》の登場で、広告カットの仕事は如実に減った。
《いらすとや》が悪いわけでも、それを使う人が悪いのでもないけど、個人商店や町内会だとか学校が使うならまだしも、まっとうな企業ならちゃんと新規でイラストレーターに発注してほしい。
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「クリエイターなんぞに金も敬意も払いたくない」という代理店営業は結構多いので、《うるさく盾突かず、ロハですぐに何種類も描いてくれるAI》は願ったり叶ったり。
着物の件であきらかになったように、そのフェーズは既に始まっている。
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独立したばかりのころにイラスト込みで制作を受けた仕事が男女共同参画パンフレットで、その中に「エプロンをつけた女性の絵を描いてはいけない」とか「女性に暖色、男性に寒色の配色をしてはいけない」とあって、面倒くさい世の中になるなと思った。
それがもう、今から25年以上前の話。
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Twitterで悩ましいのが、病気や不幸などの報告をみたとき。
特に親しい間柄ではない場合、リプライはおろか「いいね」もためらわれる。
リプライするにも気の利いた言葉が思いつかず、結果的にスルーした状態になってしまうので、それはそれで「無関心」というカタチの失礼になりかねないジレンマ。
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「自分にとって不快なものが存在することが許せない。それを愛好する人間が許せない。」という考え方がどれほど身勝手でおぞましいものであるかは、そろそろ広く共有される時代になってほしいと思う。
たったそれだけで、今ある軋轢の多くは解消される。
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オタクビジネスなんて、とっくの昔にレッドオーシャン。
ただでさえ情報通な人間の多いこの世界で、まだ手付かずのビジネスチャンスが残っているのだとしたら、それは「ヒト・モノ・カネ」のリソースが桁外れに必要だから。
アンテナも張らずリソースも割かずに参入できる余地なんて欠片もない。
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「自分が知らないこと」はすなわち「存在しないこと」あるいは「ありえないこと」であり、あったとしても「極めて例外であり、無意味・無価値」であると考える人は一定数いる。
基本的に話にならないからできれば相手をしたくないのだが、この手のタイプがたまに校閲にいて困る。
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HRの頃に新年会で会った某漫画家さんと「きらら系っていえば、今けいおんがすごいよね?」「ええ、同じ雑誌なんです」「じゃあ、僕は『○○おん』とか描いちゃおうかな?」みたいな会話をした。
冗談だと思っていたら、ほんとにそのタイトルで描いてきっちりヒットさせてたからびっくりした。
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かつてフェイスブックがメール連絡先から勝手に友達申請してしまう仕様だった頃、クライアント先の役員や一度しか会ったことのないカミさんの親戚に友達申請してしまい、焦ったことがある。
どこのSNSも無理やり人と人をつなげようとするけれど、余計なお世話であることが多くて困る。
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コミカライズ界隈を見ていて思うのは、編集さんには原作の良さを表現できる作家さんを真摯に吟味してほしいということ。
たとえ、どんなに技量のずばぬけたベテランであっても、原作との相性が悪い作家では意味がない。
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そのおかげで「○○先生風に」という依頼はかなり多かった。
基本的には断るなり、似て非なるタッチを作り出したりして回避していたけど、元請け大手代理店からの「もっと似せろ!」という圧力に負けてパチモノ制作に加担させられたこともしばしば。
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